〜ひまわり〜
   
    
「悲しみを乗り越えて」 若松 栄子 さん

 私が、「大分・生と死を考える会」を知ったのは、平成6年に28才の一人娘を突然死で亡くした時のことでした。ショックから生と死の境を彷よい、また偶然3ケ月後の命日に起きた関西大震災を新聞で毎日見て、生きることが空しく、辛くさえ思えていた頃、ふっと目に止まったのがシリーズで掲載されていたアルフォンス・デーケン先生の記事でした。その後、著書の中から「死への準備教育」また「悲嘆からの12のプロセス」という話を読んだ私は、非常に深い感銘を受けました。
 昨夜まで元気だった娘の死を一度も考えていなかった私に「死はいつ誰に訪れるか解らない」という心の準備の全くなかったことを気づかせてくださり、また死に直面 してから立ち直るまでの心理分析によって、死に絶望してしまうのではなく尊い死を通 して知る人生の意味や死生学を教えてくださいました。それからの私は信仰にも導いていただき、その学びを残された生涯の生きる目的にしようと考えられるようになりました。あれから5年が過ぎた今は、一日一日を大切に生きることこそ娘の「生と死を考える」こと、そしてその死を受け入れ共に生きることではと思えるようになり、感謝の心で元気に自分らしく日々を過ごしています。


「にもかかわらず」 向坂 マス さん    

 1993年7月〜9月NHK人間大学アルフォンスデーケン師の死とどう向きあうかを聞いて、はじめて自分の死を正面 から考えさせられました。私達は生まれた時、命の時間もいただいてこの世に来ましたが、終わりの時は知らせていただかないまま、毎日を明日もあるごとく生活して今日まで来ています。大分でデーケン師の講演があるとニュースで知り、お聞きするチャンスに恵まれました。にもかかわらずユーモアを、というお話には深い感動をいただきました。大分・生と死を考える会にその時入りまして、今日まで多方面 の方々から深い洞察のお話を学んでまいりました。私が、今ここに来て、にもかかわらずなやんでいることは・・・いつ終わりの時が来てもいいように、身のまわりを整理して不用品は全部すててと何度も決心し、あこがれていますのに、何も手つかずで相変わらずの自分にすっかりおちこんでしまいます。そんな時はこの会での友人お二人に電話をかけたり、お話ししたり、いつも助言をいただいて心が軽くなって、元気をとりもどしてきました。
 会に参加する喜びは、この友人方にお会いする嬉しさが大きいからです。
 これでよかったと安らぐことの足りない私を、これからもよろしくお願いします。


「歳月に癒されて」 寺司 禎子 さん    

 平成8年私の夫は黄泉の国へ旅立ちました。人生80年と言われる今、63才の夫の病死は、家族には納得できない、不条理な出来事でした。
 「生まれたら必ず死ぬ」すべての命には終わりがある。どんな人の、どんな言葉も受け入れられず、無精に悲しく寂しく、何もかもが疎ましく、心閉ざした日々を過ごしている時、「生と死を考える会」を知り、同じ悲しみと苦しみを経験した人達と出会い、同じ思いを語り合うことで心の安らぎを得ました。そして3年の歳月も心を慎め癒してくれました。
 今は返らぬ過去を思い煩うことはやめ、「誰にも神様がついて居る」。そう信じて、心を軽くして、支えてくれた友人、子供、心楽しませてくれる孫達に、感謝の念で心明るく生きて行きたいと思うこの頃です。
 
「思いでも こだわりもみな 年のゆく」 禎子