宗教改革
聖書110
この凡てから改革派の教会に存在している聖言が霊的な連なり〔伝達〕によって凡ゆる諸国民や諸民族を明るくしていることが明白であり、また聖言が読まれ、従って主が知られている教会が絶えず地上に在るように主により配慮されている〔供えられている〕こともまた明白である。こうした理由から教皇派により聖言が殆ど完全に斥けられたとき、主の神的摂理の下に宗教改革が生まれて、それにより聖言が再び受けられたのであり、また同じく聖言は教皇派の中の高貴な民族により聖いものとして考えられているのである。
新しい教会の教典24
宗教改革が行なわれた理由[原因]は、埋もれてしまった聖言が世に回復されるためであった。数世紀に亘ってそれは世に在ったものの、遂にはそれはロマ カトリックにより埋葬されてしまい、かくて教会の真理は一つとしてそこから明らかにされることは出来なかったのである。かくて主は知られることは出来なくなった、教皇[法王]が主に代わって神として拝されたのである。しかし聖言がその墓から引き出された後は、主は知られることが出来、真理はそこから引き出されることが出来、天界との連結が与えられることが出来たのである。そうした目的のために主は極めて多くの人間を同時におこされて、彼らは戦ったのである。主はスウェーデン、デンマーク、オランダ、イギリスを、彼らが(主を)受け入れるように、起こされたのであり、(聖言が)法王のためにドイツで抹消されないように、グスタフス アドルフス(Gustavus Adolphus)を起こされ、彼は宗教改革のために立ち上がって、(法王に)反抗して立ち上がったのである。