新しいキリスト教

『真珠』

あとがき篇

 

 

 

(昨年以前分は電子出版にて保管

 

 

 

 

2019年1月3日(木)

 

あとがき2018年分を電子出版に移行しました。

 

真珠あとがき2018―告解するー

 

 

電子出版移行分にすべてリンクを貼りました。

 

昨年までは新しいキリスト教のおおよその外形

を作るために数をこなしました。

 

今年は数は大幅に減るでしょうが、

神の摂理を取り上げ、内容を深めたいと思います。

ローギアからセカンドギアです。

 

 

 

 

2019年1月11日(金)

 

もう金曜日です。

最近一週間があっという間に過ぎて行きます。

 

神の摂理に取り組みたくてその前にまず『神の愛と知恵』を

読んでいます。集中力がなくてなかなか進みません。

一日数ページ読むのがやっとです。

 

気の散る原因として、最近ツイッターに興味を持っています。

何をするのか分かりませんが、本を買い求めて勉強しています。

 

 

 

2019年1月16日(水)

 

私が実際にしている余資運用について書きました。

どなたも将来の経済面が心配になることはあるでしょう。

そんな時にご参考になればと思います。

私はこの方法によって随分不安が解消されました。

 

 

将来の年金が心配な方へ 私の余資運用

 

 

私が本当にお薦めしたいのは新しいキリスト教です。

主を知ることこそ究極の幸せです。

 

しかし、物事には順番もあるでしょう。

先に必要なものがあるならそれを先に解決する方がいいでしょう。

主も病人を癒やされ、群衆にパンをお与えになりました。

 

 

マタイ14・14−16

 「イエスは舟から上がり、大勢の群集を見て深く憐れみ、

その中の病人をいやされた。夕暮れになったので、

弟子たちがイエスのそばに来て言った。

『ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。

群集を解散させてください。そうすれば、

自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。』

イエスは言われた。『行かせることはない。

あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。』」

 

 

 

人によって色々なニーズがあります。

そのニーズが人を新しいキリスト教に結びつける

きっかけとなるような気がします。

 

主は色々な方法で私たちをご自分に引き寄せてくださるのです。

 

 

 

 

 

2019年1月17日(木)

 

昨夜ツイッターを始めました。

今朝方思いついたのですが、

ツイッターで以前から話したいと思っていた

若い人たちに話せるかと。

 

私は特に全国で何十万人にものぼると

言われるニートの人たちに話したいのです。

 

私が本当に伝えたいのは究極の幸福を得るための

キリスト教です。

 

しかし、いきなりキリスト教では聞いてもらえないでしょう。

 

恒産なくして恒心なしと言うように

その前に収入の確保が必要です。

 

 

自家年金のことをいつか話しましょう。

 

先日掲載した

 

将来の年金が心配な方へ 私の余資運用

 

は、そういう方も念頭に入れています。

親子で将来を心配している方々もたくさん

いらっしゃるでしょう。

具体的なヒントになれば幸いです。

 

 

 

2019年1月23日(水)

 

今スウェーデンボルグの『愛と知恵』を読んでいます。

曖昧で疑問に思っていたことが理解、整理が出来て大変有意義です。

いかに自分の知識が不確かか分ります。

霊的な知識は教わらなければ自分では決して分かりません。

 

 

他の者から教えられる

 

 

この本がヘレン・ケラーの愛読書(?)であったとは。

彼女の知性はいかばかりか。

 

 

 

 

 

2019年2月3日(日)

 

 

『神の愛と知恵』をようやく読了しました。

とても難しく、しかし知識を整理するのに役立ちました。

 

今まで疑問に思っていて分かったこともありました。

 

例えば天界は二つの王国、即ち、天的王国と霊的王国に

分かれているとスウェーデンボルグはよく書いています。

 

しかし、第三天界、第二天界、第一天界との関係は

どうなっているのかと前から疑問に思っていました。

 

すると、第三天界は天的王国であり、第二天界は

霊的王国に間違いはなく、第一天界は自然的王国であって

それはこの世のことだというのです(神の愛と知恵232)。

 

そうだったのか(!)とやっと分りました。

 

前にも読んでいるのですが

全く見落としていました。

 

