〜ハートフルエッセイ〜

「ホスピスにおもう」 村上 眞由美 さん

  小さな、古びた白黒写 真の中で、坊主頭のはにかんだ表情のM兄ちゃんにだっこされた赤ちゃんの私・・。いとこのM兄ちゃんは大きな存在だった。小学生の私がよくゼロ戦の絵を描いていたのも、兄ちゃんの影響だった。ちばてつやの「紫電改のタカ」をまねていたようだ。D商時代の兄ちゃんの部屋には、大事そうに飛行機のプラモデルが置かれていた。
 
やがて社会人になり、流行に敏感なおしゃれさんでカッコよかった青年もいつしか結婚。そして二児の父親になる頃、ガンで入院。「痛みが出た時には、もう手遅れだなんて・・・悪魔のような病気だ」と高校生の私は思った。今は既に故人となった伯母と一緒に面 会謝絶の病室を訪れた時、あのカッコよかった従兄弟が本当にやせ衰えて・・・・・お守りで痛むおなかをさすっていた。私は心の中で神様に祈るのが精一杯だった。
 ガンは伯母から夫ばかりか息子まで奪っていった。
 約30年も前の出来事がホスピスを考える会の事務局の行為への心情的な動機だったのかもしれない。
 さて2000年の現時点で大分県にホスピスがないことを皆さんはご存じでしょうか? 1998年秋に行われたホスピス講演会以来、キリスト教会に端を発した「ホスピスを考える会」は市民ボランティアの運動体として講演会を開く度にアンケート調査を行い、その「声」を市議会と県議会に代理人として届けてきた。
 そして私達はホスピス開設を計画中の医師佐藤俊介先生に出会う事も出来た。
 ところで、「ホスピス」に求められているものは何であろうか。或る方のアンケート用紙にホスピスへの要望として「私の声を聞いてくれる場所」と書いてあった。
 Heart(心)には ear(耳)がある。おたがいが各々心を開いて、聞く耳を持って心の真実を伝えあう。ホスピスに求められているものは実は、人のどの世界にも必須の普遍的なものではないかと思う。