一夫多妻

 

 

回教

 

 

 

 

結婚愛332

 

(8)現在マホメット教徒は一人以上の妻と結婚することを許されているのは、彼らは主イエス・キリストが父エホバと一つであられることを認めず、かくて天地の神として認めておらず、それで彼らは真の結婚愛を受けることが出来ないためである。

 

(9)マホメット教の天界は基督教の天界の外側に在り、低い天界と高い天界の二つの天界に分けられており、畜妾を拒否して、一人の妻と共に住み、主を父なる神と等しく、天地を統べる支配権を与えられている方として認めている者以外たれ一人その高い天界には挙げられない。

 

 

結婚愛341

 

(8)「マホメット教徒は主イエス・キリストを父なるエホバと一つの方であることを承認しないため、それで主を天と地との神として承認しないため、彼らは現在一人以上の妻と結婚することが許され、それで真の結婚愛を受けることは出来ない。」(中略)

主を承認し、主に天地の神として近づくとき、彼の教えに従って生きる者のもとに、それが開かれる理由は、それ以外の方法では、連結はなく、連結がなくては受容もないということである。人間のもとに主は現存され、また主と連結することも出来る。主のもとへ行くことは現存をもたらしはするが、主の教えに従って生きることが主との連結を生むのである。そして主の現存のみは、主のものを受容しなくても存在はするが、しかし現存と同時に連結は受容とともに存在するのである。それらの事柄について私は霊界から得た以下の新しい事柄を述べよう。そこでは、たれか他の人を考えると、その考えられた人は凡て眼の前に現れてくるが、しかし一人として愛の情愛によらなくては他の者と連結しないのであり、そして愛の情愛はその他の者の言葉とその好むところを行うことによってもたらされるのである。この事実は、霊界では熟知されていて、その起原は主にあるのである。すなわち主もその方法で現存され、その方法で連結されるのである。

 

 

結婚愛342

 

(9)「マホメット教の天界は基督教の天界の外側に在って、低い天界と高い天界の二つの天界に分かれ、妾を斥けて、一人の妻とともに住み、私たちの主を、天と地を治める主権を与えられている、父なる神と等しい方として承認する者を除いてはたれ一人その高い天界に挙げられはしない」。これらの天界について特に何ごとかを話す前に、マホメット教の勃興に関連して主の神的摂理について多少話しておく必要がある。(中略)その宗教は多くの民族の偶像崇拝を破壊するために、主の神的摂理により起されたことを充分に明らかにするために、そのことを多少順序をもって説明しよう。(後略)

 

 

結婚愛343

 

 マホメット教徒にもまた天界がある理由は、全世界遍く一人の神を承認して、悪を神に対する罪として避ける者はすべて救われるということである。マホメット教の天界は低い天界と高い天界の二つの天界に分かれ、低い天界では彼らは、世にいた時のように、幾多の妻や妾とともに住んでいるが、しかし妾を斥け、一人の妻と共に住む者はその高い天界へ挙げられることを、私は彼ら自身から聞いたのである。私はまた彼らには私たちの主が父と一つのものであることを考えることは不可能であるが、しかし主を父と等しいものとして、また主は父の子であられるから、天地を治める主権が主に与えられていると考えることは可能であることを聞いた。それでこれは主によりその高い天界へ挙げられる者たちの信仰である。

 

 

結婚愛344

 

 私はかつて一夫多妻の結婚愛の特質を認めることが出来た。私はマホメットの地位を占めている者と話した。マホメット自身は決して現れないが、世から来て間もない者たちが、謂わば彼を見るため、その代理が彼の位置に任命されている。この代理は遠方から若干私と話し合った後で私に黒檀のスプーンを送り、またそれが彼から送ったものであることを示す他の物も送った。それと同時にそこにいる者らの結婚愛の熱を伝えられたが、それは浴場の悪臭を放つ熱として私から認められた。これを認めると、私は面をそむけた。するとそれを伝える道は閉じられたのである。

 

 

 

結婚愛347

 

「一夫多妻者として止まる限り、霊的なものになることは出来ない」。霊的になることは自然的なものから挙げられることであり、即ち世の光と熱から天界の光と熱の中へ挙げられることである。挙げられた者以外たれ一人この高揚を知らないし、また自然的な人は自分が挙げられていないことを認めはしない。その理由は、彼は自然的なものではあるが、霊的な人と同じく、その理解を天界の光の中へ挙げることが出来て、霊的に考え、話すことが出来るということである。しかし、もし意志がそれと同時にその理解に従って、その高所へ登らないなら、彼は挙げられはしない。なぜなら彼はその高所に宿ってはいないで、たちまち自分自身をその意志のもとへ引き下ろして、そこに自分の位置を固定させるからである。意志と言われるが、しかし愛もまた意味されているのは、意志は愛を容れる器であるためである。なぜなら人間は愛するものを意志する[い]からである。こうした若干の考察から一夫多妻者は、一夫多妻者である限り、また同一のことではあるが、自然的な人は自然的なものである限り、霊的なものになることは出来ないことが明白である。

 

 

 

 

 

結婚愛348

 

(13)「一夫多妻が宗教から来ている者たちには、それは罪ではない」。宗教に反したものは凡て神に対する罪であると信じられ、他方、宗教とともに在るものは凡て神とともに在るため、罪ではないと信じられている。イスラエルの子孫のもとでは、一夫多妻は宗教から来ており、現在のマホメット教徒のもとでも、同じであるため、それが彼らに罪として帰することは出来なかったし、また出来もしない。さらにそれが彼らに罪とはならないように彼らは自然的に止まって、霊的にはならず、そして自然的な人は受け入れられた宗教に属したものに何かの罪があることを認めることは出来ないのであって、それを認めるのはただ霊的な人のみである。この理由から、コーランから彼らは私たちの主を神の子として承認はするものの、主には近づかないで、マホメットに近づき、そして彼らがこれを行う限り、自然的に止まり、それで一夫多妻には何かの悪が在ることを知らず、また、実に、その中に好色のあることも知りはしない。

主はさらに言われている―

 もしあなたらが盲目であるなら、罪がないであろう。しかしあなたらは自分らには見えると言うからには、あなたの罪は残っている(ヨハネ9・41)。

一夫多妻は彼らに罪を自覚させることが出来ないため、死後彼らは彼ら自身の天界を持ち(342)、そこに彼らの生活に応じて歓びを得ている。

 

 

結婚愛352

 

(16)「しかしこの二つの天界のどちらからも、たれ一人基督教天界の天使と交わることは出来ない」。その理由は、基督教天界には神的真理である天界の光が在り、神的愛である天界の熱が在り、この二つは善と真理とがいかような種類のものであるかを明らかにしており、また同じく悪と誤謬がいかような種類のものであるかを明らかにしているということである。基督教天界とマホメット教天界との間の連絡(*)は全く取り去られており、同じく基督教天界と異教徒の天界との間の連絡もことごとく取り去られているのはその理由によっている。

 

*連絡・・・「思想感情の伝達」を意味している。

 

 

結婚愛466

 

この結婚的なものは、一夫多妻的姦通を犯す基督教徒の場合その姦通により破壊されることは、彼はマホメット教徒のように、妾と妻とを平等に愛することは出来ないのであり、彼が妾を愛し、または妾に熱するに応じて、その妻を愛しなくなり、これに冷ややかになるという事実から極めて明白である。そしてさらに忌むべきことには、それに応じて彼は心で主を単に自然的な人間として、マリアの子として認めて、同時に神の子としては認めなくなり、またそれに応じて基督教を無価値なものにしてしまうのである。