われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え

 

 

 

 

1.マリア・ワルトルタ

2.赦す

 

 

 

 

1.マリア・ワルトルタ

 

マリア・ヴァルトルタ/「手記」/渡邊義愛訳/天使館/P115

‘43年7月7日

 

『我らが人に赦すごとく、我らの罪を赦したまえ』。

 創造された人間の中で、の子であるという自らの資格をよいことに、多少とも重大な罪をから赦してもらわずに済ました者は、わたしのを除いて誰もいない。彼に負い目のある者たちの員数から、あなたたちを帳消しにしてください、とに祈りなさい。謙遜、誠実、砕かれた心をもってそう懇願するなら、永遠者はそれを聞き届けてくださる。

 

 しかし、から赦していただくには、赦されるための本質的条件として、あなたたちがまず自分に負い目のある者を赦さねばならない。あなたたちが隣人に寛恕と慈しみを拒むなら、永遠者の赦しを受けることはなかろう。は、偽善と、人に対してつれない者を愛されないし、兄弟への赦しを拒む者は、己れ自身へのの赦しを拒むのである。

 

 その上に、たとえあなたたちがどれほど隣人から傷つけられたとしても、あなたたちがに負わせた傷は、それよりも限りなく重大であることを、よくよく考えなさい。この思いが、わたしの完全さゆえに、またあなたたちに人を赦すことを教えるために、わたしが赦したように、すべてを赦すようあなたたちを仕向けるように。

 

 

 

主の祈り/マリア・ヴァルトルタの「手記」より/天使館

1943年7月7日

 

われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え

 

 創造された人間の中で、私の母以外の誰も、多かれ少なかれ重大な罪を、御父から赦してもらわずに済んだ者は一人もいない。ただし、神の子としての器によって、赦される程度は異なっているが・・・。だから、負い目のある者たちの帳簿から、あなたの名前を消してもらうよう、御父に願いなさい。もし、あなたが謙遜、誠実、痛悔の心をもって願うなら、永遠の御父は、あなたにとって良いように計らってくださるであろう。

 しかし、神から赦しを受けるための絶対的条件は、まず人を赦すことである。もし、あなたたちが、神に憐れみだけを求めて、隣人に対して憐れみを拒むなら、あなたたちは神の赦しを受けることはないであろう。神は偽善者や冷酷な者を嫌われる。また兄弟を赦さない者に対しても、御父はその人を赦すことはない。

 

 更に、あなたたちが隣人からどのように傷つけられようとも、あなたたちが神に負わせた傷は、それよりもはるかに深いことを良く考えなさい。このことを思いめぐらすことで、私が完徳によって赦したように、また、赦すことを教えたように、すべてを赦すようにしなさい。

 

 

増補『主の祈り』/マリア・ヴァルトルタの「手記」より/天使館

マリア・ヴァルトルタ/『私に啓示された福音』第3巻中/天使館

1945年6月28日

 

『わたしたちに負い目のある人をわたしたちが赦すように、わたしたちの負い目を赦してください』。

 

 物質的負い目と霊的負い目があります。道徳的負い目もあります。借りた金銭あるいは物品は、物質的負い目であり、返却しなければなりません。騙したり暴力を使って持ち去り、返却していない他人の資産、商品や望まれる愛に応じないのは道徳的負い目です。神に多くを要求しながら、その神への従順と彼に対する愛は僅かしか返していない、これは霊的負い目です。わたしたちを愛してくださる彼は愛されるべきであり、同様に、多くのものを要求される一人の母、一人の妻、一人の子は愛されるべきです。エゴイストは欲しがりますが与えません。しかしエゴイストは天の対蹠地点にいます。わたしたちは皆に負い目があります。神から両親と家族に、家族から友人に、友人から隣人に、隣人から使用人と奴隷に至るまで。皆、わたしたちのような存在だからです。赦さない者は災いです!赦されないでしょうから。神は正義ゆえに、もし人がその隣人を赦さないなら、至聖なる彼には、その人の負い目を赦すことは出来ないのです。