柱
1.真理
2.柱に油を注ぐこと
3.真理から発した主礼拝
4.神殿の柱
5.雲の柱
6.火の柱
7.ヴァッスーラ
8.ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった(創世記19・26)
1.真理
天界の秘義3727
『柱』の意義が聖い境界であり、かくて秩序の究極的なものであることについては、そのことは以下の事実から来ているのである、すなわち、最古代に石が境界に置かれて、そのことが或る一人の人物の財産または相続したものを他の者のそれから区別してその所に在るしるしともなり、証明ともなったのである。最古代の人々はあらゆる物の中に、凡ゆる柱の中に天的な霊的なものを考えたのであるが(1977、2995番)、その立てたこれらの石の中にもまた、そのものから人間における究極的なものについて考え、かくて自然的な人における真理であるところの、秩序の究極的なものについて考えたのである。
天界の秘義3727[4]
ここでも同じように『祭壇』は礼拝をことごとく表象するものであり、実に礼拝における善を表象するものであったが、他方その十二の柱は礼拝における善から発している真理を表象するものであったのである。
天界の秘義3727[5]
それで祭壇の石により真理を表象するものがあったのであり、それを柱により表象することは禁じられたのであるが、それはそのことにより真理が善から分離されて、善に代って真理が表象的に拝されないためであったのである。そうした理由からモーセの書には以下のように記されている―
あなたはあなたのために作るところのあなたの神エホバの祭壇の傍らにいかような木の杜をも作ってはならない、あなたはあなたの神エホバが嫌われる柱を立ててはならない(申命記16・21、22)。
なぜなら善から分離した真理を、または仁慈から分離した信仰を拝することは、秩序に反しているため、神的なものにも反しているからであり、そのことが『あなたの神エホバが嫌われる柱を立ててはならない』という禁止により意味されているのである。
天界の秘義3727[7]
異邦人もまた、言い伝えにより、礼拝の聖いものは祭壇により、また柱により表象されているという信念をもってはいたものの、それでも悪と誤謬の中にいたため、それで異邦人の間の祭壇により礼拝の悪が意味され、『柱』により誤謬が意味されており、そうした理由からそれらは破壊されなくてはならないと命じられたのである。例えばモーセの書には―
あなたたちはかれらの祭壇をくつがえし、その柱を粉砕し、かれらのもりを切り倒さなくてはならない(出エジプト記34・13、申命記7・5、12・3)。
天界の秘義4090
聖い境界
秩序の究極的なもの
真理(3727)
天界の秘義4595
真理の聖いもの(4580)
天界の秘義4580
「ヤコブは神が彼と語られた所に柱を、石の柱を立てた」。これはかの神的な状態における真理の聖いものを意味していることは以下から明白である、すなわち、『柱』の意義は真理の聖いものであり(そのことについては以下に述べよう)、『神が彼と語られた所に』の意義は、その状態の中に、である(すぐ前の4578番を参照)。柱を立て、その上に神酒を注ぎまたその上に油を注ぐことの起原について先ず若干言わなくてはならない。
天界の秘義4580[2]
古代では立てられた柱はしるしか、証か、または礼拝か、その何れかのためのものであった。礼拝のための柱は油を塗られて、聖いものとなり、礼拝もまたそこに守られ、かくて神殿に、杜に、森の木の下に、その他の所で守られた。この祭儀は以下の事実からその表象を得たのである、すなわち、最古代には(例えば創世記31・52のラバンとヤコブの場合のように)国民の中の氏族の間の境界に石が立てられたが、それはかれらがその境を越えて互いに他に危害を加えないためであったのである。そして石は境界にあったため、最古代の人々は彼らは地上の凡ゆる物の中にそれに相応した天的な事柄と霊的な事柄を認めたため、境界としてのこの石を見ると、かれらは秩序の究極的なものである真理について考えたのである。しかし彼らの子孫は、対象[物体]の中に霊的なものと天的なものをそれほど認めないで、世的なものをさらに多く認めたため、単に古代から来ている尊崇の念からそれを神聖な感情をもって考えはじめたのである。そしてついには洪水の直ぐ前に生きて、対象[物体]として認められる地的な世的な物の中に霊的なものと天的なものをもはや何ら認めなかったところの最古代の人々の子孫はこれらの石を聖いものとして認めはじめて、その上に神酒を注ぎ、また油を塗ったのであり、それらのものはそのとき『柱』と呼ばれて、礼拝のために用いられたのである。
