私の母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。

マタイ12・48

 

カナの婚礼(ヨハネ2・1−11)

見かけ上の否定

 

 

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.マリア・ワルトルタ

 

 

 

 

1.聖書

 

 

マタイ12・46−50

 

 イエスがなお群集に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。そこで、ある人がイエスに、御覧なさい、母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行なう人がわたしの兄弟、姉妹、また母である。」

 

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義2649[2]

 

 主が母から得られた最初の人間的なものが分離したことが、今以下に記されており、ついにはそれが充分に[完全に]除かれたことが記されているため、以下のことを知っておかなくてはならない。すなわち、主は徐々にまた絶える時も無く、実にその栄光を受けられた[その栄化されたもうた]その生涯の終りに至るまでも、単に人間的なものであったものを、すなわち、主が母から取得されたものを御自身から分離し、脱ぎ棄てられ、遂には主は、妊娠の方面ばかりでなく、出生の方面でも、最早彼女の息子ではなくなられて、神の御子となられ、かくて父と一つのものになられ、実にエホバ御自身となられたのである。主が母から来ている人間的なものをことごとく御自身から分離し、脱ぎ棄てられ、かくてもはや彼女の子ではあられなかったことは、ヨハネ伝の主の御言葉から明白である。―

 

 葡萄酒が尽きた時、イエスの母はかれに言った、葡萄酒がありません。イエスは彼女に言われた、女よ、わたしとあなたとに何(のかかわり)がありますか(ヨハネ2・3,4)。

 

マタイ伝には―

 

或る者が言った。見よ、あなたの母と兄弟が外に立って、あなたに語ろうと求めています。しかしイエスは、かれに語った者に答えて言われた、わたしの母とはたれですか、わたしの兄弟とはたれですか。そして手を弟子たちの方に伸ばして、言われた、見よ、わたしの母を、わたしの兄弟を、たれでも天におられるわたしの父の御意志を行う者、その者がわたしの兄弟、わたしの姉妹、また母である(マタイ12・47−50)

 

ルカ伝には―

 

或る女の人が群集の中から声を張り上げて、かれに言った、何と祝福されていることでしょう。あなたを生んだ胎と、あなたが乳を吸われた胸とは、と。しかしイエスは言われた、何と祝福されていることであろう、神の聖言を聞いて、それを守る者たちよ!」(ルカ11・27、28)。

 

 

 

天界の秘義2649[]

 

ここに、その女が主の母について語った時、主は前に記された者について語られたのである。すなわち、『たれでもわたしの父の御意志を行う者、その者がわたしの兄弟、わたしの姉妹また母である』。これは以下の御言葉と同一である。『何と祝福されていることであろう。神の聖言を聞いて、それを守る者たちよ!』。ヨハネ伝には―

 

 イエスはその母とその愛された弟子とが近くに立っているのを見られて、その母に言われた。『女よ、あなたの息子をごらんなさい』。それからかれは弟子に言われた。ごらん、あなたの母を、それでその時からその弟子は彼女を彼自身の家に引き取った(ヨハネ19・26,27)。

 

これらの言葉から主は、彼女が十字架の上の主を眺めた時のその彼女の思いに従って、彼女に話されはしたが、そのときですらも彼女を母とは呼ばれないで、『女』と呼ばれ、母の名を弟子により意味されている者たちに移されたことが明白であって、そうした理由から主はその弟子に『ごらんなさい。あなたの母を』と言われたのである。このことはマタイ伝の主御自身の御言葉からさらに明らかである―

 

 イエスはパリサイ人にたずねて、言われた。あなたたちはキリストをいかように考えますか、かれは誰の子ですか。かれらはかれに言う、ダビデの子です。かれは彼らに言われる。それならどうしてダビデは霊の中でかれを主と呼ぶのですか、かれはこのように言っています。すなわち、主はわが主に言われた。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、あなたはわたしの右手に座りなさい、と、それでもしダビデがかれを主と呼んでいるなら、かれはどうしてかれの子でしょうか。それでたれ一人かれに一言も答えることができなかった(マタイ22・41−46、マルコ12・35−37、ルカ20・42−44)。

 

かくてかれはその肉の方面では、もはやダビデの子ではあられなかったのである。

 

 

 

天界の秘義2649[]

 

 さらに、母の人間的なものを分離し、脱ぎ去ることについては、主の人間的なものについては単に形体的な観念を抱くのみで、それを他の人間の人間的なものを考えるようにしか考えない者はそのことを把握しないのであり、かくてこれらの事柄はこうした者らを躓かせるものとなるのである。彼らは、生命があるままにその人間があることを、生命の神的エッセ(存在)またはエホバは妊娠から主の中に存在したことを、またそれに類似した生命のエッセが結合により主の人間的なものの中に発生してことを知らないのである。

 

 

 

 

3.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ヴァルトルタ/天使館/第4巻中/P230

 

