筆硯親(necshodo)

NEC玉川書道部の仲間達

 もう10年も前のことになりました。 当時の職場は、開発設計の仕事もやっていて若いエンジニア達が通信機器に実装するユニットのプリント基板の配線パターンを書いていました。 その基板図を何枚か重ねてチェックするため大きな透し板台(大きなガラス板の下に光源があって下のものを上から透かして見るようにしたもの)がおいてありました。
 NEC玉川書道部創設期からの大ベテランE氏が社内のいろいろな顕彰に使う賞状類を書くために、時々同じ職場のS氏と現れ賞状書きのボランティアをさりげなくやっていくのでした。 もともとE氏・S氏とも何十年来の顔見知り(というかファミリーの一員)でしたので、雑談したり、バカ話をしたりしておりました。
 その内2人がNEC玉川の書道部員であることがわかり、S氏は1年ほど前に入部したとのことでした。 しばらくたってから、ちょうど年賀状で「毛筆病」のウイルスが活動を始めた時期でもあり、S氏に誘われるまま書道部の練習場に顔を出しました。
 伝統ある書道部も部員の減少によって部の存続が危ぶまれる状態を何とか打破しようと、幹事のS氏が「部員倍増キャンペーン」を始めたということでした。 いろいろな話を聞いている内、みんなと一緒なら楽しくやれるかなと感じ、入部させてもらうことにしました。 本式に「お習字」を習うのは何十年ぶりでしょうか。 おそらく中学校の習字の時間以来のことでしょう。

 月2回の練習日は、なるべく休まないようにし、練習不足でもとにかく月例の競書には提出することだけをノルマとして、あせらず、あきらめず、ぼちぼちとやっております。

 仲間とのつきあいは、単に練習場のみにとどまらず、ハイキングやいろいろな展覧会の鑑賞会、お茶会への突入、なんだかんだと口実をつけた飲み会などなど、楽しいイベントが次々と計画されてあきることがありません。

 ある時、誰からともなく「水墨画をやってみたい」という声が出て、ちょうどシーズンでもあった年賀状にちなんだ俳画絵手紙教室風の催しを開くことになりました。 10名近くの参加者があり大盛況の1日教室でした。 以来、暑中見舞いと年賀状のシーズンになると、また「やろうよ!」とということになり、5〜6回開催しました。 腕前の方もビックリするくらい上達し、偉そうに講師を担当している私が“負けそー!”と冷や汗をかくようになってきました。

 何人かの仲間と同じように私もNECを卒業しましたが、ひき続きOB部員として活動に参加しています。 現役もOBもまったく区別なく参加できるところが、またたまらなく魅力的なところです。

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(2001FEB13)