悔い改め

 

 

 

1.スウェーデンボルグ

2.ルイザ・ピッカレータ

3.ヴァッスーラ

 

 

 

1.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義251

 

『蛇』が全般的に悪の凡てを、特に自己への愛を意味している理由は悪はことごとく心の感覚的な部分から、またかの記憶知から発していて、それらが最初蛇により意味されたということであり、それゆえそれはここでは凡ゆる種類の悪を、特に自己への愛を、またそれと同一の、隣人と主に対する憎悪を意味している。聖言では色々な蛇として、例えば憎悪である毒の相違に応じて、『スネーク』、『コカトリス』、『アスプ』、『毒蛇』、『火蛇』、『飛ぶ蛇』、『這う蛇』、『蝮』として記されている。

 

 

 

仁慈の教義2

 

 悪は毒を秘めた花

 

 

 

天界の秘義9013

 

 「毒」は詐欺を意味する。

 

「アスプ」(エジプトコブラ、クレオパトラが自殺に用いたと伝えられる)

「コカトリス」「まむし」といった毒蛇は欺く者らを意味している。

 

詐欺を伴って行われる悪は最悪のもの。

 

 

 

真の基督教148

 

砂糖をつけた毒

かくの如きが、私が霊界の数年の経験によって学んだように、心に聖言の聖さと主の神性とを否定する者達の性格である。

 

 

 

真の基督教324

 

人を欺こうとして、または故意に虚偽を語り、しかもこれを霊的な情愛に似せた語調を以って語る者は、特にその虚偽に聖言から来る真理を混入させて、これを虚偽化するならば古代人達によって妖術者と呼ばれ(「黙示録の啓示」462番参照)、また時折怪蛇、善悪を知るの木の蛇と呼ばれた。このような虚偽を語り、また人を欺く者は丁重な親しい態度で敵と話しを交わしてはいるものの、背後に短剣を隠し、相手を突き刺して死に至らしめる者共に、あるいは剣に毒を塗って敵を攻撃する者に、あるいは水に毒人参を、菓子に毒を混ぜる者に譬えることが出来よう。彼らはまた悪性の病気に感染している美しい魅惑的な娼婦に、匂いを嗅ごうとする者を突き刺す植物に、風味を加えた毒に、また秋乾燥すると芳香を発する糞に譬えることが出来よう。聖言では彼らは豹と呼ばれている(「黙示録の啓示」572番参照)。

 

 

 

天界と地獄462

 

親類の遺産を詐欺の口実をもうけて奪い取ったある一人の者がいたが、彼も同じく告発されて、審かれ、驚くべきことには、彼らの間に交された文書が私に聞けるところで読み上げられて、一語も欠けてはいないと言われた。その当人はまた、死ぬしばらく前に秘かに毒でその隣人を殺したのであるが、それが以下のようにして暴露されたのである。彼は足下に溝を掘っているように見えたが、そこから一人の男が、墓場から出て来るように出てきて、彼に向かって、おまえは私に何をしたか、と叫んだのである。それから凡ゆる事が、どうしてその人殺しが彼と親しげに話しつつ、杯を差し出したか、またあらかじめ彼は何を考えたか、その後で何が起ったかが明らかにされた、そうした事が暴露されて、彼は地獄に宣告されたのである。約言すれば、悪霊にはその凡ての悪、非道、強盗、術策、詐欺がその記憶そのものから引き出され、明らかにされて、彼らは断罪されるのであって、その凡ゆる周囲の事情が明らかにされるため、否認の余地はない。私はまた人間の記憶が天使たちから見られ、点検されたとき、その人間は一ヶ月の間、日々何を考えていたかをその記憶から知ったのである、しかもそれには誤りはなく、ちょうど彼が日々考えていたそのままにその考えが思い出されたのである。これらの例から人間はその記憶の凡ててを持って行き、世で隠しておいても死後明らかにならないものは何一つなく、しかもそれは主の以下の御言葉のように、多くの者の眼前で暴露されるのである。「隠してあるもので明らかにならない物は一つもなく、秘かにしておくもので知られない物は何一つない、それであなたらが暗いところで言ったことは光の中で聞かれ、耳もとでささやいたことは、屋根の上から布れ伝えられるであろう」(ルカ12・2、3)。

 

 

 

2.ルイザ・ピッカレータ

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1P133

 

ああ、罪はなんと醜く、有害なものなのでしょう! もし皆がこのことをはっきり理解して、その毒性と苦しい結果を本当に経験することができたなら、そのことを知ったために地獄から這い出してきた恐ろしい怪物のように罪を避けることでしょうに!

