御顔の前から逃げる
光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ(3・19)/
イザヤ2・10
岩の間に入り、塵の中に隠れよ
主の恐るべき御顔と、威光の輝きとを避けて。
黙示録6・15−17
地上の王、高官、千人隊長、富める者、力ある者、また、奴隷も自由な身分の者もことごとく、洞穴や山の岩間に隠れ、 山と岩に向かって、「わたしたちの上に覆いかぶさって、玉座に座っておられる方の顔と小羊の怒りから、わたしたちをかくまってくれ」と言った。神と小羊の怒りの大いなる日が来たからである。だれがそれに耐えられるであろうか。
霊界日記1961
主の天界が直接に悪い者を凝視するとき、こうした苛責が生み出されることは驚くべき事実であり、大半の人々には把握されることは出来ないのであり、彼らはそれを背理として認めるのである、すなわち、主が特別に臨在されることが明らかに示されるときは、こうした種類の苦悶と拷問とが続いて起り、モーセが民数記10・35に言っているように、その際主の『敵は散らされ』、『主を憎悪する者らはその御顔の前から逃げるのである』が、それでもその臨在が明らかに示されることによっては、悪は何一つもたらされるのではなくて、善のみがもたらされるのであって、それは極めて豊かな憐れみを抱いているのである。ここから人間はまたは霊自身がその者自身の悪、拷問、死の原因であることが明らかとなるであろう。1748年〔60歳〕5月15日