クェーカー教徒

 

 

 

 

クェーカ教徒について

霊界日記3762

 

 クェーカ教徒の霊たちと話し合ったが、彼らは前面の多少高い所にいるのである。彼らはそこから私と話して、自分らは永遠から霊である、と言ったが、彼らには、永遠からは一人の霊も存在しないと答えることが与えられ、あなたらは、あなたら自身に新しい霊たちを仲間に加えたことから、自分らが人間であったことを知らないのですか、彼らもまたあなたらと共に聖霊となりもすることを知らないのですか、永遠からはただ一人の存在しか、聖い、または聖さそのものであられる主のみしかおられないことを知らないのですか、と尋ねた。そして私が、その方から善と真理の一切が、無垢の一切が、平安の一切が、慈悲の一切が発している、と言ったとき、彼らは、彼らに考える能力を与えるものが内に在るかのようにも、彼ら自身の中で後退した。彼らは実際最初は、そのことは彼ら自身から発しているとは言ったが、しかししまいには、それは他の源泉から発していると告白したが、それが何処からであるかは知らなかった。しかしながらそのことは彼らの嘘であった、なぜなら私は、彼らの信念は以下のものであることを認めたからである、すなわち、彼らは彼ら自身から生きており、考えており、話しており、従って彼ら自身で凡ゆることを行うことが出来るのであり、それで彼らは多くのことを試みはしたが、しかし秘かにに試みたのである、なぜなら彼らは秘かに行動しており、それでいかような霊も殆ど彼らから発しているものを摘発することが出来ないからであるが、しかし彼らは全くはそれを隠すことは出来ないのである。ついに、彼らは自分らは凡ゆることを行うことが出来ると言ったものの、人間であったことを示されても、自分ら自身が聖徒であると自慢するため、彼らは私自身と他の者たちから醜悪な霊として、糞のゆな、死骸のような、極めて汚れた霊よりも遥かに冒涜的な霊として、忌まわしい排泄物以外の何ものでもないものとして露な声で公表され、そのことが彼らに公然と言われたが、彼らの中では一人も答えることも出来なかったのである。

 

 

 

霊界日記3764

 

 これらの者はまた低い階級のクェーカ教徒の霊に働きかけており、この低い階級の者らは、生命から去ると、凡ての者がその偶像のもとへ流れ込むように、彼らのもとへ流れ込み、彼らにより導かれるのである。彼らは依然、生きている間に行ったように、たれにも何ごとも言わないように彼らをけしかけ、かくして他の霊たちのスフィアよりもさらに吐き気を催すほどにも悪臭を放つスフィアを創造り出すため、それで他の者たちは彼らのもとに留まることは出来ないで、余儀なく離れてしまい、凡ゆる交渉を禁じられるのである。

 

 

霊界日記3765

 

 彼らはいかような種類の礼拝をクェーカ教徒に生み出したかが明らかにされたが、それは彼ら自身にのみ知られていて、他の凡ての者からは用心して隠されているが、その礼拝は、もしキリスト教徒らがそれを知るなら、彼らは社会から追放されて、森の獣の間にのみ生きることを許されるほどにも邪悪で、忌まわしい、憎むべきものである。

 

 

霊界日記3766

 

 彼らは下劣にも妻を共有しており、彼らの妻は、自分は悪魔にとりつかれており、その悪魔からは、自分は、聖霊の働きを受けた者が自分と同衾しなくては自由にされることは出来ない、と言うのである。すると彼らは呼ばれて、テーブルに坐るが、そのことが私に表象されたのであり、彼らは聖霊の働きを持ち、彼ら自身の霊の働きを感じると、自身は聖霊に掻き立てられて、その妻と同衾する者である、と言い、そのことをやってのけ、かくして、彼らの言うところでは、悪魔は放逐され、妻は聖霊を得、かくてまた、妻はその罪を赦されるが、しかもそのことは憎むべき姦淫により赦されるのである。彼らの礼拝は、または聖いものは、それで、下劣な姦淫から成っており、かくて彼らの女は罪を赦されるのみでなく、これらの男は女たちに聖いものを伝え、注ぎ入れ、また帰しもするのである。妻が他の者にもまさって好むような人物がこうした目的のために、その夫がその場に居合わせている間にも、招かれる。彼女はその同じ室の中でベッドに臥していて、悪魔にとりつかれていると告白し、たれか聖霊の働きを受けている者により救い出されることを求めるが、これらの者はその集会所におけるように、霊の流入を待った後で、自分がその人物であると言い、同衾が行われ、かくてそのことが無差別に行われるのである。

