主は聖母を尊ばれる

1.聖書

2.ヴァッスーラ

3.マリア・ワルトルタ

 

 

 

 

 

1.聖書

 

 

マタイ12・46−50

 

 イエスがなお群集に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。そこで、ある人がイエスに、御覧なさい、母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行なう人がわたしの兄弟、姉妹、また母である。」

 

 

 

ルカ11・27−28

 

イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」

 

 

 

ヨハネ2・1−4

 

三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。 ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。 イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」

 

 

 

ヨハネ19・26−27

 

イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

 

 

 

 

2.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P362

 

ヴァッスーラ:イエス?

 

主:私です、

 

ヴァッスーラ:イエス、私は聖母に対して言われたすべての侮辱を贖いたいと思います。あなたの被造物たちから聖母に対してなされた侮辱の言葉を聞くに耐えないのです。特にあなたに仕える者たちからの。私は死んでも聖母をお守りしたいのです。

 

主:ヴァッスーラ 愛がそれらの侮辱を聞くに忍びず いかに苦しんでいるかを分らせてあげよう。

ヴァッスーラ 私 主は 御母を尊んでいることが知られるように、御母を侮辱する人たちは 御母が天の元后であり、私 主が御母の頭に、十二の星からなる冠を置いたことを知るように。 御母は治めておられる、愛する者よ そしてこれもみことばの中に書かれてあることです。 私は御母を尊んでいる そして私と同じようにあなた方も御母を尊ぶべきです。 愛している、御母も私もともに あなたを祝福する。

 

ヴァッスーラ:主よ、主任司祭は御母を私たちの聖なる母として否定したのです。そして私たちが御母を尊ぶべきだということを、それで、あなたがそれを十字架の上からおっしゃったとお伝えすると、この司祭は言いました。それはヨハネにたいしてだけおっしゃったので、聖書のどこにも御母は私たちの母親でもあることは書かれてないと。それに、私たちが御母の子どもだとも書いてないと言われます。

 

主:しかし もう一度言う 娘よ、私の母は本当にあなたの母でもある、あなた方は御母の子どもたち、それはみことばの中に書かれてあり 私はそれを知らない人たちのために繰り返し言う、聖書に書かれてある、

 

ヴァッスーラ:どこですか 主よ?

 

主:黙示録の中で、サタンが私の母を追うのに失敗したとき、非常に怒ってほかの彼女の子どもたちに対して戦いをいどんだと、すなわち、十戒を守り、私の証をする人たちすべてに対して。

 

ヴァッスーラ:ありがとうございます。主イエスよ、お助けくださって。

 

主:ヴァッスーラ 言ってあるが、あなたの前に私はいつもいる。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P364

‘87・10・10

 

イエス?

 

♡ 私です、

 

ああ イエス。キリスト者たちが信じていないことを、知りませんでした。聖マリアを尊んでいないことを。御母をどう感じているか知りませんでした。キリスト者の間にも非常に大きな差があって、それがこんなにひどいとは思ってもいませんでした。

 

ああ ヴァッスーラ、あなたが思っているよりずっとひどい!

 

おお イエス、どうしてそんなにひどいのですか?

 

それは ヴァッスーラ 私のからだが引き裂かれたからです ♡ 私は我がからだを一つにさせたい!

 

では、もし一致したなら私たちの聖母マリアを皆は尊ぶでしょうか。

 

子よ、そうなる、

 

では「そうなる」は本当にそうなり、それは実現するのですね?

 

♡ 私は彼らをかがませ、跪かせて 皆は御母を敬い尊ぶであろう。

 

はい、イエス。

 

小さな者よ 私は我が教会を生き返らせる、さあ、「私たち」?

 

はい、主よ。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P80

‘87.12.22

 

「主:ヴァッスーラ、教会を一致させる時が来た、再び一つとなりなさい 愛する者たちよ、このいにしえの廃墟を建て直しに来なさい、私自身の手で建てられた基礎を建て直しなさい、我が母を尊ぶように、みことばである私が 誰にもまして尊んでいるように。そうならば 塵と灰であるあなたが母を 天の元后として認め、尊ぶのを私が望まないだろうか? 被造物が我が母の重要性について殆ど知らないのを見て 今日私は深く悲しんでいる、

ルーテルの名のもとに 全く孤立してしまった人びとは、ペテロのもとに戻りなさい、

 

ヴァッスーラ:主よ! 彼らにはショックでしょう!

