〜会報によせて〜

「大分高専におけるデス・エデュケーション」 
影山 由利 運営委員


 2001年11月から翌2月まで全5回、ほぼ月に一度のペースで、国立大分工業高等専門学校において、「デス・エデュケーション(生と死の授業)が行われました。これは、「大分・生と死を考える会」が、企画・デザインに始まり、テーマや講師の設定、全体のコーディネイトに至るまで、一切のプロデュースを請け負った出前授業で、市民グループである私たちの会が、国立の学校に全面 的に委託を受けた、全国的にもユニークなケースです。 
 「高専」というのは高校3年+短大部2年から成る5年制の、非常に高度な専門性を持った工学系の学校で、産業界に優秀な人材を送り出す一方、単に学芸・職業教育だけではなく「心身共に健康な技術者の養成」という「心の教育」にも力を入れています。しかし近年、留年者が増え、学習・労働意欲や「生きる力」の低下が見られるようになってきたため、「死を見つめることにより生きる態度について学ぶ」ことをめざして、「死への準備教育」を導入したいという要請が私たちの会に寄せられました。 
 「死への準備教育」は、「ホスピス運動」「悲嘆ケア」と並んで、私たちの会の大切な柱のひとつです。毎月の定例会で学んだことを学校に「出前」して、教育現場に生かすことができたら・・・昨年の総会で提案された時はまだ漠然としていた願いが、早くも実現することになりました。  
  運営委員会の有志が集まり、教育経験のある者が中心となってテーマや授業案を練り、死生学の骨子にあたる部分とそれらを肉付けするような現場からの報告を盛り込んで、講師は会員のみでなく、これまで定例会で講演してくださった医療者にもお願いすることにしました。 
 各テーマは「今というかけがえのない時間」「私というかけがえのない存在」(会員/影山由利)・「なぜ死にたい傷つけたい」(会員/湯川丈一神父)・「なぜ命は尊いか−終末期医療での学び−」(三重病院院長/坪山明寛先生)・
 「自らの人生において大切なこと−命について考える−」(木村外科病院ホスピス長/小早川晶先生)。
 対象となった高校3年生は171人。事前のアンケートによれば、「自分の死について考えることはほとんど/全然ない」は42%、「身近な他者の死について考えることはほとんど/全然ない」は35%、「身近な死に出会ったことがない」は20%、授業に「関心ある」は33%、「気がすすまない」は11%、「ピンとこない」が最も多く34%でした。 
 一回の授業は50分。問題意識も死別の体験も千差万別の171人の学生は、医学的な話題になるとキラッと目が光る人、若き日の進路や人生の悩みを語る講師に共感する人、亡くなる間際の患者さんの生き方に心動かされた人、死の話は聞きたくないが不登校の生徒の話が良かったという人など、重いテーマにも拘らず、皆なかなかよく話を聴いてくれました。担任や有志で聴講された先生方にも「静かに自己を見つめる良い時間」と好評でした。
 初対面で大人数なので、授業が一方的になるのを最少限に抑えるため、途中、3回ほど「通 信」を発行し、アンケート結果を載せて友人の考えを知ることができるようにしたり、お薦めの本を紹介したりして、授業を補うように工夫しましたが、授業終了後の感想は「おもしろかった」「ためになった」等、肯定的な回答が34%、「おもしろくなかった」「ブルーになった」「印象に残らなかった」等、否定的な回答も同様に34%、無回答・未提出22%、その他にいろいろ感想を書いてくれた人が25.5%です。
 当然のことながら、関心も受けとめ方も驚くほど異なりますが、それほどまでに人間は奥深く、一人ひとりが独自な存在であるということでしょう。心の変化や人間の成長は必ずしもただちに目に見えるものではないので、この授業の評価というのは今すぐにはむずかしいのですが、それが肯定的なものであれ否定的なものであれ、彼らが何かを感じ、自分なりの意見を述べ、ふだん考えもしないようなことを考える機会を持つことができただけで充分意義があったとうけとめています。
 この授業は今年度も継続して行われます。皆さまも一度聴講にいらっしゃいませんか。「死への準備教育」を研究してゆく仲間も募集中です。