新しい天と新しい地

 

新しいエルサレム

 

 

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.ヴァッスーラ

4.聖母から司祭へ

 

 

 

 

1.聖書

 

 

イザヤ65・17ー20

 

見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。

初めからのことを思い起こす者はない。

それはだれの心にも上ることはない。

代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。

わたしは創造する。

見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして

その民を喜び楽しむものとして、創造する。

わたしはエルサレムを喜びとし

わたしの民を楽しみとする。

泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。

そこには、もはや若死にする者も

年老いて長寿を満たさない者もなくなる。

百歳で死ぬ者は若者とされ

百歳に達しない者は呪われた者とされる。

 

 

イザヤ66・22

 

わたしの造る新しい天と新しい地が わたしの前に永く続くように あなたたちの子孫とあなたたちの名も永く続くと主は言われる。

 

 

 

ペトロ2・3・13

 

しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。

 

 

 

黙示録21・1

 

わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。

 

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

主イエス・キリスト65

 

黙示録には新しい天と新しい地という語が記され、後に見よ、わたしは凡ての物を新しくするという語が記されているが、それは今や主により新しく設立されようとする教会の中では教義は新しくなるであろうということ以外の何事も意味していない。

 

 

 

天界の秘義25

 

『地を拡げ、天を張る』ことは予言者が人間の再生を取り扱う際に用いる共通の形式の言葉である。例えばイザヤ書には―

 

 あなたの贖い主エホバ、胎内からあなたを形作られた者はこのように語られる。わたしは凡ての物を作り、ただ一人で諸天を張り、わたし自身により地を拡げるエホバである(イザヤ44・24)。

 

 

 

天界の秘義931[3]

 

 同様にまた主が栄光の中に来られる時新しい教会が存在するであろう。この教会はまた新しい天と新しい地により意味されているが、それは再生した人間各々の場合と同様であって、再生した人間は教会の人間または教会となり、その内なる人は、彼が新しく創造られた時は新しい天と呼ばれ、その外なる人は新しい地と呼ばれているのである。

 

 

天界の秘義1733

 

 「天と地とを持たれる方」。これは内なる人またはエホバが内的な人と外的な人と連結していることを意味しており、そのことは『天と地』の意義から明らかである。人間における内的なものは『天』と呼ばれ、外的なものは『地』と呼ばれている。『天』が人間における内的なものを意味している理由は、人間はその内部の方面では天界の映像であり、かくて一種の小さな天界であるということである。主は天界の凡てのものにおける凡てのものであられ、かくて天界そのものであられるため、第一義的には主の内的な人が天界である。外的な人が地と呼ばれているのはこのことから生まれている。また同じ理由から、予言者の書と黙示録とに語られている『新しい天』と『新しい地』とにより、主の王国以外には、また主の王国であるところの、または主の王国がその内に宿っているところの者各々以外には何ごとも意味されてはいないのである。『天と地』がこれらの事柄を意味していることは、すなわち、『天』については82、911番に、『地』については82、620、636、913番に見ることができよう。

 

 

 

天界の秘義1733[2]

 

ここに『天と地を持たれる方、いとも高い神』は主の中に内なる人が内的な人と外的な人と連結していることを意味していることは以下の事実から認めることができよう、即ち、主はその内なる人の方面ではエホバ御自身であられたのであり、内なる人またはエホバは、父がその子を導き、教えるように、外なる人を導き、教えられたため、それで主は、エホバに関連しては、その外なる人の方面では『神の子』と呼ばれ給うが、しかし母に関連しては、『人の子』と呼ばれ給うたのである。エホバ御自身であられる主の内なる人はここに『いとも高い神』と呼ばれるものであり、完全な連結または結合が行われる以前は、『天と地を持たれる者』すなわち内的な人と外的な人の中にある凡ゆる物を持たれるものと呼ばれている、なぜならこうしたものが、前に言ったように、『天と地』によりここに意味されているからである。

 

 

 

 

天界の秘義8892[5]

 

 

 

 

最後の審判とバビロンの滅亡4

 

聖言の霊的な意義の「創造する」もまた、形作る、設立する、再生させることを意味している。それゆえ「新しい天と新しい地とを創造すること」により、以下の記事から明らかなように、天と地に新しい教会を設立することが意味されている。(中略)かくて人間の「新しい創造」はその改革(リフォメイション)である。なぜなら彼は新しく、即ち、自然的なものから霊的なものになされるからであり、かくて「新しく創造られた者」は改革された人間である。

 

 

 

同・最後の審判とバビロンの滅亡4注A

 

「創造する」は新しく創造する、または、改革し、再生させることである(天界の秘義1688、10373、10634)。「新しい天と新しい地とを創造する」は新しい教会を設立することである(10373)。創世記第一章の「天地創造」により、その内意では、最古代教会である天的教会の設立が記されている(8891,9942,10545)。

 

 

 

最後の審判とバビロンの滅亡3

 

「新しい地」により地上の新しい教会が意味されていることは、現在まで知られていない。というのは、凡ての者は聖言の「地」により地を理解したからであるが、事実は、それにより教会が意味されているのである。

 

 

 

新エルサレムの教義2

 

 新しいエルサレムとその教義とを取扱う前に、新しい天と新しい地について少し述べよう。過ぎ去った『最初の天と最初の地』により意味されたことは「最後の審判とバビロンの滅亡」を取り扱った小著に示されている。その事件の後、即ち、最後の審判が成就された後直ぐに新しい天[天界]が主により創造され、または形作られたのである。この天界は主が来られた時から現在まで、信仰と仁慈との生活を送った者の凡てによって形作られたのである。それは信仰と仁慈のみが天界の形であったからである。

