隠岐ミュージックセミナー体験記
(平成13年8月3日〜6日)

    

第3日目(午後の部)

 ここまできたら、早くかいてしまわないと記憶がどんどん薄れていく。
それに私、12日より自由の女神の国(つまり米国)へ出張のため、とにかくそれまでに
なんとか完結させてしまわなければ。
それにしてもC嬢はあんなにも忙しく毎日毎日歌い、飲み(もちろん酒)の生活
(そのうえ昼間は仕事もしているらしい)の中で、どうしてあれほど長いいろんな体験記がかけるのだろう。
本当に頭がさがる思いだ。そして下げた頭が上がらない。

そうそう肝心の本題を書かなければ。

 お昼は昨日と同じくお弁当(中身はもちろん違っていたが)。公民館の中の和室で思い思いにいただいた。
話題はもちろん演奏中のいろんな「事故」のお話。
どこの合唱団でも同じだが、その「事故」を肴にみんなで笑いあうのがひとつの楽しみみたいなもの。
だから完璧な演奏はアマチュアの私たちにとっては逆におもしろくないのである。
(もちろんそんなことはできないから心配しなくてもいいのだが)。
「事故」のあった演奏こそ、あとの楽しみを増やしてくれるというもの。

 午後は本條秀太郎というかたの、唄と三味線の演奏を鑑賞。
いうまでもなくプロの方だし、それも超一流のプロであるから、やはり立ち居振る舞いからしてひと味違う。
またその醸し出す雰囲気がなんともいえず艶めかしいのである。
私は初めてこういうのを聴いただけに、その声、表現力に感動の連続であった。
唄の内容は、結構艶っぽいものばかりで、曲の合間にそれを現代風に説明してくださるのだが、
それがまたこちらが恥ずかしくなるようなことを、さらりといってのけ、
でもそれがちっともいやらしくないのはさすがであった。
こんな素晴らしい演奏にも関わらず、最前列で聴いていた私のとなりのN君なんぞは、
朝の出来事の疲れからか、それともこの後の海水浴に備えてか、ほとんどふねをこぎっぱなしの状態。
途中でよっぽど起こしてやろうかと思ったが、変な声をだされてもこまるので、止めてしまった。
それにしても最前列で居眠りをするなんて、やっぱり風呂を間違える人は根性が違うなあ、
と変に感心してしまった。

約1時間の演奏が終了後、みんなが待ちに待った、「THE SEA TIME」である。
早速私は公民館2階の部屋で海水パンツに着替え、出発を待った。
海にはいるなんて、本当に何年ぶりだろう。
昔小学生の頃は毎年夏休みには丹後半島へ泳ぎにいったものだ。
そのころは今のようにりっぱな設備もなく、民宿といっても、本当に普通の家に居候するようなかんじで、
のんびりしたものだった。海へいっても派手な音楽が流れているわけではなく、人もまばらで、
それだけに砂浜はとても美しく、ずっととおくまで続いていた。
私にとっての海の記憶は、それからたいして変化しておらず、やはりあの遠浅で透き通った海なのである。
だから今回もそれを期待していたのだが、きくところによると隠岐は火山の噴火によってできた島らしく、
島の周囲は断崖絶壁ばかり。砂浜なんてないらしい。
案の定、海水浴場として案内された場所は、およそ私の想像とはかけ離れた、岩がごろごろしたところで、
砂浜なんて皆無である。おまけに遠浅どころか、海底は石がごろごろ、突然深くなるところあったりして、
海とはかなりご無沙汰していた私にとって、危険きわまりないところであった。
それでも、隠岐の海の美しさは記憶と同じで、手を伸ばせばとどくようなところに魚が泳いでいるし、
潜ってみると、ウニやイソギンチャク、ヒトデの姿をあちこちでみかけることができた。
運動不足のせいか、それとも歳のせいか、少し泳ぐとすぐ疲れてしまって、
もっぱら露天風呂よろしくぷかぷか浮いているだけ、つかっているだけの状態が多かった。
しかしKu先生なんぞは、60歳にもうすぐ手が届くというのに、「僕は水泳が昔から得意なんだ」と豪語して、
派手なクロールですごい水しぶきと波を周囲にまきちらしながら泳ぎ回っていた。

約2時間弱の海水浴も時間となり、ホテルへバスで移動。今日は夜のセミナーはなく、
(もちろんあったとしても遊んだあとでは、とてもセミナーどころではない)
外でバーベキュー大会となっている。しかしその前に海水で濡れた体を洗うべく、風呂へ直行。
N君と一緒だったが、なんどもなんども外ののれんを確かめていた。
私が一緒だから間違えるわけないのに・・・。
それほど日が照っていなかったせいか、日焼けはほとんどせず、
風呂にはいってもちっとも痛くなかったのが、少々残念。

