あなたたちが把握しないからといって疑ってはならない

 

 

他生を信じない内意

 

 

 

 

1.あなたたちが把握しないからといって疑ってはならない

2.感覚的な人間は、その見て触れはしないものは無であると考えて、それを把握はしないのである

3.何であれたれにも知られないものはことごとく存在しないと信じられる

4.把握しようともしない

5.それはまるで聖書を全部読んでしまったかのよう!

6.霊界日記

 

 

 

 

1.あなたたちが把握しないからといって疑ってはならない

 

 

天界の秘義1630

 

 霊たちは、人間が霊たちと天使たちの生命については何の考えも持っていないで、霊たちや天使たちは極めてもの悲しいものとならないわけにはいかない明確でない状態の中に、謂わば虚無と空虚の中にいると考えていることに非常に怒っているのである。人間はそのように考えてはいるものの、彼らは最大の光の中にいて、その感覚のすべての方面で凡ゆる善いものを楽しんでおり、しかもそれがそれらを最も深く認識しつつ行われているのである。また最近世から来たばかりの霊魂たちがいた。彼らは世で受け入れた原理から、他生にはこうしたものは存在しないという観念[考え]を抱いてきたのである。そこで彼らは天使たちの家へ案内されて、そこにいる者たちと語って、これらのものを見たのである。彼らは帰ってくると、自分たちはそれがそうであることを、またその事物はまことであることを認めたが、自分たちは身体の生命の中ではこのことを全く信じていなかった、だからそれを信じることは出来ないと言い、またこうしたものは必然的に、把握されないために信じられない驚嘆すべきものの一つであるに違いないと言った。しかし経験は感覚の事柄ではあるが、しかし内的な感覚のものであるため、彼らは以下のようにもまた言われた、即ち、それでもあなたたちはあなたたちが把握しないからといって疑ってはならない、なぜなら把握されるもの以外には何ごとも信じられないなら、内的な性質のものについては何ごとも信じられないし、ましてや永遠の生命に属したものについては何ごとも信じられはしないのである、と。ここから私たちの時代の狂気が発しているのである。

 

 

 

天界の秘義8325

 

 こうした経験のみからでも自然的な人間が霊的なものを把握することは、従って天界に属した事柄を把握することはいかに困難であるかを結論づけることが出来よう。いかような自然的な人間が、天界には空間と時間は存在しないで、それに代って状態が存在することを、即ち、空間の代りに、善の状態が、または存在の状態が在り、時間に代って、真理の状態が、または発生の状態が在ることを把握することが出来ようか。単に自然的な人間は、時間と空間が存在しない所には絶対的な空と無とが在ると信じないであろうか。このことから、もし自然的な人間が自分の把握するもの以外には何ものも信じることは出来ないと自分自身の中に結論するなら、その時は彼は自分自身を多くの過誤に投げ込むことが明白である。

 

 

 

 

2.感覚的な人間は、その見て触れはしないものは無であると考えて、それを把握はしないのである

 

 

天界の秘義5094[3]

 

 例えば、合理的な自然的な人は、人間は人間自身から生きているのではなくて、主から天界を通して注がれる生命の流入により生きていることを把握するが、感覚的な人間はそれを把握することは出来ないのである、なぜなら彼は自分は生命が自分自身の中に存在することを明白に感じ、認めもしていると言い、また感覚の証明に反したことを語ることは無意味であると言うからである。また他の一例として、すなわち、合理的な自然的な人間は天界と地獄が存在していることを把握するに反し、感覚的な人間はその目で見る世界よりも更に純粋な世界の存在することを把握しないため、そのことを否定してしまうのである。合理的な自然的な人は目には見えない霊と天使との存在することを把握するが、感覚的な人間は、その見て触れはしないものは無であると考えて、それを把握はしないのである。

 

 

 

 

3.何であれたれにも知られないものはことごとく存在しないと信じられる

 

 

天界の秘義5125[2]

 

感覚的な物が最後の位置に立つとき、幸福な祝福された感情が内的な人からこれらの物の歓喜の中へ流れ入って、その歓喜を一千倍にも増大するのである。感覚的な人はそれがそうであることを信じない、なぜなら彼はそれを把握しないからである、彼は感覚的な歓喜以外の歓喜を知らないで、それよりも高い歓喜が在ることを考えないため、感覚的な物の歓喜の内部に存在している幸福な、祝福された感情を無意味なものに見なしている、なぜなら何であれたれにも知られないものはことごとく存在しないと信じられるからである。

 

 

 