 

私のスウェーデンボルグに関する知識は

実際この程度の貧弱なものです。

 

これでスウェーデンボルグを勉強するのは

もう卒業しただの、しんどいなどと言っているのですから

どうしようもありません。

 

高校生の頃、友だちから君は低い所で完成していると

言われたのを思い出します。

 

 

やはり25年間で3回読んだくらいでは

私のニワトリ頭は忘れてしまいます。

そもそも忘れる前に、頭に入っていないのが

明らかです。

 

分かりやすい筈のスウェーデンボルグすら

私にとって充分樹海です。

 

 

私に分かっているのはスウェーデンボルグは

本物だということだけです。

 

 

どうか賢明な皆様がたくさんスウェーデンボルグ

を研究してくださいますように。

 

『神の愛と知恵』は医学者、科学者、生物学者

など理科系の方も読まれるにふさわしいかと思われます。

 

解剖学の知識がたくさん出てきたりするからです。

心臓と肺臓の関係や、心臓が血液によって

身体の各部を作って行く話など。

 

 

ツイッターに書きましたが、高校生の頃

数学が苦手で、物理は赤点を取った私では

とても付いて行けません。

よく卒業できたものです。

 

 

 

恐らく世界の、いえ、特に日本の科学者は

殆どスウェーデンボルグを

読んでいないでしょう。

 

しかし

きっと彼の本の中に偉大な真理を、

恐らくノーベル賞級の真理を

発見されるのではないかと期待しています。

 

 

スウェーデンボルグの本は

宗教家に限らず、科学者も必読の書です。

 

歴史学者、考古学者、人類学者もスウェーデンボルグを

読まねばならないでしょう。

 

昔の人類は内的呼吸をしていた(『天界の秘義』)などと

いうことは恐らくまだ指摘されていないでしょう。

それを考古学、人類学で証明すれば

世界は驚愕するでしょう。

 

 

とにかく凡ての人が読まねばなりません。

 

 

 

 

 

2019年2月4日(月)

 

『神の愛と知恵』を読了しました。

次は『神の摂理』を読もうと思います。

 

今まで外側ばかり触れていて、

内的なところに踏み込めていなかったので・・・。

 

それにはやはり摂理を学ばねば駄目だろうと思っています。

 

信仰があるかないかは神の摂理を信じているか

いないかに如実に現れます。

 

神の摂理を知ることは知識学習の面で

一段階上がることです。

 

 

 

 

2019年2月10日(日)

 

スウェーデンボルグの『神の摂理』を

読み始めました。

 

死んでから悔改めは出来ない筈なのですが

死後教えられて再生するようなケースもあるようで

今ひとつ私の中で明確ではありませんでした。

 

死後改良されるのは真理に対する情愛から

真理を欲している場合だそうです(神の摂理143)。

 

なるほど、よく分りました。

 

 

 

2019年2月13日(水)

 

今朝NHKの朝のドラマで

即席ラーメンが完成した場面を放送していました。

 

家族や知り合いに試食してもらい

全員がおいしいと言ったら完成だという

設定で、皆がおいしいと言うのです。

 

お湯を注ぐだけでこんなにおいしいと。

 

いつも見ていたわけではないので

よく分かりませんが。

 

そうか、新しいキリスト教もこういう風に

お湯を注ぐだけで誰にもおいしいと

言われるように簡単にすればいいのか、

と思いました。

 

悔改めを伴うのでなかなかそうは

簡単ではないと思いますが、

しかし、もっと手軽でないなら

いけないなと思いました。

 

 

 

2019年2月21日(木)

 

スウェーデンボルグの『神の摂理』を読了しました。

抜粋メモを作らずに読んだので1日20ページくらい

読めました。多い日には30ページも。

 

これで4回目だろうと思います。

新しい発見、明確になった所などがありました。

 

非常にユニークでおもしろい内容です。

最初の頃に読んでとても読みやすくて

好きでした。

 

 

 

神を信じるとは神の摂理を理解し、

承認することと同義、あるいは不可分離であると思います。

 

そういう意味で神の摂理を学ぶことは非常に重要です。

 

 

 