天界の秘義4580[3]
そしてヤコブの子孫は偶像崇拝的な事柄に非常に傾きやすかったため、かれらは柱を立てることを、また杜をもつことを、山と岡の上に礼拝することさえも禁じられたが、しかしその箱が在った一つの所に、後には神殿が在った一つの所に、かくてエルサレムに共に集まらねばならなかったのである、でないと各々の氏族はそれ自身の外なるものと偶像とを持って、それを拝し、従って教会を表象するものはその民族のもとには設立されることができなかったからである(柱については前に示したことを参照されたい、3727番)。
2.柱に油を注ぐこと
天界の秘義3728
『その頭の上に油を注いだ』。これは聖い善を意味していることは以下から明白である。すなわち、『油』の意義は愛の天的なものであり、または善であり(886、3009番を参照)、『頭』の意義はさらに高いものであり、または、それと同一のものではあるが、内的なものである。善は高いものであり、または内的なものであるが、真理は低いものであり、または外的なものであることは前に多くの所で示したところである。このことから柱の頭に油を注ぐという古代儀式により意味されたことが、すなわち、真理は善を欠いて存在してはならない、それは善から発しなくてはならない、かくて善は頭として身体を支配する主権をもたなくてはならないということが明白である。なぜなら真理は善を欠いては真理ではなく、生命を欠如した音声であり、おのずから消滅してしまうといったものであるからである。
天界の秘義4582
「その上に油を注いだ」。これは神的な愛の善を意味していることは『油』の意義から明白であり、それは神的な愛の善である(86、3728番を参照)。『石の柱を立てて、その上に神酒と油とを注ぐこと』によりその内意では究極的なものの中に在る真理から内的な真理と善へ進み、ついには愛の善へ進む過程が記されているのである。なぜなら『石の柱』は秩序の究極的なものにおける真理であり(4580番)、『神酒[おみき、灌祭]』は内的な真理と善であり(4581番)、『油』は愛の善であるからである。それが主が人間的なものを神的なものにされるさいに進まれた過程であり、またそれが主が再生により人間を天的なものになされるとき人間が通って行く過程なのである。
3.真理から発した主礼拝
天界の秘義10643
4.神殿の柱
黙示録3・12
勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱にしよう。彼はもう決して外へ出ることはない。わたしはその者の上に、わたしの神の名と、わたしの神の都、すなわち、神のもとから出て天から下って来る新しいエルサレムの名、そして、わたしの新しい名を書き記そう。
啓示による黙示録解説191
「わたしはわたしの神の神殿の柱としよう」は、主から発した善から来ている諸真理は、それらがその中に宿っている者たちのもとで、天界における主の教会を支える、を意味している。『神殿』により教会が意味され、『わたしの神の神殿』により、天界における主の教会が意味され、ここから『柱』により、教会を支え、それを堅固なものにするものが意味され、そのものは聖言の神的真理であることが明白である。
マリア・ワルトルタ15・4/天使館1巻P127
主がマリア・ワルトルタに:
ありがとう、祝福された人よ。更に続けてほしい。地球を救うという過大な必要がわたしにはあります。地球を買いも戻す必要が。その代金は生贄であるあなたたちなのです。
直接の教会の教えをもって聖人たちを育成し、あなたを育成する知恵は、人生の知識を理解し、それを実践するようますますあなたを高めます。あなたもあなたの小さな天幕を主の家の傍らに張りなさい。いやむしろ、あなたの住まいの柱そのものを知恵の住まいの中に打ち込み、決してそこから出ることなくそこに住みつきなさい。あなたは花咲く木々の枝の間にいる小鳥のように、あなたを愛する主の保護の下で憩うでしょう。彼はどんな悪天候からもあなたを遮蔽し、あなたはあなたのために平安と真理の言葉を降らせる神の栄光の光の中にいるでしょう。
平安のうちに行きなさい。祝福された人よ、わたしはあなたを祝福する。
