廃墟を建て直す

 

主は聖母を尊ばれる

 

 

 

 

1.聖書

2.ヴァッスーラ

 

 

 

 

1.聖書

 

 

イザヤ61・1−6

 

主はわたしに油を注ぎ

主なる神の霊がわたしをとらえた。

わたしを遣わして

貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。

打ち砕かれた心を包み

捕らわれ人には自由を

つながれている人には解放を告知させるために。
主が恵みをお与えになる年

わたしたちの神が報復される日を告知して

嘆いている人々を慰め
シオンのゆえに嘆いている人々に

灰に代えて冠をかぶらせ

嘆きに代えて喜びの香油を

暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。

彼らは主が輝きを現すために植えられた

正義の樫の木と呼ばれる。
彼らはとこしえの廃虚を建て直し

古い荒廃の跡を興す。

廃虚の町々、代々の荒廃の跡を新しくする。
他国の人々が立ってあなたたちのために羊を飼い

異邦の人々があなたたちの畑を耕し

ぶどう畑の手入れをする。

あなたたちは主の祭司と呼ばれ

わたしたちの神に仕える者とされ

国々の富を享受し

彼らの栄光を自分のものとする。

 

 

 

 

2.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち2巻P80

‘87.12.22

 

ヴァッスーラ、教会を一致させる時が来た、再び一つとなりなさい 愛する者たちよ、このいにしえの廃墟を建て直しに来なさい、私自身の手で建てられた基礎を建て直しなさい、我が母を尊ぶように、みことばである私が 誰にもまして尊んでいるように。そうならば 塵と灰であるあなたが母を 天の元后として認め、尊ぶのを私が望まないだろうか? 被造物が我が母の重要性について殆ど知らないのを見て 今日私は深く悲しんでいる、

 

ルーテルの名のもとに 全く孤立してしまった人びとは、 ペトロのもとに戻りなさい、

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P180

‘88・4・5

 

ディビッド! ジェームズ! この我が古い土台を立て直すのだ、壁を新しくし、聖所を新にしなさい、私は主であり 私の力でこのいにしえの廃墟を建て直し 古い基礎を美しく飾る、壁を新にしたなら、すべての死者を再び生き返らせ、死骸を起し いのちを吹き返させる、これが大いなる立ち返り、いのちへの大いなる立ち返りである ♡ 私の輝かしい露があなた方被造物を美しくするからだ!

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻Pviii

 

ヴァッスーラ:そうですね、マリア様からの強い一致の呼びかけがあります。そのメッセージをお読みする前に、一般的な「一致」の解釈には同意できないと申し上げたいのです。ギリシャ正教では時々、兄弟のローマ・カトリックが、ギリシャ正教になるなら一致が実現すると言います。そしてカトリックでは時々、皆がローマ・カトリックになるのを期待しています。これが人間の考え方です。天国ではこうした考え方ではありません。天国では一致を、一人ひとりの心のうちに築くものと見ています。私は今でもギリシャ正教です。ギリシャ正教徒のままです。ギリシャ正教を実践していますが、カトリックの兄弟のもとに行っても壁をつくりません。この方がたの教会に行きます。イエスはどこへでも私をお遣わしになるのです。ギリシャ正教のもとだけでなく。心のうちに、心をもって一致すべきです。

 今は廃墟となっている教会の上に、イエスが建てると仰っている教会について、それは、いわば分派のように、全く新しい教会を造るのではなく、「初代教会に似せて、唯一であり 一致し、愛と謙遜という基礎の上に築く」と言っておられます。 ― 互いを受け入れ、イエスに向かって一緒に、祈りを捧げるのです。

 

 ではマリア様が話しかけられておられる箇所を読みます:

「反逆は兄弟の間で一致を妨げます。心の不誠実は神の杯をさらに満たしていくことになります。彼らは我が子のからだをねじ曲げ、分裂させ、手足を切り落し、麻痺させてしまいました。思い出させましょう あなた方は皆 主を通して、唯一の霊のうちに、御父のみもとにいたる自分の道があるのです、ですのに我が子の名のもとに 別れたままでいます。一致と平和をあなた方は口にしますが、それを実践する人びとに対しては罠を仕掛けます。神は欺かれません、あなた方の理屈に納得もされていません。

 神の国は口にのぼる言葉だけにとどまりません。神の国は 心のうちにある愛、平和、一致と信仰、それは心の中で一つに一致している主の教会なのです。一致の鍵は愛と謙遜です。イエスはあなた方の分裂をお勧めになったことはなく、ご自分の教会の分裂は イエスのお望みではありませんでした。心と声をもって一致し 我が子の初代教会を心の中に再び築いて下さるようにお願いします。我が子の初代教会と申しているのは、その教会が愛、素朴、謙遜と、信仰に基いていたからです。改めて新しい組織を造り上げるのではなく、心の中の組織を造り直すようにと申しています。心の中にある古い煉瓦、不一致、不寛容、不実、赦しの拒み、愛の欠如という煉瓦を壊して、我が子の教会を 和解によって造り直すのです。非常に大きな霊の貧しさと 溢れるほど豊かな寛容が 要求されます、そして屈まなければならないと理解するまでは、一致できないでしょう。」(ノート54、‘91・9・23)