新しい教会の二つの本質的なもの
黙示録11・3−6
「わたしは、自分の二人の証人に粗布をまとわせ、千二百六十日の間、預言させよう。」この二人の証人とは、地上の主の御前に立つ二本のオリーブの木、また二つの燭台である。この二人に害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。この二人に害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。彼らには、預言をしている間ずっと雨が降らないように天を閉じる力がある。また、水を血に変える力があって、望みのままに何度でも、あらゆる災いを地に及ぼすことができる。
黙示録11・7−10
二人がその証しを終えると、一匹の獣が、底なしの淵から上って来て彼らと戦って勝ち、二人を殺してしまう。彼らの死体は、たとえてソドムとかエジプトとか呼ばれる大きな都の大通りに取り残される。この二人の証人の主も、その都で十字架につけられたのである。さまざまの民族、種族、言葉の違う民、国民に属する人々は、三日半の間、彼らの死体を眺め、それを墓に葬ることは許さないであろう。地上の人々は、彼らのことで大いに喜び、贈り物をやり取りするであろう。この二人の預言者は、地上の人々を苦しめたからである。
黙示録11・11−12
三日半たって、命の息が神から出て、この二人に入った。彼らが立ち上がると、これを見た人々は大いに恐れた。二人は、天から大きな声があって、「ここに上って来い」と言うのを聞いた。そして雲に乗って天に上った。彼らの敵もそれを見た。
黙示録11・13
そのとき、大地震が起こり、都の十分の一が倒れ、この地震のために七千人が死に、残った人々は恐れを抱いて天の神の栄光をたたえた。
黙示録11・19
『神の神殿が天で開かれ、その神殿にその契約の箱が見えた』は、主がその神的な人間的なものにおいて〔主の神的な人間的なものが〕拝されて、主の十戒の戒めに従って生きている新しい天界を意味している―神的な人間的なものとしての主を拝し、その十戒の戒めに従って生きることが新しい教会の二つの本質的なものであって、そのことによって連結が行われるのである(529番)。 『電光と声と雷と地震と大きなあられが在った』は、低い地方に続いて起ったところの、推理、動揺、善と真理との誤謬化を意味している(529番)。
啓示による黙示録解説/上巻P599
霊的意義
黙示録11章
全章の内容。
それは依然、改革派の者らの間の教会の状態を、以下の方面で取り扱っており、即ち、主のみが天地の神であられ、その人間的なものは神的なものであられ、人間は十戒の教えに従って生活しなくてはならないという、新しい教会の二つの本質的なものに反して、内的に信仰のみの中にいる者らの性質の方面を取り扱っている。この二つの本質的なものが彼らに宣べ伝えられた(3−6節)。しかしそれらは全く斥けられた(7−10節)。それらは主によりよみがえされた(11、12節)。それらを斥けた者らは滅んだ(13節)。新しい教会の状態が新しい天界から明らかにされた(15−19節)。
神の摂理253
今までは我々は、単に自然的な人間に神的摂理に対する不信仰を確認させるところの、237番に前述した事柄のみを説明した。今や我々は238番に記された物を説明しなくてはならない、それは種々の民族の宗教体系に関係していて、単に自然的な人間にはまた神的摂理に対する反証として役立っているものである、なぜなら彼は『もし神の摂理が人類から発する天界を目的とするなら、どうして全世界に一つの真の宗教がなく、かくも多くの異なった宗教がありうるのであろう』と心に語るから(27−45)。しかし考えられよ、一度生まれた人類は凡て、如何ほどその数は多く、また如何ような宗教を奉じていても、もし、殺人、姦淫、盗み、偽証は宗教に反し、それゆえ神に反するため、これらの犯罪を禁じている十誡の教えに従って神を承認し、生活するならば救われることが出来るのであって、そのような人間は神を恐れて、隣人を愛しているのである。彼らはそうした事を為すのは神に対する反抗であると信じているため、神を恐れており、また人を殺し、姦淫を犯し、盗み、偽証を立て、他人の家または妻を貪ることは隣人を傷つけることであるため、隣人を愛している。こうした人間はその生涯に神を敬い、隣人には悪を為さないため、主に導かれ、そしてこのように導かれる者は凡てその宗教により神と隣人につき教えられる、なぜならそのような生活をしない者は教えられようとはしないが、そのように生活する者は教えられることを愛し、そして教えられることを愛するため、死後霊になると、天使から教えられ、喜んで聖言の真理を受けるのである。こうした性格の人間について若干の記事が「新エルサレムの聖書の教義」に見ることが出来よう(91−97、104−113)。