スペイン マドリード〜バルセロナ

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トピックス :
支配民族の変遷
ローマ軍は、第2次ポエニ戦争 (前218〜前201年 ; カルタゴの名将 「ハンニバル」 の名前は記憶にある人も多いだろう) でカルタゴを破るとイベリア半島の征服を始め、紀元前19年に全半島を制圧した。
約600年にわたるローマによるイベリア半島支配の拠点は、前出(水道橋の写真)のタラゴナであるという。
ゲルマン民族の大移動で侵入してきた西ゴート族は、その時すでに衰退していたローマを制圧し、560年、トレドを首都として西ゴート王国を建国。
西ゴート王国の内乱に乗じて、北アフリカからイスラム教徒が侵入し、711年、西ゴート王国が滅亡。756年には後ウマイヤ朝が成立し、コルドバを首都とする。
北部山岳地帯に逃れていたキリスト教徒は、やがてレコンキスタ(国土回復戦争)を展開し、1492年、ついにイスラム最後の牙城アルハンブラ宮殿を無血開城させ、約800年に及ぶイスラム支配は終結した。
レコンキスタの完遂と国家統一を達成したスペインは、大航海時代へと突入し黄金時代を迎える。

カルタゴ
フェニキア人が北アフリカのチュニス湾内の一半島に建設した都市国家で、紀元前6世紀ごろから、西地中海世界における最大の商業国・海運国として繁栄した。(フェニキア ・・・ 現在のレバノンを中心とした、南北に細長い地中海沿いの国。)
第1次ポエニ戦争 (前264〜前241年)に敗れたカルタゴは、ローマに奪われたシチリアやコルシカなどに代わる地をスペインに求めた。これが、スペインとカルタゴ、ローマとの関わりの始まりである。

後ウマイヤ朝(756〜1031年)
サラセン帝国の前ウマイヤ朝(661〜750年、首都はダマスカス)が滅亡した後、同属のアブドゥル・ラフマーンがスペインで再興した王朝。

アルハンブラ
アルハンブラとは、アラビア語で 「赤い城」 を意味する。城壁に使われた石が多量の鉄を含んでいたため、城壁が赤く見えたことに由来しているという。

シエラ・ネバダ山脈
グラナダの南を東西に走る山脈。 シエラ・ネバダ(Sierra Nevada)とは、スペイン語で 「雪の積もった山脈」 の意。この名前から採った同名の山脈が、アメリカのカリフォルニア州にもある。(アメリカ西海岸のページを参照)