ヴァッスーラ(1942〜)

1.   はじめに

2.   参考文献

3.   第二の聖霊降臨とは

4.   1999年夏の講演会

5.2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件の予告

6.聖母マリアについて

 

神のうちの真のいのち]

 

1.  はじめに

今現在、主イエスからの啓示を受けている現代の預言者。

平凡な主婦であった彼女は最初主を拒みますが、

主は彼女を救い出したのはご自分であることを教え、

彼女に現代の教会の分裂がいかにご自分の心を傷つけているかを訴え、

教会の一致のためにご自分のメッセージを伝えるよう依頼します。

 

スウェーデンボルグが主からの啓示を受け

主を三人称で伝えた本が「再臨の書」であるならば

これは主ご自身が私たちに一人称で語り掛けられる、

まさに主、直接の「再臨の書」。主の聖言。

 

・・・・

 

2.  参考文献:

すべて天使館発行/

『神のうちの真のいのち』」/1〜10巻 /ヴァッスーラ著

『私の天使ダニエル』/ヴァッスーラ著

『あなたは預言を無視しますか 現代の預言者ヴァッスーラに聞く』/ジャック・ネランク著

らんぷのあぶら創刊準備号 『特集ヴァッスーラに聞く』(聞き手:ひろさちや)

ランプのあぶら1『花むこから花嫁への呼びかけ・ヴァッスーラの証の記録』

 

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3.第二の聖霊降臨とは

(ランプのあぶら1・『花むこから花嫁への呼びかけ・

ヴァッスーラの証の記録』P12〜14から抜粋)

 

「一つ、預言について話しましょう。神が預言をお与えになるとき、

特に聖書的なことばで預言をお与えになるとき、それが霊的な意味あいか

物質的なことを言っておられるかを識別するのは大変難しいのです。

ですから、理解する光を主がお与え下さり、はっきり教えられるまでは、

そのことばを決して断定したり、説明しようとはしません。

 

もう長年にわたってずっと、イエスは第二の聖霊降臨について

話しておられたのです。教会を刷新するために、これまでの歴史上かつて

なかったほど人類全体に聖霊がふり注がれると。黙示録21章も読むように

おっしゃり、その中のみことばを説明して下さいました。

新しい天、新しい地、新しい町エルサレムについて書かれた個所です。

イエスはこの聖書の個所を説明なさる前に、「ヴァッスーラ、来て書きなさい」とは

言わないで「町よ、来て書きなさい」とおっしゃいました。

さて、なぜ私ではなく町なのかと自問しましたが、すぐに分らせて下さいました。

主は私たちのうちに住まわれるので、私たち自身が町と呼ばれても不思議は

ないからです。私たちは、旧約時代のような幕屋でもありうるわけです。

一つの庭園、そして主の住まわれる天国にも変容することもできるのです。

イエスとご一緒に黙示録21章を読みながら、そのことを理解させていただきました。

その時は書くのが待ちきれないほど、心が興奮し、急いで書き下ろそうとしましたら、

可笑しそうに、イエスは「なぜそんなに急ぐのか?まだあなたから離れるつもりはない」

とおっしゃいました。そして、主はみことばを下さり、こうおっしゃっています。

これは第二の聖霊降臨についてですが、新しい天は私たちのうちにある、と。

どういう意味かをひと言で説明しましょう。

主が言われます、「今日のあなた方の心はやみ夜のようです、

しかし、ひとたび聖霊が注がれるなら、聖霊はあなたのうちで

何千ものまばゆい星座のように輝こう。」

そして新しい地上も、私たちのうちにあるのです。

今日の私たちは乾いた砂漠のようで、霊魂は飢饉に遭っているかのようだと主は

言われますが、聖霊が降って来られると、天来の種を蒔いていかれ、

この砂漠はエデンの園に変えられます。

それが霊によって刷新された私たちのうちなる新しい天となるのです。

そして町とは私たち自身であり、私たちは新しいエルサレムなのです。

すべては私たちのうちで新しくなるからです。このように聖霊は

私たちを新たにし、変容させる準備をしておられます。

 

