作者と北信濃



「関東ハイク&ウォーク」の作者は、長野県の北部、千曲川のほとりに城下町のたたずまいを今なお残す松代町(現在の長野市松代町)で生まれ育った。
松代は、1960年代の中頃に発生した松代群発地震で有名になってしまったが、元々は真田十万石の城下町として知られていたところである。
千曲川を挟んですぐ北には、その昔上杉謙信と武田信玄の戦いの舞台となった川中島がある。
作者名:佐藤 宗雄 (さとう むねお)
     1940年(昭和15年) 生
産  地:長野市松代町(まつしろまち)
生息地:神奈川県綾瀬市
ページ :会社卒業後HTMLを独学で学習
     2000年8月にWebページを開設
メール : (クリック)



善光寺

善光寺

善光寺は古くから国民の信仰を集め、源頼朝・実朝、北条泰時・時頼をはじめとする多くの為政者も帰依した。
本尊は、欽明天皇のとき百済の聖明王から献上された、と伝えられる阿弥陀三尊仏である。
この寺の創建については諸説があり、まことに伝説的である。

川中島古戦場

川中島古戦場

越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄は、1553年(天文22年)の第1回の戦いを皮切りに約10年間、合計5回戦った。
そのうち、大激戦となった1561年(永禄4年)の第4回の戦いが最も有名で、後に頼山陽によって “鞭声粛々夜河を過る・・・・” と詠まれた。
この古戦場は、千曲川と犀川が作り出した善光寺平(長野盆地)の中央にある。

真田邸

松代藩 真田十万石

関ケ原の戦いと大阪冬・夏の陣で、豊臣方に味方した真田幸村(信繁)は有名であるが、徳川方に組した真田信之(幸村の兄)は全国的にはあまり知られていない。
松代は、信之を第1代の藩主として幕末まで続いた松代藩の城下町である。城(海津城)は明治初めに取り壊され、第9代藩主が母のための隠居所として建てた、写真の真田邸のみが残っている。

佐久間象山誕生の地

佐久間象山ぞうざん 誕生の地

幕末の先覚者、佐久間象山(「ぞうざん」と読むのが正しい)は松代藩士佐久間一学の長男として1811年(文化8年)に生まれ、1864年(元治元年)京都に上った際、三条木屋町で尊皇攘夷派の凶刃に倒れた。
それまで間、大砲や電信機等を製作したり、江戸木挽町に開いた塾から勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰など維新の英才を輩出するなど、偉才ぶりを遺憾なく発揮した。

大本営跡

大本営跡

第2次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最期の拠点として、突貫工事をもって極秘のうちに構築を進めた地下大本営軍司令部の跡である。着工から終戦の日までの約9ヶ月間に、当時の金額で2億円もの巨費を投じ、計画の75%が完成した。
現在は世界屈指を誇る気象庁の地震観測所として大地下壕の一部が使用され、高倍率のひずみ地震計をはじめとする各種高性能観測機器が日夜活躍している。



北アルプス

北アルプス

長野市から松本に向かう国道19号線に、「笹平」の少し先で別れを告げ、白馬村へと続くオリンピック道路をしばらく走ると小川村に入る。ここには蓮華岳、爺ケ岳、鹿島槍ケ岳、五竜岳、白馬鑓ケ岳、白馬岳などを一望できる素晴らしいビューポイントがある。