天の国はこのような者たちのものである

マタイ19・14

 

これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました(マタイ11・25)

 

 

 

マタイ19・13−15

 

そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。

 

 

マルコ10・13〜16

 

「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。『子供たちをわたしのところに来させなさい、妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。』そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。」

 

 

ルカ18・15−17

 

 イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。

 しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」

 

 

天界の秘義1616[4]

 

主はこのようにして幼児の天的なものの中へ絶えず進まれたのである、なぜなら、前に言ったように、愛にぞくした天的なものは幼児の最初期から子供時代にかけて、また青年期にかけて、徐々に浸透するからである。もしその人間が再生することができるようなものであるなら、これらの知識はそのとき愛と仁慈にぞくした天的なものに満たされ、かくてその人間が幼少の頃から子供時代と青年期にかけて与えられてきた天的なものの中に植えつけられ、かくしてかれの外なる人はかれの内なる人に連結するのである。これらの知識は先ずかれが青年時代に与えられた天的なものの中に植えつけられ、次にかれが子供時代に与えられたものの中に植えつけられ、最後にかれが幼少の頃に与えられたものの中に植えつけられるのであって、そのときかれは主から『神の国はこうした者の国である』と言われた『小さな子供』となるのである。この植えつけられることは主のみにより行われるのであって、そうした理由から主から発していない、また主のものでない天的なものは一つとして人間のもとにはありえないのであり、またあり得るはずもないのである。

 

 

ヴァッスーラ

私の天使ダニエルP61

 

神父さまが私に、あなたなら私を教会から放り出し、たとえ教会の戸を叩いてもあなたは断ることがおできだから 開けないだろう、と仰った時 どうお感じでしたか。

 

泣いた。 顔を手に埋め 泣いていた。 私の教会はどの人のためでもある。 私の戸を叩く者は誰であっても歓迎する。 私、イエスが、戸を開く。 私はあなたを愛している贖い主です。