他の見神者たちの本を読むと、彼らが神の摂理を

例外なく知っていることが言葉の端々から窺えます。

 

しかし、これほど詳しく解説してある本はないでしょう。

 

しかし、各人が現実的な困難に対処するためには

他の見神者たちの言葉の方が役に立つと思います。

 

要するにスウェーデンボルグで神の摂理の存在を知り、

他の見神者たちから実践方法を学ぶということ

かと思います。

 

基礎知識と応用編です。

何ごとも一つだけではだめです。

ブレンドする必要があります。

段階を追って成長して行くのです。

 

主はそのために沢山の啓示を見神者たちに

与えられたのでしょう。

 

新しいキリスト教は

実際役に立つものにしたいのです。

 

神の摂理について今後少しずつ紹介して行きたいと思っています。

 

 

 

2019年3月7日(木)

 

 

先日、論創社/高橋和夫訳/エマヌエル・スウェーデンボルグ著/

『スウェーデンボルグ、聖書を読む「預言書」と「詩篇の真髄」』/

が発行されました。

 

本邦初訳です。預言書や詩篇全章の内的意義を

簡潔に要約しています。これらを読む際に

役立つでしょう。

 

 

 

昨日本屋さんで『天国はほんとうにある』という本を

求めました。米国の4歳前の男の子コルトン君が

虫垂炎を悪化させ、いわゆる臨死体験をして

天国を見てきた話です。

 

瀕死の息子を思うご両親の苦悩が描かれていました。

幸いコルトン君は奇跡的に回復し、天国の話をしてくれます。

特に主が子どもたちを愛しておられることを。

 

また、非常に興味深かったのは最後に書かれている天での戦いです。

 

著者であるコルトン君の父親(プロテスタントの牧師さん)が

黙示録の戦いを連想していましたが、全く同感です。

 

グリニョン・ド・モンフォールの言う世界終末の戦争

と同じものを意味していると思われます。

 

コルトン君はその戦争で父さんも戦うんだと言っています。

 

いずれ私たちもその霊的な戦いに加わらねばならない

と思います。

 

 

 

 

2019年3月8日(金)

 

「知ろうと願わない」を登録しました。

 

これは悔改めず、再生しないうちは私たちは

自然的・感覚的な存在であり、霊的なものごとに

拒絶反応を示すという内容です。

 

それは私たちの生来の悪が原因によるものです。

 

霊的に目覚めた者が誰しも感じる壁であり孤独です。

 

スウェーデンボルグは壁の存在を的確に指摘しています。

それを読んだだけでスウェーデンボルグの非凡さが

分かります。

 

主に教わっているので当然と言えば当然ですが。

 

ただ、いかんせんそれをどうしたら良いのか

については、簡単には分かりません。

 

それが『天国はほんとうにある』のコルトン君や

グリニョン・ド・モンフォールの言う世界終末の霊的戦争

を意味しているのかもしれません。

 

 

しかし、これまで恐らくスウェーデンボルグ以外の

誰も明確に指摘していなかったその壁の存在を

まず基礎知識として理解しておく必要があるでしょう。

 

 

 

2019年3月12日(火)

午前2時

 

今、目が覚めて思いました。

 

そうです。聖母は新しいエルサレムです。

 

主は十字架上からヨハネに聖母を賜りました。

あなたの母であると。

 

この聖母は教会を意味しています。

(黙示録講解9(5)、821ロ[]、真の基督教119)

 

それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」(ヨハネ19・27)

 

 

ヨハネが仁慈の善、即ち、愛の業であるなら

それは私たちの目指すべきものを指しています。

 

ヨハネが私たちの目指すべきものであるなら

聖母が意味する教会は教会が目指すべきものです。

 

教会が目指すべき教会というのはそれは究極の教会

新しいエルサレムに他なりません。

 

 

主はデボラへの啓示の中で新しいエルサレムとは

聖母のことであると明言されています。

 

「生ける神より明かされた英知」

 

 

しかし、理屈のうえからも聖母は

新しいエルサレムなのです。

 

 

 

 

 

2019年3月22日(金)

 

宗教というのは己を改善すること

だろうと思います。

 

もちろんその前提として神仏を信ずることが必要です。

 

