だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない

ルカ5・36

 

新しい布切れ・新しいどう酒(マルコ2・21−22)

 

 

 

マタイ9・16

 

 だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。

 

 

マルコ2・21−22

 

 だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。

 

 

ルカ5・36−39

 

 そして、イエスはたとえを話された。「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。

 

 

 

 

真の基督教784

 

新しいエルサレムすなわち新しい教会がその天界から降って来るのであり、それ故これは一瞬に生ずることは出来ない。前の教会の諸々の虚偽が先ず取り除かれなくてはならない。何故なら新しい真理は古い虚偽が根こそぎにされない中は入ることは出来ないからである。而してこれは先ず教職者達の間に生じ、彼らを通して平信徒の間に生じなくてはならない。何故なら主は以下のように語り給うたからである、「誰も新しき葡萄酒を古き皮袋に入れず、もし然せばその袋張り裂け、葡萄酒ほとばしり出でん。新しき葡萄酒は新しき皮袋に入れ、かくて二つながら保つなり」(マタイ9・17、マルコ2・22、ルカ5・37、38)。

 

 

 

黙示録講解376ホ(28)

 

以下の記事に主により話されている『ぶどう酒』も同じような意義をもっている―

(ルカ5・39)

 

 この比喩は、聖言の他の凡てのもののように、相応から発しており、『古いぶどう酒』は古い、またはユダヤ教会の真理を意味しているように、『ぶどう酒』は真理を意味しており、『ぶどう酒の皮袋』は中に容れている物を意味し、『古いぶどう酒の皮袋』はユダヤ教会の法令と審判とを容れている物を意味し、『新しいぶどう酒の皮袋』は主の教令と誡命とを意味している。特に生贄と表象的な礼拝とに関係しているユダヤ教会の法令と審判とはキリスト教会の諸真理と一致していないことは『彼らは古いぶどう酒の皮袋には新しいぶどう酒を入れはしない、でないとぶどう酒の皮袋は張り裂け、ぶどう酒はこぼれてしまう、彼らは(新しい)ぶどう酒は新しいぶどう酒の皮袋に入れ、二つとも共に保つのである』により意味されている。ユダヤ教会の外なるものの中に生まれ、教えられている者たちは直ぐにはキリスト教会に属している内なるものの中に入れられることは出来ないことは『たれも古いぶどう酒を飲んで、新しいぶどう酒を求めはしない、彼は古いものは更に益がある、と言うからである』により意味されている。

 

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/天使館第2巻/159・7

 

主が洗者ヨハネの弟子たちに

 

「しかし・・・あなたのお考えでは、わたしたちは洗礼者と共にいる方がいいのか、それともあなたと共にいる方がいいのでしょうか?」

 

「古い葡萄酒がある間は、最早その味が舌に馴染んでいる葡萄酒を飲みなさい。その後・・・それが腐った水に変わり、どこにでも悪臭を撒き散らすようになったら、あなたたちは新しい葡萄酒を愛でるようになるでしょう」。

 

「洗礼者はその業を再開するでしょうか?」

 

「もちろんです。わたしはもう彼に或知らせを送りました。行きなさい、行きなさい。あなたたちにそれができるうちに、あなたたちのヨハネを享受し、彼を幸せにしてやりなさい。その後で、あなたたちはわたしを愛するでしょう。またあなたたちは行き悩むでしょう。なぜなら・・・古い葡萄酒に引っかかった者で、ある日突然、新しい葡萄酒を欲しがる人はいないからでもあります。そして言うのです。『古い葡萄酒はもっと旨かった』と。またわたしは実際に、あなたたちには酸っぱく思われるに違いない特別の味をもつでしょう。しかしあなたたちは、一日々々、この命の味を味わうことになるでしょう。友人たちよ、さようなら。神はあなたたちと共に」。