〜会報によせて〜

「優しい時間に憧れながら」 
大地 海 さん

 義父が亡くなって15年になります。
 もし、あの時大分にホスピスがあったら私はこんなに辛く悲しい別れをする事は無かったに違いないと悔やまれてなりません。
 その日、義父は何時もの笑顔で食欲が無いので胃の検査に来たよと言いましたが一週間の検査入院の結果 、家族が医師から受けた話は、末期の肝臓ガン、余命は半年とのことでした。肝臓はもはや手術の出来る状態ではありませんでしたが、検査の結果 小さなガンが胃の入口にも見つかったという事から、手術を受けるようになりました。不思議な事に手術は本人の意思よりも家族の意思のほうが尊重され、また必要、不必要という問題もどこか医師に対する遠慮や気使いがあったように思われてなりません。
 私は、残った時間を有意義に使って欲しいという気持ちから告知はする事、必要でない手術はしないと願いましたが、義母は告知しない、胃潰瘍と偽って手術は受けるの一言から恐ろしく残酷な入院生活が始まりました。長い手術時間を終えて病室に戻って来た義父は、随分憔悴していましたが、麻酔から醒めると希望に溢れた様子ではしゃいでいるように見えました。窓の外は夏、大きな花瓶にオレンジ色のカンナが生けられていました。
 何も知らない無邪気な義父、そして少しばかり安心顔の家族達、まるで悪い病巣は全てなくなったかのような錯覚に誰もが陥っていました。しかしそれから半年後、星の降る静かな夜、義父は帰らない人になってしまいました。手術後の胃の傷は癒えないままでした。
 今となってはどうしようもありませんが、あの6ヶ月は側で見ている者にとっても辛い時間でした。最初の1ヶ月 くらいは、誰もが思いやりをもっていたようですが、最後の3ヶ月はあきらめと疲れから、やり場のない怒りと閉ざされた世界の中で、たいへんなのは、患者ではなく付添い人だと感じるようになっていました。
 今でも私は思います。 あの時もっと違った対応が出来ていたら彼は残した仕事と大好きな庭の手入れが出来たでしょう。それから菩提寺に眠る先祖への挨拶、愛ある平和な時間。
 今年も、義父の季節がやってきます。緑が濃くなって夕暮れに季節のはざまが顔を出す時期になると、初めて彼に会った日と、それから別 れが始まった日とを思い出します。
 あの時、ホスピスがあったなら、そして私にもっと勇気があったなら見送られる人も見送る者も、もっと幸せな思い出をもてたでしょうに・・・。