〜ひまわり〜

「この会との出会い」 三重野 通啓 運営委員

 この会の集まりを知ったのは、たまたま私が見つけた大分合同新聞の案内記事からでした。その頃の私は、3年前に母を亡くした直後の、精神的にもまだ不安定な時期で、今から考えると、その頃はかなり落ち込んでいたと思います。しかし、この会に時々出て、お話を聞かせていただいたり、分かち合いの場で自分の気持ちを話したり、他の人の考えや悩みなどを聞いて議論したりという事が、自分の落ち込んだ気持ちを少しずつ和らげてくれたと感じています。それには時間も必要だったのだと、今はその様に思っています。最初は「生と死」に、直接的に関わるテーマを選んで出席していたように思います。しかし、参加の回数が重なり、気持ちが落ちついていくに連れて、もっと別 の幅広い話題にも、興味をもって参加できるようになりました。私が今日あるのは、この会とみなさんのおかげと感謝しています。これからも皆さんと一緒に、ゆっくりと学んでいきたいと思います。


「二人の死」 三宅 英明 さん              

 春。出会いと別 れの季節。出会いは、胸弾ませるが、別れは胸に迫るものが多い。
 3月9日。実母が入院2日目に心不全にて、あっけなく 88才の生涯を終えた。

 他人は「歳には不足はない」とか、「大往生だな」だとか言う。母も日頃より「死ぬ 時は苦しまず、ぽっくり往きたい。身体も弱ったので、早くお迎えが来て欲しい」と、言っていた。しかし、やはり本心では、一日でも永く生きていたかったことと思う。慈愛の兄夫婦、可愛い孫、曽孫に囲まれた団欒の日々を過ごしていたのだから。だが、死化粧を施した母の顔の安らかさに、救われた思いがした。
 同じ日、B大学名誉教授のK氏が、自ら命を断ったという報に接した。考古学者であった彼に、私は幼い頃から尊敬と憧憬の念を、抱いていた。誹謗、中傷、ざん言に、身を賭しての抗議の行為であったのではなかろうか。私には彼の無念さや悔しさが、万分の一ではあるかもしれないが解る気がする。
 二つの尊い生命。大宇宙創造の神が現世に授けてくださった生命。輪廻転生とは云うが、再び現世に蘇ることのない二人の生命。
 生と死について考えさせられた新世紀の春も、百花を散らし若葉も目に染みる晩春へと移ろいつつある今日今頃である。


「只今、悲嘆ケア中です」 山下 一恵 さん       

 主人をホスピスで見送って1年余りがたちました。亡くなったショックで記憶のない時期があったり、夜眠れない日が続いてうつ状態になったりと、自分の半ば分身であった伴侶を失うのはつらいものです。「なぜ? 私達が?」と未だ納得しきれるものではありませんが、少しずつ受け入れていきたいと思っています。
 この1年余り、私には沢山の友人ができました。同じように伴侶をがんなどで亡くした人達です。年齢も様々ですが、それぞれの思いを分かち合い、素直に涙を流すことでずい分癒されてきている気がしています。ああ、私もそうだった。そう思っていたのは私だけではなかったのだと。
 生と死を考える会の悲嘆ケアにも一度、出席させていただきました。とてもいい分かち合いを体験できたと思います。帰りは少し、足取りも軽くなったようでした。また、参加させて下さいね。