裸の者
浄め/
1.スウェーデンボルグ
2.ヴァッスーラ
3.ルイザ・ピッカレータ
1.裸の者
天界の秘義4958
自分自身の中には善または真理は何一つないことを承認している者
黙示録講解187ロ
(6)黙示録には―
見なさい、わたしは盗人のように来ます。祝福されています、裸になって歩かないように目をさまして、着物を守っているものは(16・15)
ここに『目をさましていること』は、主から霊的な生命を受けることを意味しており、そのことは『祝福されています、裸になって歩かないように、目をさまして、着物を守っている者は』と言われていることから明白であり、『着物[上着、衣服]』は、人間が霊的な生命を得る手段である真理と善とにかかわる知識を意味し、『裸で歩くこと』は手段としてのこうした意識を欠いた生命を意味し、かくて霊的なものではなくて単に自然的なものである生命を意味している。(『着物』は真理と善とにかかわる知識を意味していることについては、下記の195番を参照し、『裸』によりそうした知識を剥奪されていることが意味されていることについては『秘義』、1073、5433、5954、9960番を参照されたい)。
イザヤ58・6
わたしの選ぶ断食とはこれではないか。
悪による束縛を断ち、くびきの結び目をほどいて
虐げられた人を解放し、くびきをことごとく折ること。
更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え
さまよう貧しい人を家に招き入れ
裸の人に会えば衣を着せかけ
同胞に助けを惜しまないこと。
天界の秘義5433
「裸」
自分自身の中には善と真理とは何ら存在していないことを承認している善い者たち(4958)
「裸の者に着物を着せる」
真理を欲する者たちに真理を教えること
「着物」
真理(1073,2576,4545,4763,5248,5319)
天界の秘義1079
「その父の裸かを見た」(創世記9・22)
これはかれがその過誤と歪曲とを観察したことを意味することは『裸か』の意義から明白であり(それについては直ぐ前の記事とまた前の213、214番を参照されたい)、それは悪い、歪められたものである。ここには、仁慈から分離した信仰の中にいる者らが『ハム』により、すなわち、かれがその父の裸かを見たことの中に、すなわち、かれの過誤と歪曲とを見たことの中に記されているのである。
なぜならこうした性格の者は人間の中に他の何物をも見ないのであるが、それに反して―それと非常に相違して―仁慈の信仰の中にいる者たちは良いものを観察し、もし何か悪い誤ったものを見ても、それをゆるし、もしできることなら、ここにセムとヤペテについて言われているように、かれの中にそれを矯正しようと試みるのである。仁慈がないところには、そこに自己への愛が在り、それで自己にくみしない凡ての者に対する憎悪が存在している。従ってこうした人物は隣人の中に悪いもののみを見、何か良い物を見ても、それを無価値なものとして認めるか、またはそれを悪く解釈するのである。
仁慈の中にいる者は全くその反対である。こうした相違により、この二種類の人間は、とくに他生に入ってくる時、互に他から区別されている。なぜならそのときなんら仁慈の中にいない者にあっては、憎悪の感情がその一つ一つのものから輝き出ており、かれらは凡ゆる者を点検し、かれらをさばこうとさえ欲し、また悪いことを見つけ出すことにまさって何ごとをも欲してもおらず、罪に定め、罰し、拷問にかけようとする気質をたえず抱いているのである。
しかし仁慈の中にいる者たちは殆ど他の者の悪を見ないで、その凡ゆる善と真理とを観察し、悪い誤ったものを良いように解釈するのである。かくの如きが凡ゆる天使であって、それをかれらは主から得ているのである。なぜなら主は凡ゆる悪を善へたわめられるからである。
2.ヴァッスーラ
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P88
‘92・6・16
当初あなたは 一つの目的、自分自身のため、だけに生きていた、自分の虚栄心に仕えていた。あなたは当時 身に輝きと栄光をまとっていると信じていた。 しかし現実には すっかり裸の身だった。私自身が訪れ、あなたを照らし うちなる闇に輝くまでは どれほど裸の身かを知らせる者はなかった。その時はじめて、真理の光に照らしだされた自分自身を その目で見た、あなたはありのままの自分を 見させられた。 私が思いやりを示さなかったなら 剣が待ち受けていたであろう。 しかし、私はあなたを哀れみ 慈悲をこめて、鼻から息を吹き込んで 生き返らせた。 こうして私たちの関係を 記憶に呼び覚ました ♡
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P151
‘92・10・6
私がかつて不法のまま裸の身で、御前に立っていたのを覚えておられますでしょう? 私は唖然とさせるような、見るに忍びない態度でしたが、それでもあなたは災いを宣告なさらず、むしろ、この分厚い暗雲を、そのお声は貫いたのです。そして王として町を勝ち取るように、私を征服し、あなたの栄えある王冠をそのうちに置かれました。私のうちなる荒野の、干え上がった場所場所には、生ける水の泉を涌き上がらせて。このようにご好意を示されたあなたは、今後、私は在る とともに歩くお許しも下さったのです。
ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・8巻P130
‘96・1・9
我が息吹は 被造物の上を風に運ばれていこう、そのとき彼らは言う:「神は 私どもを忘れておられない、これは神のしずく、神の雨だれ。」それと合わせて預言のように 我が教訓を降り注ぐ、あなた方のうち最も小さな者にも、被造物よ、こうした賜を注ぎ出す そうするならおのが裸の身を見て どう、生涯の間ずっと 私を悲しませてきたかを悟ろう ♡ そして、子どものように、嘆き悲しみ 父なる、私のほうを向くようになる。 それ以降は 永らえる天のものだけを切望しよう。
3.ルイザ・ピッカレータ
ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/3巻P142
「私は気持ちをおさめることができない。もし一人の裸の人がいて、彼女は自分の裸体をおおう代わりに、それを宝石で飾ることばかりに一生懸命になっているのをあなたが見たとしたら、あなたは何と言うだろうか?」
「そのような人を見ることにひどい身震いを感じて、勿論彼女を非難するでしょう。」
「そうだ。霊魂がちょうどそのようなものである。彼女らはすっかり裸になってしまい、それをおおう徳をもう何ももっていない。だから彼女らを自分自身に目覚めさせ、自分たちの霊魂の裸の状態に気づくように促すために、私が鞭や欠乏によって、これらの霊魂を揺り起こすことが必要なのである。徳と恩恵の衣服を着せることのほうが、身体を衣服で包むよりも、彼らにとってははるかに必要なのである。もし私がこれらの霊魂たちに罰を用いないとしたら、それはあなたから咎められる人のように、身体に関するつまらぬ装飾品のことについて、私に注意を向けさせるようなものである。そうなれば私は、もはやそれと認めることができないほど開物のようになってしまった霊魂の、もっとも根本的な問題に目を向けないということになる。」