原因

 

 

目的結果

 

 

 

 

神の愛と知恵119

 

霊界の太陽とその本質、またその熱と光、それによる主の現存を取扱ったが、今や霊界の方位について叙述しなくてはならない。神の愛と知恵とが取扱われているため、かの太陽とかの世界とが取扱われており、その主題をそのものの起原そのものによらないで取扱うことは原因から出発しないで、結果から出発することであろう。しかも結果からは結果以外のものは何一つ学ぶことが出来ず、結果のみが考察されるとき、原因は明らかにされないが、原因は結果を明示するのである。原因から結果を知ることは賢明になる道であるが、しかし結果から原因を探求することは賢明になる道ではない、なぜなら妄想がそのとき現れ、探究家たちはそれを原因と呼ぶが、それは知恵を愚鈍に変えることであるから。原因は先在的な物であり、結果は後在的な物であり、先在的な物は後在的な物からは認められることは出来ないが、しかし後在的な物は先在的な物から認められることが出来る。これが秩序である。この理由から霊界が先ずここに取り扱われ―なぜなら凡ての原因はそこに存在するから―その後自然界が取扱われるが、自然界に現れる物は凡て結果である。