それがために改善するのです。

 

神仏の教えだからそうするのです。

 

それが神仏を信じるということです。

 

信ずるとはその教えを実行するということまで含んでいます。

行わないなら信じていないのです。

少なくとも行おうと努力していないなら。

 

信ずると行うとは表裏一体、不可分離の関係です。

 

 

宗教学者や宗教評論家がキリスト教を

紹介する本をたくさん書いています。

彼らは何かの宗教を信じて、かつ行っているのでしょうか。

 

キリスト教徒でもなく、他の宗教を信じているのでもないなら

一体彼らは何を語っているのでしょう。

 

キリスト教の歴史でしょうか。

しかし、それを知って何になるのでしょう。

 

単なる知識のため、教養を広げるためでしょうか。

 

しかし、宗教とは己を改善するためのもの、

そして霊的に救われるためのものです。

本当に死後天国へ行くためのものです。

 

 

単なる知識の当て推量によって書かれた

本ならおよそ読む気がしません。

 

やはり個人的な証しでなければならないのでしょう。

そこには再生という神の奇跡があります。

 

 

それは私自身も自戒せねばなりません。

 

しかし自分の信じているキリスト教を紹介するための

教えの説明なら許されるだろうと思います。

 

そうでなければ宣教にならないからです。

 

 

また、クリスチャンを称する人の書いたものもあります。

しかし本人や周囲がクリスチャンと思っていても、

間違ったものならクリスチャンとは言えません。

 

主(イエス・キリスト)が神御自身と理解していないなら

お薦めできません。

 

あるいはキリストが身代わりになってくださったから

私たちは信じるだけで救われるなどというナンセンスなものは。

 

 

やはり読むなら見神者の書いた啓示書です。

 

 

見神者の啓示書で基本を知り、理解せねばなりません。

 

車の運転免許も学科と実技があります。

 

まず学科です。

 

見神者の啓示書もたくさんあります。

 

基礎となるのはやはりスウェーデンボルグに尽きるでしょう。

 

一般の方にスウェーデンボルグを全部お読みなさいとは

到底言えません。しかし、少なくともキリスト教の本を書く

学者や評論家はスウェーデンボルグをある程度

読んでいなければ話になりません。

 

しかし、読もうとはしないでしょう。

それは自分を全面的に否定されるからです。

 

しかし、スウェーデンボルグを読んでいないなら

単なる霊的無知、怠慢、あるいは傲慢です。

 

信ずるかどうかは本人の自由ですが

少なくとも読んでから批判しなければ

これからは相手にされなくなるでしょう。

 

 

 

 

2019年3月23日(土)

 

ウィキペディアによるとスウェーデンボルグ

はフリーメーソンに影響を与えたかのように書かれています。

 

私は興味がないのでフリーメーソンのことを

よく知りません。仮にそれが何かの神に仕えると言っても、

それはただの偶像崇拝、自己崇拝でしょう。

要するに無神論です。

 

人は神に仕えるか、己に仕えるかどちらかです。

 

だれも、二人の主人に仕えることはできない。(マタイ6・24)

 

 

いやしくもキリスト教圏で

神なる主(イエス・キリスト)に仕えないなら

自己に仕えるのです。

神の否定です。

 

人間の自己は悪と誤謬の塊です。

悪と誤謬は悪魔、サタンのものであって、

結局自己崇拝は悪魔崇拝なのです。

 

私たちは悔改めないなら悪魔、サタン予備軍であり、

死後は正規のそれとなります。

 

 

スウェーデンボルグは主(イエス・キリスト)は

父なる神御自身だと言っているのです。

 

これ以上キリスト教であるキリスト教がどこにあるでしょうか?

 

スウェーデンボルグのどこがフリーメーソンか

教えて欲しいものです。

 

ニューソートもしばしばスウェーデンボルグを利用します。

 

ニューソートやフリーメーソンがスウェーデンボルグを

歪曲して利用したからと言って

どうしてスウェーデンボルグがニューソートや

フリーメーソンの元祖でしょう?

