英国人

 

 

エドマンド・バーク

 

 

 

 

神の摂理136[3](ロ)

 

自分自身が強制されるのを許す者の多くは法皇の管轄権内にいるが、しかしこれはその礼拝が内なるものでなくて、単に外なるものにすぎない者の許にのみ起るのである。自分自身が強制されるのを許さぬ者の多くは英国民であり、その結果彼らの礼拝には内なる物があり、その外なる礼拝はそこから生まれている。霊的な光の中では彼らの内なる心の宗教的状態は輝いた雲の外観を示しているが、しかし天界の光の中では前者の内なる心の宗教的状態は黒雲のように見える。この二つの表象は霊界で明白に見られ、誰でも欲する者は死後その世界に入るときそれを見るであろう。

 

 

 

最後の審判と霊界の諸相・遺稿270

 

イギリス人は共に生活していて、他の地域を旅行して回りはしない、なぜなら彼らは他の者とは異なった資質と性質とを持っていて、その性質は他の者を自分と親しく交わらせはしないといったものである。

 

 

 

最後の審判(遺稿)2

 

 最後の審判が行われつつあったときプロテスタント派の者たちは中央の方へ入れられたが、そのとき彼らは以下の順序に現れたのである、即ち、英国人は中央に、オランダ人は東方と南方に、ドイツ人は北方に、スエーデン人は中央の北方と西方とに現れた。凡ての者はそのとき善と真理に対する認識の方面のその全般的な資質に従って現れたのである。

 

 

 

最後の審判(遺稿)4

 

 英国人の多くの者は天界の教義を受け入れ、そのことにより新しいエルサレムへ入って来ることが認められた、何故なら彼らは信仰の諸真理を他の者たちよりも容易に受け入れて、それを内的な光の中に認めるからである。

 

 

 

霊界日記5825

 

イギリス人。彼らはヨーロッパの他の国民とは異なった性質を持っている。内的な光が彼らのもとに現れており、それは、神と宗教とについて考える者たちは他の者たちよりも速やかに霊的な真理を受けるといったものである。彼らはそうした事柄を自然的な物の中へ落ち込ませはしない、なぜなら自然的なものは身体の幾多の愛でさほど甚だしく占められ、満たされてはいないし、またさほど暗くされてもいないからである。そのため彼らは、何かが理性から言われるときは全く精妙な認識を得ており、内的な視覚を得ており、内的な視覚は真理を受容することが出来る直覚の視覚である。このことは霊界における彼らのもとで明らかに現れており、それで、また、かの世界では彼らはキリスト教徒の真中にいる、なぜならそこでは、内的な光の中にいる者たちは真中にいるからである。

 

 

 

英国人について

霊界日記5951

 

 

 

黙示録講解527 []

 

それゆえ、霊的な光の中にいる者たちは純粋な真理の中におり、また彼らは前に知ったこともなかった諸真理を聞くとき、すぐにもそれらを承認して、それらが真理であることを承認するのである。自然的な光の中にいる者たちは異なっている。そうした者たちは諸真理を聞くとき、それらを受け入れはするが、それは彼らがそれらを見るためではなく、または認めるためではなくて、彼らが信頼している有名な人によりそれらが話されるためであり、それゆえ、そうした者たちの大半の者たちの信仰は他の者たちから発してはいるものの、それでも彼らは信仰に従った生命の中にいるのである。この諸天界の中へ、良く生きはした者たちが凡て、たとえ彼らは教義の誤謬の中にいるにしても、入ってくるのであるが、それでも誤謬は絶えずそこで清められ、遂にはその誤謬は真理として現れるのである。