イスラエル

 

霊的

 

 

 

1.聖書

 

 

創世記32・28−29

「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」

 

 

 

申命記6・1−9

「これは、あなたたちの神、主があなたたちに教えよと命じられた戒めと掟と法であり、あなたたちが渡って行って得る土地で行うべきもの。あなたもあなたの子孫も生きている限り、あなたの神、主を畏れ、わたしが命じるすべての掟と戒めを守って長く生きるためである。イスラエルよ、あなたはよく聞いて、忠実に行いなさい。そうすれば、あなたは幸いを得、父祖の神、主が約束されたとおり、乳と蜜の流れる土地で大いに増える。

聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。」

 

 

 

申命記9・1

「聞け、イスラエルよ。あなたは今日、ヨルダン川を渡り、行ってあなたよりも大きく強い国々を追い払おうとしている。」

 

 

 

申命記10・12−13

「イスラエルよ。今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、わたしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ることではないか。」

 

 

 

ヨハネ1・31

「わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」

 

 

 

天界の秘義55

 

「神はかれらを祝福され、神はかれらに言われた、生めよ、増えよ、地に満ちよ、それを従わせよ、海の魚を、天の鳥を、地を這う凡ての生き物を治めよ、と」(創世記1・28)。最古代の人々は理解と意志の、または信仰と愛の連結を結婚と呼んだため、その結婚から生まれた善の凡ゆる物を『生まれたもの』と呼び、真理の凡ゆる物を『増えたもの』と呼んだ。かくてそれらは予言者の書ではそのように呼ばれ、例えばエゼキエル書には―

 

わたしはあなたらの上に人と獣を増やそう、これらは増えて、多くの子を生むであろう、わたしはあなたらをいにしえの時のように住まわせ、あなたらにその初めの時よりもさらに善いことをしよう。あなたらはわたしがエホバであることを知るようになるであろう。まことに、わたしはあなたらの上に、人を、実にわが民イスラエルを歩ませよう(エゼキエル36・11、12)。

 

『人』によりここではイスラエルと呼ばれる霊的な人が意味され、『いにしえ』により最古代教会が、『初め』により洪水後の古代教会が意味されている。真理に関わる『増えること』が最初に記され、善に関わる『生まれること』が後に記されている理由は、その記事は再生する者を取扱っていて、既に再生した者を取扱ってはいないということである。

 

 

 

天界の秘義4286[3]

 

 しかし天的な霊的なものの何であるかもまた簡単に述べてみよう。直ぐ前に霊的なものであると言われた者たちは天的な霊的なものと呼ばれており、彼らは中間の、または第二の天界にいるのであり、彼らは相互愛から『天的なもの』と名づけられ、そこから派生してくる理知から『霊的なもの』と名づけられているのである。そこの内なる天使たちはヨセフにより表象される者たちであり、聖言の中では、また『ヨセフ』と呼ばれているが、そこの外なる者はイスラエルにより表象されている者たちであって、聖言の中ではまた『イスラエル』と呼ばれている。前の者たちは(すなわち『ヨセフ』と呼ばれている内なる天使たちは)合理的なものを帯びているが、しかし『イスラエル』と呼ばれている外なる者たちは自然的なものを帯びている、なぜならこれらの者は合理的な者と自然的な者との中間にいるからである。このことがイスラエルは、自然的なものの中におり、かくて自然的なものである天的な霊的な人であり、ヨセフは合理的なものである天的な霊的な人であると言われている理由である。なぜなら普遍的な意義では愛と仁慈とのものである善はすべて天的なものと呼ばれ、そこから派生してくる信仰と理知との真理はすべて霊的なものと言われているからである。

 

 

 

天界の秘義4286[4]

 

こうした事柄を言ったのは、『イスラエル』が意味していることを明らかにするためである。しかし『イスラエル』はその最高の意義では主を神的な天的な霊的なものの方面で意味し、その内意では天界と地上における主の霊的王国を意味している。地上における主の霊的王国は霊的教会と呼ばれている教会である。そして『イスラエル』は主の霊的王国を意味しているため、『イスラエル』は同様に霊的な人を意味している、なぜならこのような人の各々の中には主の王国が存在しているからである、なぜなら人間は最小の形における天界であり、また教会であるからである(4279番)。ヤコブについて言うなら、彼によりその最高の意義では主が自然的なものの方面で、その天的なもののみでなく、霊的なものの方面でも表象されており、内意では最も外なる、または、第一の天界に在るような主の王国が表象され、従ってまた教会における同一のものが表象されている。自然的なものにおける善はここに天的なものと呼ばれているものであり、自然的なものにおける真理は霊的なものと呼ばれているものである。これらの事柄から聖言の中で『イスラエル』により、また『ヤコブ』により意味されているところが明らかであり、またヤコブがイスラエルと名付けられた理由も明らかである。

 

 

 

天界の秘義4282[8]

 

 いかような理由からヤコブはイスラエルと名づけられたかは、この名前が彼らに与えられたときのその言葉そのものから明白である―『あなたの名はもはやヤコブと呼んではならない、イスラエルと呼ばなくてはならない、なぜなら君としてあなたは神と人とに争って、勝ったからである』(創世記32・29)。なぜなら原語では『イスラエル』は『君として神と争う者』を意味しており、そのことによりその内意では主は試練の争闘において征服されたことが意味されているからである、なぜなら試練と試練における争闘とは主がその人間的なものを神的なものになされた手段であったからであり(1737、1813番その他)、試練と試練における勝利とは人間を霊的にするものであり、そうした理由からヤコブは組打ちをした後で初めてイスラエルと名づけられたのである。(『組打ちすること』は試みられることを意味されていることは前の4274番に見ることができよう)。教会、または基督教会の人間が自分自身をイスラエルと呼んでいることは知られているが、それでも教会では試練によって霊的なものとなった者を除いてはたれ一人イスラエルではないのである。

 

 

 

天界の秘義4286[3]

 

 しかし天的な霊的なものの何であるかもまた簡単に述べてみよう。直ぐ前に霊的なものであると言われた者たちは天的な霊的なものと呼ばれており、彼らは中間の、または第二の天界にいるのであり、彼らは相互愛から『天的なもの』と名づけられ、そこから派生してくる理知から『霊的なもの』と名づけられているのである。そこの内なる天使たちはヨセフにより表象される者たちであり、聖言の中では、また『ヨセフ』と呼ばれているが、そこの外なる者はイスラエルにより表象されている者たちであって、聖言の中ではまた『イスラエル』と呼ばれている。前の者たちは(すなわち『ヨセフ』と呼ばれている内なる天使たちは)合理的なものを帯びているが、しかし『イスラエル』と呼ばれている外なる者たちは自然的なものを帯びている、なぜならこれらの者は合理的な者と自然的な者との中間にいるからである。このことがイスラエルは、自然的なものの中におり、かくて自然的なものである天的な霊的な人であり、ヨセフは合理的なものである天的な霊的な人であると言われている理由である。なぜなら普遍的な意義では愛と仁慈とのものである善はすべて天的なものと呼ばれ、そこから派生してくる信仰と理知との真理はすべて霊的なものと言われているからである。