健康

 

 病気

 

 

1.スウェーデンボルグ

2.サンダー・シング

3.ヴァッスーラ

4.マリア・ワルトルタ

 

 

 

 

 

1.スウェーデンボルグ

 

 

神の愛と知恵330

 

創造の目的は人類から発する天使的天界であり、かくて人類そのものであるため、他のすべての創造された物は間接的な目的であり、これらの物は主と人間との連結を目標として、人間に関係を持つものとして、人間の以下の三つの物、即ち、彼の身体、彼の合理的なもの、彼の霊的なものを目標としている。何故なら人間は霊的でない限り、主に連結することは出来ず、また合理的でない限り、霊的になることは出来ず、またその身体は健全な状態にいない限り、合理的になることは出来ないから。この三つのものは家に似ている、即ち、身体は基礎に、合理的なものは上部の建物に、霊的なものは家の中に在る物に、主との連結はその中に住むことに似ている。このことから創造の間接的な目的であるところの用が如何ような秩序、度、関係により人間に関係しているかを、即ち、[1]彼の身体を維持するために、[2]彼の合理的なものを完成するために、[3]主から霊的なものを受けるために関係しているかを認めることが出来よう。

 

 

 

天界の秘義7217

 

しかし霊的な人間はそのようには考えはしないのである、なぜならこうした者たちはその霊の中に、かくてその霊に属したものの中に、即ち、信仰と仁慈の中にその主要な生命を得ており、それで自分自身が信仰と仁慈との諸真理と諸善とを剥奪されると信じると、死の苦悶をなめている者のようにも、悶えるのである、なぜなら彼らは己が前に霊的な死を、即ち、堕地獄を見るからである。前に言ったように、単に自然的な者にはこうした人物は心では弱く、病的なものであるように見えはするが、しかし彼らは強く、また健康なのであり、これに反し単に自然的な者らは自分自身には強く健康なものであるように思われ、また〔事実〕身体の方面では強く、健康ではあるものの、霊の方面では、〔即ち〕霊的には死んでいるため、全く弱いのである。

 

霊的な者の苦しみ/参照

 

 

 

天界の秘義5726

 

 死は罪以外のいかような源泉からも発してはおらず、罪は神的秩序に反した凡てのものであるため、それで悪は最小の、最も不可視的な器官をさえも―その器官からそれに次いで大きな、同じように不可視的な器官が構成されているが―閉じてしまうのである、なぜなら凡てのものの中でも最小で、全く不可視的な器官も人間の内部から連続しているからである。ここから最初の、そして最も内なる障害が起り、またそこから血液の最初の、また最も内なる毀損が起るのである。この毀損が増大すると、病気が起り、遂には死が起るのである。しかしながらもし人間が善い生活を送ったなら、その内部は天界に向って開かれ、天界を通して主に開かれ、かくてまた最小の、最も不可視的な小さな器官さえも開かれるであろう―最初のせん状のこん跡さえも相応により小器官と呼ばれることができよう―従って人間は病はなく、単に衰えて非常な老年にまでも至り、遂には再び小さな子供に、しかし賢明な子供になりさえもし、そして身体がもはや彼の内なる人、または霊に仕えることが出来なくなるとき、彼はその地的な身体から天使たちが持っているような身体へ移り、世から天界へ直接に病もなしに移って行くであろう。

 

 

 

 

2.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P166

 

われわれが自然界に逆らえば、自然界がわれわれに逆らう。だが、自然と調和して生きるようにすれば、自然はわれわれに害を及ぼすどころか、完全な健康という神の定められたあの目標に到達する助けをしてくれるのである。そして、完全な健康を得る中で、われわれは霊魂の中心的願いである神の中での永遠の歓びを得る。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P211

 

 神は邪悪を造りたまわなかったように、病も肉の痛みもお造りにならなかった。それは人間の不従順がもたらす当然の帰結にすぎない。痛みと病もまた想像の産物ではなく、それが個人の罪であれ、個人を一部とする家族の罪であれ、罪という目に見えない隠れた病が、目に見える形に結果したものである。家族全員が悔い改め、わたしにつながれるならば、健康をもたらすわたしの血が全身を巡り、内に潜む目にみえない病をすべて癒し、永遠にわたり彼らを健全にする。そのような健全な状態のために人は創造されたのである。主とともに幸せの中に生きられるために。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P240/神との対話