 

主:ヴァッスーラ 我が母を敬うように彼らのひざを屈ませる、主である私が語っている、屈ませる! 屈んだ時、彼らの上に光を注ぎ 甦らせる、幹を強め、あなた方は灌漑された庭にように、水を湛えて決して涸れることのない泉となり、私は基礎を造り直す、来なさい 愛する者よ、私の言葉を刻むことができるよう今のように柔軟で素直となって、さあ 私の聖なる現存を決して忘れないように。

 

ヴァッスーラ:はい 主よ。

  

ヴァッスーラ:わが神よ、プロテスタントの人たちにはショックでしょう!(私はまだそのことを思っていました。)

 

主:ヴァッスーラ 私は彼らが変わるように何年も待っていた、もうこの願いを自由に書き下ろさせてもらいたい。」

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P117

‘88・1・25

 

ヴァッスーラ 二つの心を描いてほしい

そうだ、互いに近く、じつは結ばれている心を、それらを一つの茨の冠で囲むように、そう、母の汚れなき御心は私の聖心に結ばれている、私は その汚れなき御心の受けるにふさわしい情愛を あなた方一人ひとりがお与えするように望んでいる、分かるか、娘よ 私たち神聖な心は、忘恩、涜聖、愛の不在による 茨の冠で覆われている、その茨はこの者たちの罪全体を現す ♡ ヴァッスーラ、みことばである私は母を愛し 尊敬を抱いている、私が母を尊ぶと同じように あなた方もみもとに近づき 尊んでほしい。 どの膝も屈んで母に尊敬を現し、ロザリオの祈りを通して「めでたし」とご挨拶してもらいたい、母にどうするかお教えいただいて、罪を償ってほしい ♡♡ 目覚めているように 娘よ、さあ、母の御心が私の神聖な聖心と いかに結ばれているかを示した、一つの茨の冠に囲まれて ♡ 私の現存を思い出させよう、愛している、

 

私もお愛しします、イエス。

 

来なさい ♡ ヴァッスーラ ともに祈ってくれるか?

 

はい 主よ。

 

「御父よ、ああ アッバ!

私の意志をお捧げします、いのちをお捧げします、

自らを明け渡します、正義なる御父よ

み旨にかないますなら

完全に用いていただくにふさわしくして下さい

燃えるようなお望みの生けにえとして下さい、

御心の望まれるままに行われますように、アーメン。」

 

ヴァッスーラ あなたを弾圧する人びとを祝福しなさい、この人びとのために祈りなさい ♡ さあ、あなたの聖なる母に祈りなさい、私と一緒に祈るように、

(イエスが書き下ろさせなさいます)

「ああ 聖なる御母、

あなたの汚れなき御心に対する侮辱を

私が償います、

愛のために 喜んで愛の生けにえとなって、アーメン。」

 

ヴァッスーラ、私と一緒に御父に祈ってほしい、さあ、ともに。

「御父よ、愛するお方、

私の信仰、愛、希望を大きくするには、

あなたが必要です、

御名の栄光を 再び讃えられますように、アーメン」

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P60

‘89・12・4

 

♡ 来なさい: 御母に捧げるどの信心も私の心を喜ばせる、さあ、書くように、そばにいる、歓びなさい 霊魂よ、鉛筆をとり このすべてを書き写しなさい

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P219

‘88・5・10

 

私です、あなたや そして私の聖なるやり方、あなたに教えているこの道を、悪魔がいかに蔑んでいるか時折見るがよい、我が母にたいする愛の涙は 悪魔を猛烈に怒らせる。 私の家を住まいとし 聖なる御母を「神の母」また「天の元后」として認めることのできる者は幸い、さあ 愛する者よ、祝福を受けなさい ♡ 我がヴァッスーラ あなたを祝福する

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち8巻P136

 

人間よ! 女性から生まれた者よ、太陽をまとった女性を尊びなさい! ひ弱な人間よ! 彼女の抱擁 そして我が独り子をエジプトまで砂漠をこえて運んだ腕の中に 慰めを見いだすように。その慈悲(いつくしみ)をもって私を尊んだ母を 尊びなさい、私は、無論、彼女に 豊かな好意を示したではないか? 太陽をまとう女性にたいして 大いなることをした、そして我が霊に覆われたその日以来、彼女はどの世代にも 祝された者と呼ばれてきた。彼女を尊ぶのをやめた者たちには 恥と不名誉しかない。これほど私が豊かな好意を現した女性への あなた方のあざけりこもった言葉を 私はこころよく受け取ってはいない

そして各々を相応に取り扱う。

霊を高ぶらせないように、今やいっそう霊を遜らせ 聖母の取り次ぎを願うときも嫌な顔は見せないように。私が彼女の願いを聴かないとは誰が言うのか? カナでも あなたの母が執り成して下さったではないか? あなたの霊が(*)今日拒んでいることを 霊では理解するようにと こうしたしるしが行われた。このしるしは 将来のあらゆる時代のために与えられたもの。太陽をまとい、世界を満たす三たび聖なる、我が聖霊をおびた女性は、神の母として位する。来なさい、我が娘よ、最善を尽くすなら あとは私がする。ヤハウェが栄光のうちに 祝福を与えよう。実りが いや増すように(**)。我が−独り子−の−目に−燃える炎よ、覚えておきなさい、あなたは一人ではない、私がともにいる。

 

(*)神は 聖母を拒んで十分尊ばない人びとにだけ話しかけておられます。

(**)命令のようなおっしゃり方でした。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P132

‘00・10・16

 

輝かしい王、あらゆる荘厳にまさる荘厳、至高者すべての上に立つ至高者である 私が、聖体の形をした、天のパン、生けるマンナを 今度こそは食べるようにと 恵みのうちに呼びかける。 そこで 我が神秘をいまだ受け入れていない教会の 司牧者には言っておく、「正気に立ち帰り 真剣に私を探し求めなさい、私の母に対する敵意も、同時に、克服しなさい。 どの人種も 私の肉と血は 母にいただいたものだと知るように。 そう、私の体は まこと聖なる乙女、清らかな血に 由来する。 母のみ名は 賛美されるように!

