スウェーデンボルグQ&A

 

 

スウェーデンボルグ・メモ

 

 

 

目次

1.スウェーデンボルグはニューソートですか?

 

 

 

 

 

1.スウェーデンボルグはニューソートですか?

 

 

<質問>:スウェーデンボルグはよくニューソートだとかスピリチュアルだとか言われますが、本当ですか?

 

 

<答え>:いいえ。それは間違いです。スウェーデンボルグは純然たるキリスト教です。彼の主張はイエス・キリストは父なる神御自身であること、私たちは主の掟を守ろうと努力すべきこと、この二つです。

 

キリストを唯一の神御自身とすることはキリスト教の大前提です。現代のキリスト教はカトリックもプロテスタントも主(イエス・キリスト)を父なる神御自身と認識していません。ですからそれらは形骸化しています。従って、スウェーデンボルグは従来のキリスト教よりはるかにキリスト教であり、キリスト教そのものと言えます。(2019.9.1)

 

 

2.スウェーデンボルグは汎神論性を唱え、その人格性を大幅に後退させたとあるのですが本当ですか?

 

<質問>ウィキペディアによると次のようにスウェーデンボルグは汎神論性を唱え、その人格性を大幅に後退させたとあるのですが本当ですか?

 

「スヴェーデンボリの神学論は伝統的な三位一体を「三神論」であるとして退け、キリスト教では異端とされるサベリウス派に近い、父が子なる神イエス・キリストとなり受難した、とするものである。但し聖霊を非人格的に解釈する点でサベリウス派と異なる。神の汎神性を唱え、その人格性を大幅に後退させており、旧来のキリスト教とは性格的・構造的に相違がある。聖書の範囲に関しても、正統信仰と大幅に異なる独自の解釈で知られる。」

 

<答え>間違いです。

スウェーデンボルグの何を汎神論と言っているのか意味が不明です。

 

以下の汎神論の説明もウィキペディアからです。

 

「汎神論においては、一切のものは神の顕現であるとされる[2]。あるいは世界における神の内在や遍在が強調される。一切のものと神とを一元論的に理解しようとする汎神論においては、理論上、神は非人格的原理としてのそれである場合が多いが、人格神を立てる有神論的宗教の理論的思弁や神秘主義、あるいは祭祀上の習合からも汎神論的傾向が生じる[3]

 

汎神論は歴史上それ自体として存立したものではなく、さまざまな宗教のなかにみられる一定の傾向であり[3]、汎神論的態度は古代・中世にもあったが、ヨーロッパで頻出するようになるのは16世紀以降である[1]。英語の pantheism (パンセイズム)は、ギリシア語の pan(全て)と theos(神)の合成語で、文字どおり「全ては神」で「神は全て」を意味する[4]。つまり神と一切万物(または宇宙・世界・自然)とが同一であるとする思想であるが、一口に汎神論といってもさまざまな形態がある。一方では「神が全てである」ことを強調する無宇宙論 (acosmism) があり、他方では「森羅万象が神である」ことを強調する汎宇宙論(pancosmism)がある。後者の立場は一種の唯物論に通じ、神の非人格性が顕著であるため無神論的とされる場合がある[3]。ドイツの哲学者KCF・クラウゼ(英語版)は、万物を神の内包と捉える万有在神論 (panentheism) を主張した[3]。」

 

 

「神と一切万物(または宇宙・世界・自然)とが同一であるという思想」が汎神論だとすると、スウェーデンボルグは全くそうではありません。

 

彼は神を万物の創造主としており、その方が主イエス・キリストとなってこの世に来られたと言います。神は万物の創造主ですから、被造物とは違います。その被造物と神が同一であることは有り得ません。

 

 

「その人格性を大幅に後退させており」とウィキペディアでは言っていますが、スウェーデンボルグは父なる神は人間の姿をした主イエス・キリストであると主張しているのであって、神は人格神そのものです。「人格性を大幅に後退させた」のではなく、逆に人格性を増進させたのです。従ってその考えは全く間違っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その人格性を大幅に後退させており