 

 神の法は人の霊的健康と幸せのためにあるのだから、それに対立すれば霊的苦悩を生むのは当然である。神はこうした神の意志への対立と反逆の状態を一掃してしまうことなく、この世が人間の住処(すみか)として創造されたものではなく、人間にとって異邦の地であることを人にわからせるために、それをお使いになっている。

 この世は、人を完全な不滅の内へと準備させるためのものにすぎない。また、打ち続く不幸も、人が不注意になり、真理から外れてこの滅ぶべき世と運命を共にしたりせぬよう、霊魂を目覚めさせるために与えられているのである。人は創造主との聖き交わりに入り、現(うつ)し世の悲哀から逃れたのちに、永遠の幸福と平和の天界に入るべく意図されている。

 

 

 

3.ヴァッスーラ

 

 

天使館/ヴァッスーラ/花むこから花嫁への呼びかけ ヴァッスーラの証しの記録/天使館/P55

 

感謝を知らない現代人

 

 そして特に申しますが、私どもが無視している恵み一つあります。それは神を本当に深く悲しませているのです。一生どれほど神にたいする感謝が足りなかったかを表していますから。

 初めの頃でしたが、御父はにがにがしい言い方というよりは、悲しみに満ちてこうおっしゃいました。

「なんと“fastidious”になったか、世代よ」と。生まれて初めて聞く言葉で、私は意味が分からなくて辞書を引きました。それは「感謝がない」という意味です。こせこせする、満足しない、扱いにくい、いつももっともっとと欲しがる、ぜんぜん満足しようとしない、などということはすべて、この“fastidious”という形容詞に含まれています。「“fastidious”に、あなたの時代はなってしまった」と神はこの形容詞を強調して、文頭に持ってきながら、おっしゃったのです。

 私たちは確かに“fastidious”ですが、たとえばよく無視する恵みの一つに触れてみましょう。神は毎日毎日あふれるほどの祝福を与えて下さっています。こうした祝福は有形ではなく、目には見えないのですが、私たちが光と闇を区別するに十分な理解だけは下さっています。

 私たちに与えられているものはすべて善いもので、これらは皆神から与えられているのです。健康もそうでしょう、しかし神に十分感謝はしていません。着ている衣服も、健康でなければ、衣服を買うお金もありませんから、やはり神からのものです。皆の健康や衣服や住宅、冷蔵庫、そして帰宅してお腹が空いた時に開けた冷蔵庫の中の食物や飲物、家族や家庭など、すべて神からの恵み、祝福なのです。でもそれを神には感謝していません。なぜでしょう? 当たり前と思っているからです。このすべては自分がした結果だと思っているのです。

 しかし私たちが持っている力はすべて神からいただいたもので、いのちも、まさに神からいただいたものです。もし神がお望みなら、私たちからあらゆるものを取り上げることもおできになるはずです。聖書の中でヨブになさったように。ヨブは裸になり、病を得て、孤独の中に捨て置かれました。神は彼を試されたのです。しかしヨブは神への熱烈な忠実さを表しました。このすべてにもかかわらず、神に信頼をおいたのです。そして神にすがり、一瞬も背を向けることなく、「神はこんなひどいことをされた」と愚痴も言いませんでした。そのために、以前よりもはるかに多くを、神はヨブに与えられました。ですから、神への讃美を忘れないで下さい。そして持てるすべてに感謝して下さい。

 

 

 

 

5.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/8卷中P78/526・2

 

あなた方は、この場所へ何を求めて来ましたか? 体の健康でしょうか。おお、病気の人たち、それは与えられました。福音の言葉でしょうか、それも聞いたことでしょう。でも、体の健康が与えられたなら、あなた方の霊魂の健康を求めるように努めなければなりません。福音の言葉が正義を求める意志を必要とするように。体の健康が血肉の喜びを与えただけで、霊魂が不活性であったなら、どんなに恐ろしいことでしょう! わたしはあなた方に、主を賛美させました。主はあなた方に健康を贈られました。でも、あなた方の主への感謝は、大喜びした瞬間に終わってはいけません。感謝は主を愛する善い意志によって表さなければなりません。神からどんな贈り物をもらったとしても、それがどんなに強い力を持っていたとしても、自分の霊魂を神にささげて返礼するのでないならば、何にもなりません。