瞑想

 

 

祈り

 

 

 

 

 

1.霊の思考

2.書く瞑想

3.サンダー・シング

 

 

 

 

 

1.霊の思考

 

神の愛と知恵404

 

特に人間が他の者と交わっている場合のように、その霊が身体の中に考えている時は、彼は明らかに示された思考にいるが、しかし真理の理解に対する情愛にいて、それを通して真理の認識へ入ると、瞑想という、霊の思考の中におり、その思考は実際身体の思考へ移るが、沈黙した思考へ移るのである。何故ならそれは身体的な思考の上に在って、記憶から発した思考に属する物をそれ自身の下に在るものとして眺め、そこから結論かまたは確証かを引き出すからである。しかし真理に対する情愛は、瞑想の内部にその生命として存在していて殆ど注意されないところの快い物から発した意志の圧力としてしか認められない。この凡てから今や、真理に対する情愛、真理の認識、思考の、この三つのものは愛から秩序をもって連続し、理解の中にのみ存在することが認められることが出来よう。

 

 

 

 

2.書く瞑想

 

 

春秋社/マリア・ヴァルトルタ/自叙伝/P342

 

 私があなたにお話しし損なったもう一つのことは、私が書くことで瞑想する習慣を手に入れたことです。このことから霊的な恩恵を大変受けてきました。書くことは瞑想の主題に精神を集中させますし、また、精神的不毛のときに、書いたことを最読できるという利点があります。もし瞑想がいつでも有益であるなら、書かれた瞑想は、二倍有益だと思います。それは瞑想の能力を十倍に高め、内なる光を増大させます。

 

 

 

 

3.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P149

 

脳は多くの繊細な感覚を備えた実に敏感な器官で、瞑想中にみえざる世界からの情報を受けとり、普通の人間をはるかに超えたアイデアを刺激する。脳がこのようなアイデアを生むのではなく、上にあるみえざる霊界からこれを受け、人間にわかりやすい言語に変換するのである。夢の中でこうしたメッセージを受ける人もいれば、異象の中で受ける人もおり、また瞑想中の覚めた時間に受ける人もいる。

 祈りは、こうして得られた情報の中から有用なものと無用なものとをふるい分ける。真の祈りの中で神からの光が解き放たれ、良心、倫理観の座である霊魂の最奥部、一番敏感な部分を照らすからである。色鮮やかな色彩、心地よい音楽その他、見えざる世界からの素晴らしい光景や音色が、脳の内部で反射される。画家や詩人は、その本当の源を理解することもなく、彼らを打つこうした見えざる実在を詩や絵に写そうと試みるが、瞑想する人はこうした実在のいわば核心部に触れて無上の歓びを味わうのである。それらの出所である霊界と本人の霊魂とが密になっているからである。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P151

 

現世はみえざる世界の写し、物質的形に現された霊界といってもいい。そこで、人は二世界の類似に絶えず影響されている。われわれを瞑想に十分な時間を費やすときに、この二世界のつながりがますますもって明らかになってくる。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P151

 

瞑想中に霊魂の真の状態が開示されてくる。このようなときに、わたしたちはある意味で神に語りかけていただき、もっとも豊かな祝福を与えていただく機会をもつ。

われわれがどう考えようと、どのような思いも、言葉も、行ないも決して拭い去られることはない。それは魂に刻印される。いいかえれば、「生命の書」に記録されるのである。瞑想を通して、人は神を畏怖し愛する中で何事もできるようになり、未来の至福と苦しみがかかっている「生命の書」の記載事項を清く保つことができる。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P151

 

人は恐怖や怒り、狂気の中で途方もない力を発揮し、鉄の鎖を断ち切ることさえする。このような力はもともと人間に備わっているものなのだが、体の全エネルギーが一点に集中されたときにのみ発揮されるのである。同じように、瞑想において人の力は神力によって強められ、罪の呪縛を断ち切り立派で有用な働きをするようになる。同時に、この神与の力は、誤用されれば非常に危険なものとなる。爆弾、機関銃、大砲の何と強力なことか。また、何と破壊的で危険なことか!

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P152

 

あるとき、わたしは一輪の花をみて、その香りと美しさを想い始めた。さらに想いを深めるにつれ、目から隠されている被造物の背後にいる創造主をみた。このことはわたしを歓ばせたが、神がわたし自身の霊魂を通してお働きになっているのをみたとき、歓びはいっそう高まり、わたしは叫ばずにはいられなかった。「ああ神よ、あなたは何と素晴らしいお方でしょう。あなたは離れていながらも、その輝かしい臨在で被造物を満たしておいでです」