 

宗教を悪用する者がいるからと言って

真の宗教そのものの価値が減ずることはありません。

 

金塊に糞を塗りつける輩がいるからと言って、

金塊の価値が変わることはないのと同じです。

 

彼らの提示するものこそ

悪臭漂う金粉を塗った糞です。

 

くだらない嘘に騙されてはなりません。

 

そのためには見神者の啓示書に学ばねばなりません。。

 

 

 

 

2019年3月25日(月)

 

「信仰義認説は誤り」を登録しました。

 

信仰義認説がいかに誤っているかに関し

スウェーデンボルグの発言を集めました。

 

スウェーデンボルグが亡くなったのは1772年

ですから、今から247年前です。

 

その頃、よくこれだけはっきり書いたものです。

 

スウェーデンボルグの勇気と使命感に敬意を表します。

 

しかし、さすがに当時の西欧では異端裁判で

火炙りにはなりませんでした。

 

故国スウェーデンにはいられなかったかもしれませんが、

英国では出版しています(オランダでも?)。

 

当時の英国の出版の自由、言論の自由はたいしたものです。

21世紀の現代でも自由な発言ができない国はたくさんあるでしょう。

 

 

 

しかし電子出版とは何と有り難いことでしょう。

このような紹介が個人で出来るのですから。

 

 

発言の自由があり、インターネットも発達している現代に

おいて、スウェーデンボルグの教義を紹介することなど

当時に比べれば何ほどのことでもありません。

 

しかし、私はスウェーデンボルグの教義に加えて、

更に聖母にまで歩を進めたいと願っています。

 

聖母についてすでにたくさんの啓示書が

与えられています。

 

それを紹介し、聖母による新しいエルサレムの実現を

お手伝いすることこそ

スウェーデンボルグを通して主から

多くのことを教えていただいた

スウェーデンボルグ読者の中の一人としての

使命であると思っています。

 

 

 

2019年3月28日(木)

 

若者はパワーがあります。

それは私たち老人にないものです。

 

しかし、彼らは自分たちが求めているものが

何か知りません。

 

まだこの世の成功を求めているのでしょう。

あるいは見つからなくて立ち止まっているか

のどちらかでしょう。

 

私たちが求めるものはこの世の成功ではなく、

あの世の成功、即ち、それは天国です。

天国へ行くためにこの世で修行をしているのです。

 

 

まず神を知らねばなりません。

 

主を知らねばなりません。

 

私たちに生命を与えてくださり、

この世を存在させ、

あの世を存在させてくださったのは主です。

 

また維持されているのも主です。

 

その与え主である主を知らないで

どうでしょう。

 

若者が本当に求めるべきは主なのです。

 

 

 

2019年4月3日

 

ツイッターに現在十戒について書いています

今、第4戒:なんじ、父母を敬うべしです。

 

この世の父母を敬い愛すことは誰もの義務です。

 

しかし、霊的には

父とは父なる神のことであり、

それは主(イエス・キリスト)のことです。

母とは聖母のことです。

 

主と聖母を知り、愛すことは義務である以上に

幸福、平安、喜びです。

 

ヨハネ14・18

「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」

 

主のお約束通り、私たちは霊的に

孤児(みなしご)ではないのです。

 

限りない愛と慈悲の

父なる主と母なる聖母がおられるのです。

 

新元号と共にまだ誰も知らなかった

新しいキリスト教の時代が始まります。

 

日本が世界に誇るキリスト教です。

それは美しい真珠や桜が

日本の発明であったこと

と符合します。

 

世界は群れをなして日本に新しいキリスト教を

学ぶために訪れるようになるでしょう。

 

日本を救い、世界を救うために

私たちは勉強しなければなりません。

 

それなりの努力が求められます。

 

もしあなたがニートや引きこもりなら

そうしている暇と余裕があったら是非

新しいキリスト教の勉強をしてみてください。

決して無駄にはなりません。

 

自分が救われたら、本当に幸せになります。

そして更に今度は人を救えるのです。

自分と同じような人を。

 

あなたは救霊の立派な担い手となるでしょう。

 

それはあなたにしか出来ないことです。

あなたの経験を活かすことが出来るからです。

 

自分の境遇を主のお導きであると考えることです。

もちろん主のせいにしてはなりません。

 

