報恩講のページ

○報恩講(ほうおんこう)は、浄土真宗のご開山親鸞聖人のご命日法要です。

○全国の真宗寺院・各家庭にて執り行われる、浄土真宗の門信徒にとって一番大切な法要です。

○本山(西本願寺)では、1月の9日〜16日までの7昼夜お勤まりになります。

○専能寺でも、以前は七昼夜勤められていた事から「おしっちゃ(お七夜)」と呼ばれていました。

○現在では、11月14日〜16日の3日間にわたり勤められます。

○忙しい時間を割いてでも、是非お参りください。

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「報恩講」のこと(めぐみ38号より)

 専能寺のご門徒の中には、今でも「おしっちゃ」と云う人たちがいます。
「お七夜」が訛った言葉のようです。

私が子供だった頃は、ご本堂から山門の道まで十数軒ものお店が立ち並びました。当時は、今と違って乗り物の便も悪く、四・五キロ先まで歩かないと町に出られない時代でしたので「おしっちゃ」の時は参拝者も買い物を楽しむことが出来ました。

報恩講の時季も、農家の仕事の都合に合わせていました。境内の大銀杏の葉も霜によってすっかり黄色く色づき風も無いのに見事に降り注ぐ寒い季節でした。雪のちらつく頃でもありましたし、農作業の時季も時代と共に次第に早まり、相まって報恩講の日にちも七昼夜から五昼夜・三昼夜へと時代と共に短くなり、現在の二昼夜へと落ち着いたのでした。

ところで、私たちにとって報恩講(ご恩にむくいる)とは一体どういう意味を持っているのでしょうか。

◎とある小学校の五年生の教室で先生が「おん」(恩)という意味を尋ねたら、元気の良い子が「鶏のオスのことです」と答えたといいます。きっとその子は「おんどり・めんどり」から連想したのでしょうが、私は、普段の生活の中で「恩」を理解でききていない子供が増えているのかと心配になりました。
◎今度は、PTAの会合でのことです。先生との懇談会で、父母より「食事の前に手を合わせることをやめて下さい」との発言があったそうです。その理由は、「信教は自由なのに、合掌は宗教作法だから」とのことでした。 

私たちの食べている物は、お肉にしてもお野菜にしても「命あるもの」です。命あるものを食べて、私の命に換えさせていただいているから、私たちは生きていけるのです。その食する命に対して感謝の気持ちを表す形が合掌して「頂きます」と言う姿。昔はあたりまえのことだったと思いますが…常日頃よりご法話を聴聞されているご門徒の皆様には今更申し上げる話ではないのですが、「恩」を感じられない世の中にはしたくないものです。

さて、私たちの人生の中で一番大切な「恩」は、九十年の生涯を通して私たち一人ひとりのために、生きとしいけるもの全てを導き・仏の悟り(浄土)へと救い取る「お念仏のみ教え」を遺して下さった親鸞さまへのご恩です。

そのご苦労とご功績に対して、心からの感謝と御礼を申させて頂く集い()が報恩講なのです。

親のご恩、人様のご恩、食べ物のご恩、様々なご恩を忘れてしまう私だからこそ、今一度「仏法」を聴聞させて頂くのです。

一人でも多くの方のお参りを待っています。           合掌

前住職 足利 寛之