わたしの名によって何かを願うならば、
わたしがかなえてあげよう。
(ヨハネ14・14)
1.聖書
2.スウェーデンボルグ
3.ヴァッスーラ
4.ヨゼファ・メネンデス
5.サンダー・シング
6.ルイザ・ピッカレータ
1.聖書
マタイ21・22
信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。
ヨハネ14・13−14
わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。
ヨハネ15・7
あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
ヨハネ15・16
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
ヨハネ16・23−27
その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。
わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。
2.スウェーデンボルグ
天界の秘義6674[3]
さらに―
もしあなたがたがわたしの名において何ごとでも求めるなら、わたしはそれを為しましょう(ヨハネ14・13、14)。
何であれ、もしあなたらがわたしの名において父に求めるなら、父はそれをあなたらに与えられるでしょう(ヨハネ15・16、16・23、24)。
ここでは彼らは主の御名において父に求めねばならないことが意味されているのではなく、彼らが主御自身に求めなくてはならないことが意味されているのである、なぜなら、教会の中にもまた知られているように、主の神的な人間的なもの[主の神的人間性]を通さなくては、『父』である神的善[神の善]に至る道は開かれていないからである(3704番を参照)、それで主御自身に求めることは信仰の諸真理に従って求めることであり、主御自身がヨハネ伝の前の記事で言われているように、これらの真理に従って求められるものはことごとくかなえられるのである―
もしあなたたちが何ごとでもわたしの名において求めるなら、わたしはそれを為しましょう(14・14)。
このことは更に、主はエホバの『御名』であられるという事実から認めることが出来よう、そのことについてはモーセの書に以下のように記されているのである―
わたしはあなたの前に天使を一人遣わして、あなたを道で守らせよう、かれの顔に注意し、その声を聞き、かれを怒らせてはならない、わたしの名はかれの中に在るからである(出エジプト記23・20、21)。
啓示前による黙示録解説376
また主は彼らが求めるとき、与えられるのである、マタイ7・7、8、21・22、ヨハネ14・13、14、15・7、16・23−27。しかしそれでも主が彼らに求めることを、また何を求めなくてはならないかを与えられるのであって、それで主はそれを前もって知っておられるが、しかしそれでも主は人間が先ず求めることを望まれておられ、それは人間がそれを自分自身から行うものとして行って、かくてそれが彼のものとなるためである。もしそうでないなら、もしその祈願そのものが主から発していないなら、それらの所で、『彼らは何であれ、その求めるものを受ける』とは言われないであろう。
3.ヴァッスーラ
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P46
‘89・11・26
子よ、あなたに平和、聴きなさい、慎重に振舞い、この啓示からでないことには触れないように、この啓示と 聖書にあるみことばを用いなさい、私はあなたの師です、慎重に振舞いなさい ♡ 私に頼っているように。 私は(I am)あなたの救い主。 あなたの聖なる者(I am)。 私は(I am)在りて在る者です ♡ そこで私に頼っているとよいではないか? 微笑みかけるなら 私を喜ばせる、子どもっぽい信仰を愛している ♡ ヴァッスーラ、勇気を持ちなさい、敵をすべて打ち倒そう、勇気を 娘よ、追放の地 そして死の谷で生きるのが辛いのは分かっている、しかし私の愛を確信していなさい、傍らにいて 最も些細な事柄であっても助けよう。 愛があなたを愛している
4.ヨゼファ・メネンデス
ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P145
「み主よ、私は沢山のことを御身にお願いいたしとうございます。」と申し上げた。
“ヨゼファよ、おまえはわたしの福音書の中に書かれていることを知らないのか、願えよ、さらば与えられるであろう。”
そこでヨゼファは、いつでも真っ先に頭にうかぶ、愛する母や妹たちのことについてお話し申し上げた。ヨゼファはつねに忠実であることができるお恵みを願い、マザー方、シスターたち、その家族のために一つ一つ数えあげながらお願いした。
「私はみ主に、聖心会がフランスでもじきに、貧しい人々のための学校を再開されることができるようにとお願いしました。
み主は、子供に甘いおとうさまのように、ほほえみながら聞いていらっしゃいました。私はだんだん遠慮がなくなりました。
全世界を憐れんで下さり、み主のみ心の愛の火で燃やして下さるように一生けんめいお祈りしました。
“ああ世の人々がわが聖心を知りさえしたなら・・・。人々はわたしの慈悲と好意を知らないのだ。それがわたしの最大の悲しみなのだ。”と。
5.サンダー・シング
サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P231
そこでは、この世で知っていた願いばかりか、自分が持っていることさえ知らずにいた願いまでもが開かれ、実現されるのを知る。願いを満たすすべてがそこにある。わたしはそこで満ち足りる。それ以上求めるものは何もない。本当に素晴らしい世界である。それこそ、わたしたちの故郷である。
ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P224
事実、人がまったく神のものとなるまでに達したとき、自分が望むことを獲得するためには何の困難も見いだすことがありません。なぜならその人は、神が好まれること以外に、何も求めることができないからです。