主はあなた鍛えるために今の状態を許しておられるのでしょう。

しかし、いつまでもそのままではいけません。

 

私たちは人の役に立つ人間にならねばなりません。

人の役に立つことが本当の喜びであり、報酬なのです。

それが天界の幸福です。

それはこの世からすでに始まります。

 

この世で大成功しなくても良いのです。

どんなにささやかなものでも良いのです。

 

捨てるものがないならむしろ好都合です。

何故ならそれに打ち込めるからです。

 

カトリックの司祭やシスターが

独身なのをご存知でしょう。

家族がいたら救霊に打ち込めないからです。

 

ヨハネ15・13

「友のために自分の命を捨てること、

これ以上に大きな愛はない」

 

救霊こそ最も高貴な仕事です。

 

 

 

2019年4月3日(水)

 

新元号が決まりました。

新しい時代を迎えるという気分を味わえ

元号という制度は素晴らしいと感じます。

 

これは再生を意味しているのでしょう。

 

日本は何度も何度も再生を繰り返してきたのです。

 

私たちの再生も無限に続きます。

 

 

さて、今パウロが信仰義認説でないこと

について書いています。

なかなかまとまらないのですが、

書かねばなりません。

 

 

ローマ3・28

「なぜなら、わたしたちは、人が義とされる

のは律法の行いによるのではなく、

信仰によると考えるからです。」

 

が誤解されていることについてです。

 

信仰という言葉も現代の三位一体論では

ありませんし、律法も十戒ではなく

割礼などの規則のことです。

 

現在の色眼鏡で当時を見るという

誤りを犯しています。

 

当時、そんなものはなかったのです。

実に単純な話です。

 

外国語の語学力など不要です。

普通の国語力があれば

パウロが信仰のみを言っているのではなく、

行いを重視していたことくらい

和訳された聖書を読むだけで

充分理解できます。

 

信仰義認説を唱える学者や教役者が

いかに惑わされているか分かるでしょう。

 

彼らは理解しようとしないのでしょうか。

 

いずれにせよまさに王様は裸なのです。

 

キリスト教に

新しい時代が来るでしょう。

 

 

 

 

2019年4月6日(土)

 

「パウロは信仰義認説ではない」を

登録しました。

 

パウロの言葉

「なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは

律法の行いによるのではなく、信仰によると

考えるからです。」(ローマ3・28)

 

が誤解されていることについてです。

 

パウロが善い行いを伴う信仰を重んじていたことは

明らかです。

 

 

 

2019年4月19日(金)

 

先日フランスのノートルダム大聖堂が焼けました。

きっとサタンが聖母崇敬を滅ぼそうと必死なのでしょう。

また、古いキリスト教において聖母崇敬が

地に落ちたことを意味しているのでしょう。

 

 

プロテスタントやスウェーデンボルグ派では

すでにサタンが勝利しました。

 

カトリックや正教系に少し残っている聖母崇敬を

滅ぼそうと最後の仕上げに躍起なのでしょう。

 

 

私たちは聖母を母(教会)とせねばなりません。

なぜなら主はヨハネに聖母を母とせよと命じられたからです。

 

あるいは教会の母とせねばなりません。

お手本のすべてのすべてである神なる主が

聖母を御自身の母とされたからです。

 

 

第4戒:なんじ、父母を敬うべし

は具体的に父とは主であり、母とは聖母です。

 

カトリックでは(恐らく正教会も)主を

父なる神御自身と認識していません。

ですから母だけです。

スウェーデンボルグ派の新教会では

聖母を敬っていません。

ですから父だけです。

 

プロテスタントではどちらも敬っていません。

 

 

片方だけでなく、両方を正しく認識して

両方敬うのが新しいキリスト教です。

聖母崇敬こそキリスト教そのものであり、

聖母こそ新しいエルサレムその方です。

 

聖母のように私たちも父なる神御自身である主を

自分のうちに宿さねばなりません。

聖母は身をもってそれを体現されたのです。

 

 

もちろん、私たちは主と聖母を敬うだけでなく、

主の戒めを行わねばなりませんが。

 

スウェーデンボルグ派は主を父なる神御自身

として敬うところまで到達しました。

しかし聖母崇敬にまで歩を進めることが

新しいキリスト教の使命です。

 