 

 

 

新エルサレムの教義3

 

この天界は主が来られた時から現在までこうした者であった凡ての者から形作られた以上、それは基督教徒と異邦人とから構成されているが、しかし主として主が来られた時以来亡くなったところの、全世界から来ている凡ての幼児により構成されていることが生まれている、なぜならこの幼児の凡ては他の者たちと共に、新しい天界を構成するために、主から受け入れられ、天使により天界で教育され、また教訓を受け、留め置かれたからである。ここからその天界はいかに大きなものであるかを結論することが出来よう。幼少の頃死ぬ者はすべて天界で教育されて、天使となることは「天界と地獄」を取り扱った著述に見ることが出来よう(329−345番)。そしてその天界は基督教徒のみでなく異邦人によっても形作られている(318−328番)。

 

 

 

最後の審判とバビロンの滅亡49

 

これは主は真理にいると同時に善にいる者たちを真理には居るが善に居ない者からそのとき引き離されるであろうことを意味している。なぜなら、聖言の霊的意義では『右』は善を、『左』は真理を意味し、『羊』と『山羊』もそれと同じことを意味するからである。審判はこれらの者にのみ行われたのである。なぜなら神的なものを否定し、己が信念から教会の諸真理を斥けた心の悪い者はすべて死後(直ちに)そこに投げ込まれ、それゆえ審判以前に投げ込まれるからである。過ぎ去った『第一の天』は真理にはいたが、善にはいなかった者から成り、『新しい天』は真理にいると同時に善にいた者たちから形作られた。

 

 

 

啓示による黙示録解説876

 

1節.「私は新しい天と新しい地を見た」は、新しい天界が主により基督教徒から形作られそれは今日基督教天界と呼ばれ、そこには主を拝して、聖言における主の戒めに従って生き、そこから仁慈と信仰を得ている者たちがおり、またその中に基督教徒の凡ての幼児たちがいる、を意味している。『新しい天と新しい地』により目に見える自然界の天も、人間の住んでいる自然界の地も意味されはしないで、霊界の天界と、天使たちのいる、その天界に属した地とが意味されている。この天とこの天の地とが意味されていることは、たれでも、もしその者が聖言を読むとき、純粋に自然的な、物質的な観念から多少でも引き出されることが出来るなら、認め、また承認することが出来よう。天使たちの天界が意味されていることは明白である、なぜなら次の節に『彼は聖い都エルサレムが夫のために飾った花嫁のように備えをして、神から出て天から降ってくるのを見た』と言われ、そのことにより、エルサレムが降ってくることは全く意味されはしないで、教会が降ってくることが意味され、天界の天使たちと地上の人間とは教会の凡ゆる事柄では一つのものとなっているため地上の教会は主から天使たちの天界を経て降ってくるからである(626番)。これらの事柄から、これらの言葉により、またそれに続いてこの同じ節に記されている言葉により、世界の滅亡について、また凡ゆる物の新しい創造についての教理を自ら捏造した者らは、いかに自然的に、また物質的に考えたか、また今も考えているかを認めることが出来よう。

 

 

 

 

3.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P268

‘88・8・6

 

聖母:

♡ 教会の清めにより 皆が新しい天と新しい地を迎える準備が整います、 教会はあなた方の神に顔を向ける準備をさせるでしょう、あなた方皆に抱くこの深い愛を理解して下さい ♡ 「私たち」?

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P

‘90・1・31

 

あなた方の多くは沢山の印を見て来ました、これらの印は気づくべきもので、時の終わりの印です、世の終わりの印ではなく、ある時代の終わりなのです ♡ 愛と平和の時代に入れるように イエスと私はあなた方皆を準備しています。 それは大昔に約束されていた 新しい天と新しい地です。 ゆえに清めの日が訪れる前に 改心するようにと懇願します、時が差し迫り はっきりと申しますが 選ばれた霊魂たちを通して話していたすべては ♡ ファチマの時から今日にいたるまで ♡ この世代が過ぎ去る前に実現するからです

 

 

 

 

4.聖母から司祭へ

 

 

聖母から司祭へ1993.11.21

 

おいでになる主を迎える準備をさせるために、こん日、世界各地からあなたたちを集めている天の母は、この新しい天と新しい地にあなたたちを導きます。

 

 

 

聖母から司祭へ1994.1.1

 

 あなたたちを待っている新しい時代の扉を開くのは、わたしの役目です。

 新しい天と、新しい地に向かって、あなたたちを導くのは、わたしの役目です。

 神が世界において、その最も大きな勝利を得られるように、サタンと悪のすべての力にうち勝つ役目が神の母であるわたしに、特別にまかせられています。

 

 

 

聖母から司祭へ1994.12.24

 

 人性の弱さのうちに行われるイエズスのこのはじめのご降臨は、再臨に秩序づけられており、その時にイエズスは、神としての栄光の輝きのうちに現れるでしょう。

 この第一の誕生においては、イエズスの神性は、その人性によって暗くされ、かくされています。しかしその第二の誕生では、イエズスの人性は、神性の輝きに包まれるでしょう。

 心を希望に開くために、この聖夜の奥義に入りなさい。

 今日わたしは、すべての人のために、大きな喜びの知らせを告げます。

 この聖夜、弱く、小さく、そして泣きながら、すべての助けを必要としておられるのを、あなたたちが見ている主イエズスは、今度は、神としてのご自分本来の栄光の輝きにみちて、[地上]に帰ろうとしておられます。

 栄光にみちたこのご来臨は、時のみちみちたときに実現し、そこから新しい天と地との、新しい時がはじまるでしょう。