 そしてペトロ、ヨハネ、ロ・ゼロテ、アルファイの息子二人はこのざわめきに気づきイエズスに言う、「先生、あなたの母上と兄弟たちがいらっしゃいます。あちらの、外の路上に。何かあなたにお話があるようで、あなたを捜しています。彼らがあなたの許に来れるように道を開けろと群集にお命じ下さい、あなたを捜してここまで来た何か重大な理由がきっとあるのでしょうから」。

 イエズスは頭を上げ、群集の奥に泣くまいとして格闘するの苦悩と不安に満ちた顔と、その間にもアルファイのヨセフが激した口調で彼女に話しているのを見、ヨセフのしつっこい主張にもかかわらず彼女の繰り返される、精力的な拒絶のしるしを見る。シモンの困惑した、明白にひどく心を痛めている、愛想をつかした顔も見る・・・だが微笑みもせず、また何も命令しない。その悲嘆にくれる女(ひと)をその悲しみのまま放置し、二人の従兄弟たちをそのいる所に放置する。

 群集の上に目を伏せ、近くにいる使徒たちに答えつつ、義務よりも血縁に値打ちをもたせようと試みるあの遠くにいる人たちにも答える。「わたしのとは誰ですか? わたしの兄弟とは誰ですか? 」と。義務を愛情や血縁の上に置くために、御父に仕えるために、母へのその絆に対するこの否定のために、なさねばならないこの暴力のために青ざめた顔と厳しい目で彼の周りにひしめく群衆を見回し、かがり火の赤い火と、ほとんど満月に近い月の銀光を受けて、ゆったりとした身振りで言う、「見なさい、ここにいるのがわたしの母、わたしの兄弟です。の御意志を行う人たちはわたしの兄弟、わたしの姉妹、わたしの母です。他にはいません。また、もし第一に、何にもましてより優れた完全さをもって、他のいかなる意志、あるいは血縁と愛情の声を全面的に犠牲にしてまでも神の御意志を行う人はわたしの身内となるでしょう」。

 群集は、突風によって狂乱した海のようにざわめき、呟きを強める。

 律法学士たちは、「悪魔だ! 身内さえも見捨てるとは!」と言いながら逃走を始める。

 親族たちは、「気狂いだ! 母親までも拷問にかけるとは!」と言いながら迫る。

 使徒たちは言う、「実際、この一言には全ヒロイズムがある!」と。

 群集は言う、「どれほどわたしたちを愛しておられることか!」と。

 マリアは苦労してヨセフとシモンと共に群集を掻き分ける。彼女は全身優しさに満ち溢れ、ヨセフは全身猛り狂い、シモンは全身で窮状に立つ。彼らはイエズスの許に辿り付く。

 そしてヨセフはイエズスを見るや彼に食って掛かる。「気でも狂ったのですか! みんなの感情を害して。あなたの母さんさえも尊敬しないで。でも今、わたしがここにいる。あなたを阻止してやる。あなたが日雇いみたいにあっちこっちに行っているのは本当ですか? それが本当ならあなたの母さんの飢えを満たすために、なぜ自分の仕事場で働かないのですか? なぜ、あなたの仕事は説教をすることだと言って嘘をつき、金で雇われて他人の家に働きに行くなんて、あなたは怠け者で恩知らずなのですか? 本当にわたしには、あなたを堕落させた悪魔に盗り憑かれているとしか思えないね。答えなさい!」。

 イエズスは振り返り、ヨセフ少年の手を取り自分に引き寄せ、それから彼の両脇の下に両手を当て高く持ち上げて言う、「わたしの仕事はこの無垢の子とその家族の飢えを満たしてやることでしたし、彼らには善良なお方であると説得することでした。コラジンの町に謙遜と愛徳を説教するためだったのです。またコラジンだけではありません。不正な兄弟ヨセフ、あなたのためでもあります。でもわたしは、あなたが蛇の歯にかまれたのを知っていますから、あなたを赦します。また気まぐれなシモン、あなたも赦します。わたしはわたしのには何一つ赦さねばならないことも、赦しを乞わねばならないこともありません。というのも彼女は正義をもって判断する人だからです。世はしたいことをやればよろしい。わたしはが欲し給うことをします。そして御父とわたしのの祝福があれば、世が世の考えでわたしを王として歓呼して迎えるよりも幸せなのです。母上、いらっしゃい。泣かないで。彼らは何をしているのか分かっていないのです。だから彼らを赦してやって下さい」。

「おお! わたしの御子! わたしは知っています。あなたは知っています。他に何も言うべきことはありません・・・」。

「人びとに『平安に行きなさい』と言う以外、他に言うべきことはありません」。

 そしてイエズスは群集を祝福し、それから自分の右側にマリアを、左側にヨセフ少年を伴って梯子段の方に向かい、先頭に立ってそれを上る。