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P251

 

 罪とは霊魂全体を害する毒であり、霊魂から私の似姿を消してしまうほどそれを変形させてしまう。しかし痛みはこの毒を破壊し、霊魂に私の似姿を返してくれる。だから本当の痛悔は、解毒剤となる。心の苦痛が毒を打ち壊すので、それは霊魂の中に空洞を創り、この空洞は恩恵によって満たされる。これは私の喜びとなる。私は、苦痛という私の贖罪の働きを通して、霊魂が復活するのを見るからである。

 

 

 

 

3.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P232

 

罪を犯した後でも 私は回心を許し与える とも書かれている。 我が大いなる慈悲ゆえに 私は悔い改めという有益な薬を 刷新した霊魂に投与した その霊魂は大いなる熱意と誠実とを 悔い改めつつ示してくれよう。 実に、誰であっても この謙虚な行為がなされた暁には 私との親密さという宝を見いだす。 親密さという宝のうちには 我が友情を見いだす。 悔い改めが 真剣であればあるほど、我が友情も大きい。 誠実に発せられた一つ一つの言葉は 我が友情をいっそう引き寄せる、我が友情は悔い改めの度合いに応じて生じるものゆえ。

 

こう書かれている、「私は口をもって神に呼び求め、舌をもって神をあがめた。 私の心に邪があったなら、主は聞き入れられなかったであろう。 まことに神は聞き入れて、私の祈りの声を心にとめられた(注)。」

 

救いを願う人は誰であっても 悔い改めの必要を感じよう そのときはその悔い改めの声に 私は耳を傾ける。 罪の報いは 死。 罪はあなたの中に入った毒に似て 長くうちに留まれば留まるほど、病が重くなり 死へと近づける。 体の中から吐き出さないならそれだけ 死ぬ危険がます。 罪を清めるには自らへりくだり 悔い改めるしかないと気づくなら 罪のもたらす毒から解き放たれ 癒されよう。

 

教えてほしい、毒を飲み込んでしまったのが分かったなら いのちを危険にさらしたまま放っておき 何もしない人がいようか? この死に至る一服から癒されるには 頭を低くして自分が罪人だと認め、私に悔い改めを捧げなければならない、そのとき毒の苦みはすっかり取り除かれ 生涯にわたって臓腑に飼っていた 毒蛇も含めて追い出せよう(注1)、そして解放されたあかつきには こうした悪を 私の甘美に置きかえる・・・そう、ひとたびそのような悪が出ていったなら、あなたは回復する、そしてひとたび回復したなら 私の掟と相容れない者ではなくなる。 あなたは 喜んでこの世に背を向けよう 目前に、我が栄光と荘厳を見るがゆえ。 私の輝ける現存が あなたの内にも外にも輝き出る。

 

こう書かれている、「あなた方は自分たちの罪の業と その罪によって死んだ者でした。 あなた方は、かつて、この世の流れに合わせ、中空にあって支配権を握っている権威の霊(注2)すなわち、神に従わない者たちのうちに現に力を奮っている霊に従って、罪のうちに生活していました・・・(注3)」 しかし今や悔い改めとあなたに示された恵みによって 私は我がうちなるいのちを あなたにもたらした・・・

 

次には 我がほほ笑みのうちに、いのちの小道を示そう。 あなたはもはや 熱した石炭の上ではなくサファイアの上を 歩こう。 かつてはとらえがたく 達し得ないと思われた神は、計り知れない歓びを心にもたらす一方 御自らの歓びもあなたに表わす、「かつてのあなたは いばらやあざみが生え、人も住まず のろわれた畑のようでした。 しかし今やあなたは、共にいて、我が選びの畑のように、聖霊の泉より水を注がれ 私にとって有用な作物を作り出すようになります(注4)。」

 

注: 詩篇66・17−19。

 

注1: うちなる「毒」と「大蛇」あるいは悔い改めによる清めというイメージ全体から、私は 抜魔式の際、悪霊に憑かれていた人が釘や、ときにはガラスの破片、ワイヤなどを吐き出すのを思い出しまします。

 

注2: サタン。

 

注3: エフェソ書2・1−2.

 

注4: ヘブライ人への手紙6・7−8。