 

4.把握しようともしない

 

 

天界の秘義3881

 

それらのものの中には霊的な意義が在ることは信じられてはいないのである、なぜなら今日では聖言の霊的な意義とは何であるかが知られていないし、また霊的なものとは何であるかさえも知られてはいないからである。そのことの主要な理由は人間は自然的な生活を送っているということであり、自然的な生活は、それが目的として認められると、またはそれが他の凡ての事柄にもまさって愛されると、それは知識と信仰とを抹消してしまって、霊的な生命と霊的な意義とが言われると、それは何か非実在的なものであるかのように思われ、またはそれが自然的な生活に一致していないため、嫌悪の念をかき立てるところの、何か不愉快な、もの悲しいものであるかのようにも思われるほどにもなっているのである。これが今や人類の状態であるため、かれらは聖言における名前により名づけられている事柄そのもの以外のものが何か、例えば国民、民、人物、国、都、山、川以外のものが何か意味されていることを把握はしないし、また把握しようともしないのであるが、それでも名前はその霊的な意義では、主の天的な王国を、その最高の意義では主御自身を意味しているのである。

 

 

 

 

5.それはまるで聖書を全部読んでしまったかのよう!

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P192

 

だが、まことに言っておく、私を進んで受け入れた者は誰であろうと、私が話している今も、祝福されている、あまりに不思議な仕方で、知識と知恵を私より受けているゆえ、それはまるで聖書を全部読んでしまったかのよう! その人自身 恵みを通して得られる聖なる霊感を自らのうちに携え 声高に話す書物となる。 こうして、我が娘よ、その人は聖書を読むとき、その字づらだけではなく、むしろ、ヴァッスーラ、あなたも経験したように、霊的な目で 内容の深い意味が見えてくる ♡

 

そこで、預言的任務を持ち、声高に話す書物のような我が使者たちには 反対しないように、私がこの者たちを遣わした。 聖書に含まれる以上のものは啓示しないが、あなた方にとっては 道案内。 私のうちなる真のいのちを生きるよう 新しい生き方を手引きする ♡ 人生をよりよくし 希望と慰めを与えて。私は誰であっても 悲惨な存在からカテドラルへと変えられる。

 

裁いてはならない そうするなら私が訪れて 我が言葉を実現しよう。 聖書は、あなたの神なる、私の肖り、だから見くびってはならない そして私を知るに遠く及ばないあなたが 聖書を知っているとは言わないように。私のヴィジョンが見えるように掟を守り、そこに述べたことを果しなさい。 我が言葉を行う霊魂は 私を知るようになろう。 そのとき、そしてそのとき初めて、あなたは決まりによってではなく 私に与って神となる。

 

 

 

 

6.霊界日記

 

 

霊界日記859

 

 地球上の対蹠的な地点にいる者たちは、私たちに対しては、その頭は下の方を向いているのに、どうして歩くことが出来るか、否かをあなたは認められることが出来るか、否かと提出してみる気になった、なぜならそうした位置は、人間が地球の反対の地域に置かれることが出来ることが霊的に表象されることが出来るからである。そうしたことは(彼が被術者として仕えている)霊たちには、いわば反感をそそるものであり、また彼らはそのことを理解も〔認めも〕しなかったため、時々起こることではあるが、突然彼らは見えなくなってしまった。その際彼はそれがそうであることを否定はしたが、私は彼に以下のことを納得させた、即ち、それ以上に真のものは何一つ無い、なぜなら経験の凡てはそのことを証明しているし、また、明らかに示しているからである、またそれは真ではあるものの、それについてはあなたは認めはしない〔理解はしない〕と告白しなくてはならないものであり、それであなたは是が非でもそれを信じなくてはならないのである。

 

 

 

霊界日記860

 

かくて彼は、それらは、また無数の、誤ったそうしたものは単に感覚の迷妄〔妄想〕に過ぎないことを認めることが出来、また以下のことも認めることが出来たのである、即ち、それでもし私たちが万が一私たちの理解出来るもののみを信じるとするなら、私たちはただ誤ったもののみを信じるであろう。そしてこうしたことが単に世の、形体的なものに関わる実情であるため、どうして彼は、自分は霊的なものと天的なものについて自分の理解出来ないものを信じたくはない、と言うことが出来よう、なぜならそれらのものは更に別種のものであり、実に感覚とは極めて別種のものであるからである、そして人は真であるそれらのものを信じ、かくて進んで真理の道に立とうとしない限り、彼は決して天界へ入れられることは出来ないのである。