バーベキュー大会の時間が迫っていたので、ざっと体を洗って出る。
それでも結局私たちは遅れてしまって、挨拶がはじまっているところにこそこそ入っていった。
でも乾杯はまだのよう。とりあえず乾杯に遅れなかったからいいか。
みんなは風呂にもはいらず、バーベキュー会場に直行したらしい。
どうりで風呂がすいていた訳だ。

乾杯の後、豪勢な海の幸一杯のバーベキューが始まった。
バーベキューも鍋料理と一緒で、誰かバーベキュー奉行がいなくては、すべての素材が
こげこげになってしまうが、そこはうまくしたもので、何故か各テーブルにそういう人が必ずいて、
私は安心して食べることに専念できたのは、まことにありがたかった。
皿が空になれば、ご親切にもさっとなにかをとってくださり、調子にのって次から次へと平らげていたら、
ものの30分もたたないうちに、お腹が一杯になってきた。
みると私のいたテーブルは何故か料理の減りが早い。
他のテーブルでは、まだまだ皿に一杯魚や肉が残っているのに、何故かこちらはもうほとんどない状態。
特に人数が多いわけでもないのに。
…というわけで、よそのテーブルから少し料理をわけてもらって、食べ続けているといった有様であった。

講師陣の挨拶や、カラオケ(これが気持ち悪いほど上手で、みんなから拍手喝采であった)が一通り終わり、
そろそろお腹も一杯になってきた頃
(こちらはもうとっくにお腹が一杯になったあとで、この頃は逆に少しお腹がすいてきたころであった)
地元の踊り講習会がホテル前の広場ではじまった。
しゃもじをもって踊るのだが(何踊りだったか名前を忘れてしまった)、これがなかなか難しい。
リズム感の悪い私には何遍練習しても、いっこうに覚えることができなかったが、
結構他の人も似たようなもので、少し安心した。
それにしても、合唱人ってリズム感の悪い人が多いような気がしてならない。

30分ほど練習したであろうか、その後は花火タイムと同室のM君のショータイム。
これがすごいという一言ではかたづけられないくらいすごかった。
まず上半身ははだか。鉄かなにかの棒が2本、その棒の先には火がついている。
そしてその棒をからだの周りでくるくる回したりするのだ。
そう、よく見せ物小屋でやっているような感じのファイアーショーである。
なんでもM君は体育の先生だそうだが、いったいこんな芸をいつ練習するのだろう。
合唱でもパワフルな歌いっぷりには感心させられるが、このショーはそれを上回る迫力であった。
(そもそも合唱とこのショーを比較することはなんか変ではあるが) 
もっとも口から火を噴くところまではさすがにいかなかったが、うわさによれば
年々技が高度になってきているから、来年あたりは口から火を噴くところが見られるかもしれない。

最後にみんなで赤とんぼを合唱してお開きとなった。(なんか歌が季節はずれ)
もうすっかりお腹のすいてしまった私は、ぞろぞろホテルに帰る人を尻目に、バーベキュー会場へ戻り、
残った焼きおにぎりにする前のおにぎり(つまり普通のおにぎり)と漬け物を、ぱくついて
お腹をごまかしていた。(こんなことしているから、太ってしまうのだろうな)

 部屋に戻ると昨日と同じく、もうすっかり宴会の準備は整っている。
こちらが気を使う必要もないので、さっさと風呂へ直行。
ゆっくりと湯船につかりながらも、またこれから何時間も寝られないかと思うと、憂鬱になってしまった。
風呂から上がって部屋にもどると、もう宴会の真っ最中。
狭い部屋に何十人とはいっているから、暑い、暑い。
ご丁寧にもとなりの部屋の方が、「もしお休みになりたければ、こちらの部屋でどうぞ」
といってくださったが、結局そちらで寝ることもなく、延々続く宴会にお付き合いすることとなった。
今日は昨日と違い、明日セミナーがあるとは言え、はっきりいって付け足しみたいなものだから
(多分ほとんどの人はそう思っていたはず)、いっこう終わる気配がない。
結局完全に終了したのは午前4時前、その後もロビーやあちこちの部屋で続きが行われていたらしい。
本当に皆さん、体力ありますね。

追記;なんだかだんだんおもしろくなくなってきましたね、この体験記。。。^_^;)
あと1日ありますが、もうここまで来たら、惰性というか、この状態でだらだらと書くしかないような気がします。
どうか最後までお付き合い下さい

…つづく…