5.雲の柱
天界の秘義8110
「日中は雲の柱が、夜は火の柱がその民の前から去らなかった」
これは主の臨在[現存]は不断のものであったことを意味していることは今明らかにしたことから明白。
なぜなら天使たちの真中に主がおられるが、その天使たちは民の前にはそのように現れたからである。
天界の秘義8184
主がその中に現存されている天使的な柱
天界の秘義8192
イスラエルの子孫の前に進んで多くの天使から構成されていた柱、
天使の合唱団であった雲の柱
6.火の柱
天界の秘義8106
かくて天界から降ってくる天使の足は「火の柱」のように現れたのである。
「日中は雲の柱の中に」
明るくされた状態があったときはそれは真理が明確でないこtにより和らげられた。
天界の秘義8108
「夜は火の柱の中で」
これは明確でない状態が在ったとき、それは善から明るくされることにより緩和された。
これらにより、天界の状態、決して停止することのない状態の変化が表象された
天界の秘義8195
それは天使たちの合唱団であってその中に主がおられるため、主の臨在[現存]であり・・・。
天界の秘義8197
その柱はエジプト人には暗黒をもたらし、イスラエルの子孫には夜を明るくした。
主は各々の者にその性質に応じて現れたもう。(1861、6832)
7.ヴァッスーラ
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P120
‘89・2・15
我が叫びを耳にして 死者でさえ・・・ 彼らでさえ(*)・・・ 揺さぶられた、私、主は、あなた方のさ中に死人を甦らせている、そう!これらの死骸の一つ一つを 生き返らせる、彼らには我が叫び声が届いたからだ。 これらの死体は 光の柱となり、幾人かは我が教会の堅固な柱となろう、そして彼らを導くため一人ひとりの手に 右手には我が巻き物を 左手には我が燭台を置く ♡ 弟子の舌を授け あなた方の前で仕えさせる ♡ 全てのくに民は彼らの完全さを 眼の当たりにし 彼らは地の果てまで 真理を宣言しよう。 そして約束する、大地にみずみずしいものが育ち、庭園では種子から芽が吹き出すように、私、主は、これらの死体を生き返らせ、自らの口から発せられた、新しい名を授ける ♡
*神のみ声は大変悲しそうでした。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P10
‘99・2・2
分かるか、まこと愛する者よ、私がどれほど真剣な熱意をもって欠点多いあなたの上に臨み 我が教会の堅固な柱となるように あなたとあなたを通して他の者たちを変えてきたか? そして私は、あなたや他のすべての者たちを心から祝福する あなた方は神聖な火の柱となって 緊急なメッセージとして我がみ言葉を発信し 自ら進んで自分の出来得る限りを用い、惜しみない愛と熱意をもって真理を伝えひろめ、この非キリスト教化した民をキリスト教化している。 私が共にいる、そしてあなたと他の者たちを百倍も報いると約束しよう。
8.ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった(創世記19・26)
天界の秘義2453
26節「彼の妻は彼の後を振り返って見た、それで彼女は塩の柱になった」。『彼の妻は彼の後を振り返って見た』は、真理が善から離れ去って、教義的なものを注視したことを意味し、『彼女は塩の柱となった』は真理の善はことごとく剥奪されてしまったことを意味している。
天界の秘義2454[5]
教会の人間が自分はいかような種類の生活を送っているかを最早心に留めないで、自分はいかような種類の教義を持っているかを心に留める時、真理は善からそれ自身を背けて教義的なものを注視すると言われているが、しかし教会の人間を作るものは教義に従った生活であって、生活から分離した教義ではない、なぜなら教義が生活から分離する時は、生命[生活]のものである善は荒廃してしまうため、教義のものである真理もまた荒廃してしまうのであり、即ち、塩の柱となってしまうからであって、このことは、教義のみを注視してはいるが、生命[生活]を注視していない者が、自分は教義から復活を、天界を、地獄を、実に主を、またその他教義に属したものを教えられてはいるものの、自分はそうしたものを信じてはいるか否かを考察してみる時、たれでも知ることが出来よう。