カトリック代表国の一つフランスで聖母の大聖堂が焼け落ちたことは

古い教会の時代が終わり、いよいよ異邦人の国で

キリスト教が再興される印でしょう。

日本はその筆頭として頑張ることが期待されます。

 

 

 

 

2019年4月28日(日)

 

聖母は文字通り生ける聖櫃、生ける神殿です。

なぜなら聖母の中に主がおられるからです。

 

黙示録21・3−4

「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、

人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、

彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。

もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。

最初のものは過ぎ去ったからである。」

 

聖母は神の幕屋です。

主が聖母の中に住んでおられるのです。

ですから聖母は新しいエルサレムその方です。

 

神が人と共に住むとは、聖母と共に住まわれるのです。

従ってそのことは聖母を私たちの家に(心に)

引き取ることによって為されます。

 

主が十字架上からヨハネに聖母のことを

「見なさい、あなたの母です」(ヨハネ19・27)と

言われたのはまさに聖母は主の住まわれる

新しいエルサレムだからです。

 

 

いよいよ平成天皇のご退位が近づいています。

陛下の柔和さに主の祭司としての慈悲が

象徴されているのを感じます。

また皇后陛下のお優しさは聖母を思わせます。

 

明らかに天皇陛下は主を、皇后陛下は

聖母を表象しておられます。

 

私たちが天皇皇后両陛下を敬慕するのは

まさに主と聖母をお慕いすることの現れです。

 

実に日本には皇室という見える形での

主崇拝、聖母崇敬があったのです。

 

昔、文字の読めない者たちのために教会のステンドグラス

に主や聖母のお姿や福音の物語が描かれたそうです。

 

皇室は主と聖母を知らない私たちに主と聖母を

教えるために設けられたステンドグラスのようです。

 

どの国の王室も同様でしょうが、

特に我が国の皇室はそのことを感じさせます。

 

 

 

 

2019年5月6日(月)

 

新陛下の御即位と一般参賀も終わりました。

国民が歓びをもって祝う姿に感動を覚えました。

日本人の持つ無垢を想います。

無垢が無ければ天界へ行けないそうです。

子供のようにならなければなりません。

 

 

5月となり晴れた日はまことに

良い季節です。

 

聖母月と言って、ミサで

「天の后(あめのきさき)天の門」と

歌われると、ああ5月だと思います

 

歌うのはいつも1番だけなので少し残念ですが。

後半の方、最後の5番、6番が大好きです。

 

5番

行く手示す 明の星

導きませ 御母マリア

アベ アベ アベマリア

 

6番

神の御母 我が望み

今もいつも 守り給え

 

 

今、聖母が新しいエルサレムであることについて

書いています。

なかなかまとまりません。

 

あれもこれもと詰め込んですぐ長くなるので、

短く、何回かに分けて書こうかと思います。

 

話が飛んだり、引用が多くなったりすると、自分で書いていても

混乱し、収集がつかなくなります。

皆様がはたしてこれを読んで下さるだろうかと

思いながら書いています。

 

引用は出来るだけご参考として巻末にまとめてみます。

 

お経や挨拶同様短ければ短いほど

お互いに気が楽でしょう。

 

天の后の歌(ルルドの聖母)も短いから良いのかもしれません。

 

 

 

2019年5月7日(火)

 

ちいヨハホームズ・ワトソンの新しいキリスト教!!

「聖母は新しいエルサレム」1.

―スウェーデンボルグも書いていたー

を登録しました。

 

聖母は新しいエルサレム1.スウェーデンボルグも書いていた

 

スウェーデンボルグは聖母が新しいエルサレム

であることを明言していないと思っていました。

しかし実は書いていたのです。

恐らく本邦初、世界初の指摘です。

乞うご期待。

 

 

 

2019年5月11日(土)

 

「聖母は新しいエルサレム」2.

―スウェーデンボルグにおける聖母ー

を登録しました。

 

後、「聖母に関する外観の法則」

「聖母こそふさわしい」

というテーマで書ければと願っています。

 

 

聖母は新しいエルサレム2.スウェーデンボルグにおける聖母