第二の聖霊降臨は、聖霊が突然来られて私たちを変えられるか、あるいは

少しずつ変えていかれるのか、私はまだ理解していませんでした。

ところがある日、主はこう教えて下さいました、「第二の聖霊降臨はすでに

個人個人に個別に始まっている」と。何が個別的に起きているかは、

まだ分りませんでした。しかしある日ビデオの作成中に、ある話をしている中で

主は理解の光を下さいました。その時、第二の聖霊降臨は個別的に訪れることが

分りました。ある日、突然大勢の人びとの上に起こるのではなく、

個人個人に起こるのだと。ある人が第二の聖霊降臨を受けたかどうかを、

どう見分けたらよいのでしょう?そこには違いがあるのです。

 

第二の聖霊降臨のような聖霊をいただくと、その人には明らかなしるしが

現われます。その人は大きく変容し、サマリアの女のように出て行って真理を

宣言しようと熱烈に燃え立ち、自分の足で駆けて行き皆に伝えるのです。

こうやって、本当に変容された人を見分けることができるのです。

その上、この人びとは心に熱い炎が燃え立つあまり、皆とそれを

分かち合いたいと望みます。イエスが譬え話でおっしゃっているように、

真珠を発見したかのようです。そしてこの真珠を手放したくないばかりに、

自分の持ち物すべてを売り払うことも辞さない。神のみ国を発見したのです。

 

こういったことが今の時代には起きています。

そして私はそれを目の当たりにしているのです。私はたくさん旅をしますが、

霊によって触れていただいたこのような熱意ある人びとと世界中で出会います。

そしてゆっくりとですが、教会は確実に刷新されているのです。

これが第二の聖霊降臨です。」

 

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4.1999年夏の講演会

実際のヴァッスーラを私は1999年の夏、講演会で見ました。

彼女の本を見かけて買おうとすると、今週の土曜日に彼女が日本に来て、

講演会をするとご親切に教えて下さる方がいて参加したのです。

彼女はギリシャ正教徒ですが、会場にはカトリックの神父さまやシスターたちも

たくさん来ていました。殆ど全員がカトリックの信者と見受けました。

 

彼女は英語で話すのですが、私は全く分からないので通訳で聞いていました。

しかし、落ち着いていて静かながら、よく抑制された熱心さと

善意と率直さ・純真さと知性を感じました。女性ながら相当な試練を

経てきた魂であると驚くと同時に、とても良い印象を受けました。

 

終わってから私は彼女と握手する機会を与えられました。

神の言葉を書き下ろす手と、主に触れもしたであろうその手と握手したのだと、

私は感無量でした。あの時主は下僕を顧み、憐れみを賜れたのでしょう。

主からのメッセージを伝えるあの会場に主がご不在だった訳はありません。

 

 

5.2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件の予告

 

さて、2001年9月11日にアメリカでの同時多発テロ事件が

起こりました。実はちょうど10年前のその日、ヴァッスーラの予言にそのことを

想わせることが書かれていることを最近教えていただきました。

 

1991・9・11

(ヴァッスーラ):主よ、私は天を臨み、天のことを探し求めます。平安を感じて歓びが

湧くよう、み顔を探し求めます。観想の祈りができますように、

み顔を探し求めます。

 

(主):そして私としては 我が目で今日の世界を見おろし、国たみの間を

たずね歩き、霊魂を次々と調べては 温かみ、寛大さと 愛が少しでもないかと

探し求めている、だが極めてわずかな人しか 私の好意に浴していない。

ほんのわずかしか わざわざ聖なる生き方をしようとは思っていない。

しかし日々は過ぎ去り大いなる裁きの日まで時間は数えられている。

私の町々(*)は娼婦の町になってしまった!無惨にも!悪魔たちの要塞と化し!

中は、虫に喰われて 腐り果て!毒蛇とサソリの隠れ家になっている!

我が清めの火をこれら反逆の徒に どうして吹きかけないでおられよう?・・・

 

(*ヴァッスーラ注):町々をここでは:「霊魂」を意味して、神は用いておられます。

 

(イエスは突然声の調子が変わられ、数秒間をあけて、

私を畏怖させるような重々しい調子でこう言われました:)

 

―地上は震え戦(おのの)こう―そして塔のようにそそり立つ悪は

どれも崩れて塵の山となり 罪咎(つみとが)の埃の中に埋もれよう!