 

 

霊界日記3768

 

 彼らは、そのことはいかに忌まわしいことであることか、と言われた、なぜなら四つよりは少なくはないけしからぬ無法なことがその行為の中に共に働いているからである、先ず、妻を共有することは最も唾棄すべき姦淫を伴っており、第二に、彼らはそのことを神聖の仮面の下に行い、聖いものを最も冒涜的なものの間におき、悪魔は追い出されたと見せかけている間に、悪魔は実際入り込んでおり、第三に、彼らは、このように罪は赦されたと言うことにより良心の拘束をことごとくゆるめてしまい、彼らがたれ一人未だ考え付くことも出来ない下劣なくずとなっていることはそのことに起因しており、第四に、かくて霊どもは人間を通してその人間の女と交渉を持つのである、なぜなら霊らは形体的な事柄においては、例えば、話したり、食べたり、歩いたり、婚姻の関係を持ったりすることにおいて人間の役割を演じるほどには人間を決して支配はしないのであり、こうした事は共通の〔全般的な〕努力から流れ入っていて、彼らは専ら思考へ欲念へ働きかけはするが、決してこうした形体的な事柄へは働きかけはしないからである、それでこうした同衾はソドム人のそれよりも遥かに忌まわしいのである―こうした凡てのことが自分は聖霊であると言っている彼らのそうした霊らに今言われているが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これに対し彼らは何ら答えはしないし、また答えることも出来ないのである。以下のことを知ることも与えられたのである、すなわち、彼らが女と同衾している際に、殆ど何らの知覚も覚えないで、殆ど我を忘れるほどにも彼らの聖霊により操られるのである。ここからまた彼らはその女たちが聖霊を得たか否かを、すなわち、その女たちが悪魔を手に入れたとき、結論づけるのである。これが彼らの聖餐の秘蹟であるが、その真理を彼らは斥けており、そのことがまた私に表象されたのである。

 

 

クェーカ教徒の家族について

霊界日記3790

 

 

クェーカ教徒について

霊界日記3793

 

 

霊界日記3794

 

 彼らはその妻たちを共有することとその唾棄すべき、醜悪な姦淫について前に話されたため、彼らは凡ゆる手段を弄してそれを合法的なものにしようと試み、為し得る限り、その秘かな方法で、そのことをやってのけ、またその下劣なことを良心の事柄ともして、その憎むべき姦淫の言い訳をしようとし、ときとして、彼らは妻であり、それで自分らは合法的に妻を処置することが出来ると仄めかし、さらに、それは契約〔約束ごと〕であり、結婚は契約により行われる、と言ってのけもした。しかし以下のことを暗示することが与えられた、すなわち、良心の主要な拘束〔束縛〕は結婚のそれである、なぜなら人類の繁殖は地上の社会の、引いては、天界の社会の第一次的な苗床であるのみでなく、そこから凡ゆる結合体はその起源を得ており、また以下のことも充分明らかであるからである、すなわち、婚姻愛は凡ゆる愛の、引いては結合の原理である。

 

 

霊界日記3795

 

 なぜなら地上の血縁関係と親族関係とは結婚からその起源を得ており、そこから両親、子供、兄弟、姉妹、親類、親戚は遠いにしろ近いにしろ、その名称を受けており、そのことは天界でも同様であり、そこでは天界と教会とに対する主の愛は結婚に譬えられ、そこから婚姻愛〔結婚愛〕は根元的な原理であり、またそこから凡ゆる愛はその起源を得、派生しており、同じように派生している愛である血縁関係と親族関係を形作っているからである。ここから今や良心の主要な〔第一次的な〕拘束は婚姻愛に基礎ずけられていることが明らかである。

 

 

霊界日記3796

 

彼らは狡猾にも、妻を共有しても子孫の繁殖は依然起っている、と暗示した。しかしソドムの人々の間にも同じように子孫は繁殖したが、しかしそれはいかに嫌悪すべきものであるかは、あなたらは充分に知っているのである、と答えられた。1748年〔60歳〕11月1日。

 

 

クェーカ教徒の霊らについて

霊界日記3797

 

 

クェーカ教徒について

 

霊界日記6076