 

 

 

ヴァッスーラ/あなたは預言を無視しますか/P132

 

「幼子を抱いてエジプトの砂漠を渡った 聖母マリアのその腕に抱かれて安らぎなさい。慈しみで私を讃えてくれた聖母マリアを 讃えなさい、私は聖母を大いに庇護してきたではないか? わが霊が太陽を身にまとった女性を蔽った日から、すべての時代の人間が マリアをいと幸なる者と呼ぶように、私は彼女に大いなることをなした。聖母マリアを敬わなくなった者たちは恥辱と不名誉を受ける宿命にある。私が大いに庇護してきたマリアについての あなたがたの嘲笑に添えられた注釈を 私はまったく快く思っていない。彼らの一人ひとりは その報いを受けよう。あなたがたの霊魂を謙虚にせよ、今よりさらに謙虚にせよ 聖母マリアの執り成しを乞い願うときに しかめ面をするのを差しひかえよ。私が、彼女の執り成しを聞き入れないだろうなどと言うのは いったい誰なのか? あなたがたの聖母は カナでの婚礼の際に執り成してくださったではないか? これらの印しは あなたがたの霊魂が 自分たちが拒絶しているものは何なのかを理解できるようにするために行われたものである。この印しは 来るべきすべての世代の人間のためのものであった。太陽で身を飾り、わが聖霊により豊かにされて、三重に聖となられ この世を満たすこの女は、神の母の位をもつ。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/天使館/ランプのあぶら/花むこから花嫁への呼びかけ/P86

 

イエスが聖母について話されるとき、そのお声は喜びに溢れ、高らかな、歓喜に満ちたものです。聖母マリアの聖心についてあるとき25頁もいただきました。そして戻って来られると、またそれくらいの頁を使って聖母を語られました。

 

 

 

 

3.マリア・ワルトルタ

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/7卷下P31/477・12

 

 あなたは、わたしがどんなにを愛したか、知りません。マリアの息子の心が、どんなに愛情を感じやすかったか、考えません。わたしの苦しみは肉体的なものだと考え、せいぜい、最後にに見棄てられたと感じた精神的苦痛を付け加えるだけでしょう。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P8

 

 マリアの胎に勝る最大の成聖の完璧さがあるのは、の懐のみである。彼女は、三一のの次に、聖人たちの中の聖女である。

 もしわたしが、死すべき存在であるあなたたちに、マリアその人の美を見ることを好意的に認めるなら、あなたたちは恍惚のうちに聖化されるだろう。わたしのが何者であるかをあなたたちに語るために比較に耐えるものは宇宙にはない。あなたたちは聖なる者でありなさい。そうすれば彼女を見るだろう。

 

 そしてを見ることが至福者たちの喜びであるなら、マリアを見ることは全天国の喜びである。なぜなら彼女において天使たちの合唱と聖人の群集のみが喜びに浸るのではなく、聖霊が彼女を、その愛の三位一体のこの上無き作品として凝視するのであるから。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P87

 

 人類はすべて罪人である。被造物のなかではただ一人だけが、罪の苦い味とは言わないまでも、罪の苦い匂いを味わわなかった。あなたたちのあいだに肉となり、あなたたちの肉を贖うためにわたしが後にした天国への望郷の念をわたしに抱かせなかった女人マリア、わたしのいとも優しきであった。というのもマリアのうちにわたしは、にある永遠の純白と光り輝く愛を見出していたからだ。彼女のうちに住み、彼女を被造物のなかの完全存在としていつくしみ、聖霊彼女をそので貫いて、処女にし、彼女の周りに天使の群れは集まり、一被造物のなかの三位一体を礼拝した。

 

 マリアの胎内! マリアの心臓! いいや。神にもっとも心を奪われた頭脳といえども、純粋と愛のこの二つの完全さの奥底に降りることは出来ず、頂点にまで登ることは出来ない。わたしはわたしの親しい人々の中でも最も親しい人々のためにマリアの胎内と心臓とを照らす。ただしあなたたちは、完全な学問のあるところに至った時はじめて、マリアを理解するだろう。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下/P368

 

母様、今すべてが終わりました。これ以上、あなたの子のために泣く必要はありません。試練は終わり、贖いはもう行われました。母様、私を宿し、育て、生きるときも死ぬときも私を助けてくださったことを感謝しています。

 私は、あなたの祈りが私にやってくるのを感じていました。

 その祈りは、苦しみのときの私の力、この世での、またこの世のかなたまでの私の旅の仲間でした。

 その祈りは、十字架まで、リンボまで、私と一緒に来ました。