天上では、天が揺さぶられ 地の基(もとい)が揺れ動く!

御父のみ手が冬に下されないように 祈りなさい。

島々、海と大陸は 雷鳴と炎をともない、思いがけない時に 私の訪れを受ける。

私の最後の予告の言葉を注意して聴き、まだ時のあるうちに耳を澄ましなさい。

私どものメッセージ(*)を読み、天が語っている時は もうこれ以上軽蔑して

耳を貸さないままではいないように、声を低くするなら

私どもの声が聞こえてこよう。判断を下す前によく考えなさい。

聖霊の御わざを批判する前に さらによく考えなさい。

聖霊を嘲り おおやけに冒瀆する者は誰も容赦しない。

義によって黄泉の国に落とされよう。

我が聖なる顔を探し求めて皆天をあおぎ 観想しなさい!

目を天に上げるなら 滅びない。

悔い改めなさい!そして御父に思いとどまっていただくよう 願いなさい。

間もなく、あとわずかしたら、天は開いて

審判者

をあなた方に示そう

 

(*)イエスとマリア、この二人の証し。

 

6.聖母マリアについて

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち8巻P136

人間よ!女性から生まれた者よ、太陽をまとった女性を尊びなさい!

ひ弱な人間よ!彼女の抱擁 そして我が独り子をエジプトまで

砂漠をこえて運んだ腕の中に 慰めを見いだすように。

その慈悲(いつくしみ)をもって私を尊んだ母を 尊びなさい、

私は、無論、彼女に 豊かな好意を示したではないか?

太陽をまとう女性にたいして 大いなることをした、そして我が霊に

覆われたその日以来、彼女はどの世代にも 祝された者と呼ばれてきた。

彼女を尊ぶのをやめた者たちには 恥と不名誉しかない。

これほど私が豊かな好意を現した女性への あなた方のあざけりこもった

言葉を 私はこころよく受け取ってはいない

そして各々を相応に取り扱う。

 

霊を高ぶらせないように、今やいっそう霊を遜らせ 聖母の取り次ぎを

願うときも嫌な顔は見せないように。私が彼女の願いを聴かないとは

誰が言うのか? カナでも あなたの母が執り成して下さったではないか?

あなたの霊が(*)今日拒んでいることを 霊では理解するようにと こうした

しるしが行われた。このしるしは 将来のあらゆる時代のために

与えられたもの。太陽をまとい、世界を満たす三たび聖なる、

我が聖霊をおびた女性は、神の母として位する。来なさい、我が娘よ、

最善を尽くすなら あとは私がする。ヤハウェが栄光のうちに 

祝福を与えよう。実りが いや増すように(**)

我が−独り子−の−目に−燃える炎よ、覚えておきなさい、

あなたは一人ではない、私がともにいる。

 

(*)神は 聖母を拒んで十分尊ばない人びとにだけ話しかけておられます。

(**)命令のようなおっしゃり方でした。

 

 

以上

 

天使館/天使のパン2013.09第13号P8

イスラエル巡礼最終日のスピーチ

 

「『ヴァッスーラ、ありがとう』という言葉を私はたくさん聞きました。ですが、むしろ神と聖母に感謝しなければなりません。覚えていらっしゃいますか?メッセージから私の名前を取り除いてあなたの名前をそこに入れるようにと神が最初に言われたことを?『神のうちの真のいのち』のメッセージは私だけのために与えられたのではありません。これは皆さん全員のために与えられました。私たちは皆キリストの弟子なのです。私たちは聖霊の炎を体験しました。それぞれの場所に戻ったら、皆にこの火を渡してください。この炎を燃やし続け、一致を行動に移してください。なぜなら、行いの伴わない信仰は無だからです。もし苦難を経験したとしても、勇気を持って下さい。神はこの一致を約束されました。神は私たち全員を一致させると約束され、私たちはそれを既に味わっています。これは一致の前触れなのです。ですから一致について話すことを恐れないでください、勇気を持って! 神は私たちとともにおられます!」

 

同P9

「私たちは目に見える形で、多様性における一致(Unity in diversity)をすでに実現しています。一致を語るだけでは不足です。これを目に見えるものとして実行に移してください。行動してください!」