ラザロ

 

 

清廉な裕福

 

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ『私に啓示された福音』3巻下P26/206・10

 

大金持ちでありながらわたしの友であり、神の友であるラザロのこの地で、わたしが言うことはすべて奇妙に思われるかもしれません。しかしラザロは富める者たちの中の例外です。ラザロは、地上で見つけることが極めて難しく、また、他の者に教えるためにそれを実践することはさらに難しいこの徳、すなわち富からの自由という徳に到達した人です。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P365

 

イエズスが、こう言われる。

「私は、ラザロが死なないうちに間に会って、干渉することもできたが、しかし、そうしようとしなかった。私は、このよみがえりが両刃の剣となるであろうということも知っていた。なぜなら、考えの正しいユダヤ人がこれによって回心し、また、ゆがんだ考えの人々に、もっと猛烈な反感を起こさせるであろうと知っていた。私の力のこの最後の打撃のために、彼らは私の死刑判決を決定した。しかし、私はこのために来たのであるし、それが実現されるための時が、もう熟したのである。私はまた、ラザロが死んでからすぐベタニアへ行くこともできたが、しかし、もう進んでいる腐敗物のよみがえりをもって、最も頑固な人でも納得させたかったのである。また、私に対しての信仰を運ぶべきであった私の使徒たちにも最高の奇蹟によって鍛錬された信仰を持つ必要があった。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P375

 

 「主よ、これで充分です。私には、これ以上聞いたり知ったりする必要はありません。あなたに仕えることは私の夢でした。病人、また死人が何もできないでもあなたに仕えたならば、治った今、あなたに何か奉仕できるならば、これで私の夢は満たされて、これ以上、何も願うことはありません。イエズス、主よ、私の先生、あなたは祝せられますよう。そしてあなたを送ってくださったものが祝されますように」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P220

 

いつも柔和で親切なラザロも、さすがに血相を変え、自分があのテオフィロスの息子であることを思い出しでもしたように、悪口雑言をする彼らを、犬を追い払うように外に追い出す。(中略)

 

「さあ、引き上げてください。もう見たいものは見た・・・先生のお力の生きる証明として、私はあなたたちのお相手をしました。まだ信仰を知らない人々を導くようにと、私は甦らしてもらいました。この偉大な奇跡は、信仰のない人々を身震いさせるものです。真の神はただ一人、真のメシアはただ一人、ナザレトのイエズスだけです。私はこのことを告げ知らせるために、再び生きているのです・・・」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスの受難/P17

 

ラザロが主に:

「先生、どうかご自分をお救い下さい! ご自身を救って! 私は先生を逃せられます。どうぞ、今夜にでも。いつだったか、エジプトへお逃げになったことがあるではありませんか! 今度もお逃げなさい。さあ、行きましょう。お母様と二人の姉妹をも連れて発ちましょう。ご存じのとおり、私は自分の富に何の未練もありません。私の富であり、またマリアとマルタの富はあなたです。さあ、行きましょう」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスの受難/P17

 

主がラザロに:

「ヨハネでは物足りない。ヨハネは愛だが、まだまだ未熟です。おお、ヨハネもこの数日の引き裂かれそうな苦しみで成長し、大人になるでしょう。けれども“彼女”は、自分の恐ろしい傷のために、婦人たちの多くの慰めが必要です。あの二人を貸してもらえますか」

 

ラザロ:「すべてを。あなたにすべてをいつも喜んでささげました。いまの私の唯一の悲しみは、あなたがこんなちっぽけなことしか望まないということです」

 

主:「とんでもない。ベタニアの友だちにしてもらったほどの親切を、他のだれからも受け入れなかったので、この親切は不正な者が度々私を咎めたことの一つです。私はあなた方のところで、ここで、人間として味わうあらゆる苦しみをいやすに足るものを見つけています。ナザレトでは、神の“唯一の喜び(マリア)”の傍らでくつろいだ私です。ここでは私は人間以外の何ものでもありませんでした。そしていま、私は死の山へ登る前に、忠実で、愛情がきめ細やかで、優しく、思いやりがあり、謙虚で、知識に富み、慎み深く、寛大な友のあなたに感謝します。すべてにおいてあなたに感謝します。いずれ私の父が、あなたにその報いを与えます」

 

ラザロ:「あなたの愛をもって、またマリアの贖いによって、すでに私はすべてをもらっています」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスの受難/P18

 

主がラザロに:

「これらの人々は逃げまどうでしょうが、その恐怖と狼狽のときに弟子たちがどこへ逃げ込むと思いますか。ラザロのところに違いない。この三年というもの、弟子たちはパン、寝床、保護、隠れ家、先生などを求めて、何度となくここを訪れました。いま、狼に羊飼いを連れ去られたさ迷える子羊のように、安全な柵を求めて再びここに戻ってくるはずです。あなたはあの人たちを集めて勇気づけて、私が皆をゆるすということを知らせてください。弟子たちのための私のゆるしをあなたに委託します。あの人たちは自分が逃げてしまったことを省み、その心に平和はないはずです。二度と私のゆるしを得られないと思い込んで、失望のあまりもっと大きな罪を犯すことのないように、伝えてください」

 

「皆、逃げてしまうのでしょうか」

 

「ヨハネを除いて皆」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスの受難/P20

 

主がラザロに:

「あなたの家をくれました。ほら、シオンでの最初の宿はあなたの所有地でした。最後の宿もその一つです。私はあなたの客となる運命(さだめ)だったのです。」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/復活/P50

 

私はこの命をあなたにささげます。この命がたとえ消えようとも、あなたの御教えは消えませんように! このあわれなラザロの体を滅ぼされることは厭いませんが、ただ、お弟子たちを、使徒を中心にお集めください。お望みなら、どのような事も致しますが、ただ、あなたのみ言葉が永遠に生きることを望んでおります。そのみ言葉によって、永遠の生命を受ける者たちが、いつも、いつまでも絶えませんように・・・