隠岐ミュージックセミナー体験記
(平成13年8月3日〜6日)
   

第4日目

 とうとう最終日。こうして体験記を書いていると、4日目までたどりつくのが大変だったが、
実際には「もう、今日で終わりか」と思うほど、短く感じた。

今日は午前中Ku先生の「合唱指揮とは何か」というセミナー(あんまり私には関係なさそうだな)と
講師陣によるパネルディスカッション(なんか、かっこいい!でもこの期待はあとで見事に裏切られた)。
どうも歌う時間はなさそう。ということは睡魔との戦いか?なんて思いながら、
相変わらず昨夜の宴会の異臭が残る部屋の後かたづけ。なんだかんだといろんなものがでてくる。
それに飲み残しのビールもあるし、「どうして俺達がかたづけなきゃいけないの?」とぶつぶついいながら、
ホテル側に文句を言われない最低限のかたづけをして、チェックアウト。
(それでもやっぱり部屋の掃除は大変だっただろうな。2,3日はお客さんを泊めることなんて
できないんじゃないの? どうも掃除のおばさん、ごめんなさ〜い! m(_ _)m) 

たぶん昨夜の夜更かしがたたって10時からのセミナーなんて時間通りはじまりっこない、
とタカをくくっていた私たちだが、10時5分ごろ会場(今日はホテル内の宴会場が会場)にいくと、
受講生はすでに席について、セミナーの始まりを待つばかりの状態。
おまけに講師のKu先生は、鋭い視線を私たちに向けてくるし、作曲家の先生方も
所定の位置におさまっておられる。
会場前の廊下までは、やけに威勢のいい私たちだったが、そんな状態のところに、
威勢よくはいっていくわけにもいかず、こそこそと腰をひくくして入場。
幸い後ろの席があいていたので、あわただしく着席したとたん、
セミナーはそれを待ちかねたように始まった。

セミナーのテーマは「合唱指揮とは何か」 
恐らくKu先生がいろいろお話をされるのかと思いきや、過去の自分の指揮した演奏をCDで聴かせたり
(それもテープでしか残っていない録音をわざわざオリジナルCDとして作製したもの)
ビデオでみたり、というものだった。 これって単なる自慢話じゃないの? と思ってはみたものの、
ビデオはそれなりに結構楽しめた。
というのも、映像を何気なく見ていると、知り合いの十何年かまえのお姿が
はっきり映しだされているではないか・・・・・演奏のことはそっちのけで
「T田、昔はやせていたなあ」とか「まだ、髪の毛がふさふさしているなあ」とか、
今からはとても想像できない姿を目の当たりにして、時間の長さをつくづく感じてしまうのであった。

聴かせていただいたのは、「Y子先生の生前最後のピアノ演奏」とか「O団コンクールでの演奏
(三善先生の「海」)」「R団コンクールでの演奏(金沢大会)」など。
さすがに自慢したいだけあって、どれもすばらしい演奏だと思う。
何故か作曲家のN村先生が「いい演奏を聴きすぎてお腹の調子が悪くなった」と言って
トイレにいかれたのが印象的だった。

我々不良受講生は、セミナーの途中で、部屋の冷蔵庫でギンギンに冷えていた缶ビールを
「なんとか処分せねば…もって帰るのは重たい」という勝手な理由で、回し飲みを始めた。
もちろんそんなことをしているのは、私たちだけで、他の受講生はビールはおろか、
お茶一杯口にすることなく、聴いている。今から思えばなんとも不真面目な行動である。
来年からはもっとまじめに取り組まねば、若い人に与える影響が大きい。
(なんて、多分誰も私たちのこなど、気にしていないと思うが)。
缶ビールが2〜3本あいたところで、Ku先生のセミナー終了。しばし休憩となる。
このあとは講師陣によるパネルディスカッション。
いったいどんな議論が展開されるのだろう、と私は期待に胸を膨らませていた。

10分ほどの休憩のあと、ずらりと講師陣が前に陣取り、講師一人一人が4日間の感想を
発表することから始まった。正直当たり前の感想というか、あたりさわりのない感想というか、
とりたててこれといったドッキリ発言が飛び出すわけではなく、私には退屈な時間だった。
そのあといよいよディスカッション開始か、と期待したのだが、N実先生が
「このセミナーを来年以降の続けていくかどうかを皆さんにお聞きしたい。
ついては一人一人にこのセミナーの感想と続けるか否かについてのご意見を発表していただきます」
ということで、前の人から順番に意見発表となった。
なんでもこういうことになったのは、今回参加者が少なく、財政的にもかなりの赤字
(誰がその赤字を負担しているのでしょうね)のため、今後どうするか考え直したいということかららしい。

若い人たちは、さすがに真剣にこのセミナーをとらえ、真面目に意見を述べておられたのには感心。
それにひきかえベテラン組みはなんともいいかげんで、私も含めてもっと真剣に取り組まなければ
とは思うのだが、ただ一言弁解させてもらえれば、私個人的には、もっとも大切なことは「続けること」
これにつきると思う。残念ながら、若い時に一生懸命合唱に打ち込んでいた人が、
突然なにかの事情で辞めてしまうケースがある。
仕事・家庭・育児・人間関係等、辞めざるを得ない事情はそれぞれ大変よくわかるのだが、
それを乗り越え、いや乗り越えられなくても、やっぱり続けていくこと、
けっして派手な活動ができなくても細々とでも続くけること、
これなくしてなにを語っていただいても私にはなんのメリットもない。
そういう意味でわたしたちベテラン組は、不真面目でチャランポランだけれど、
ただ一つ若い人に負けないもの、それは今までなんとかして合唱を続けてきたことだけだ。
それだけは少し誉めてもらってもいいような気がする。
こういうセミナーに参加して若い人達の合唱への熱い想いを感じることができるのは
大変幸せなことだけれども、いつまでもその情熱を失わないで欲しいと思う、
と同時にもっと気楽に考えてもいいんじゃない? と感じることも多い。
一人一人の意見を聞いていて、ふとそんなことが頭をよぎった。

後ろの席にいた私達は、時計を見ながら「これならたぶんここまでまわってこないな」なんていいながら、
相変わらずビールの回し飲みをしていたが、その期待も空しく、私に回ってきた。
たいして深くも考えていなかった私は、「宴会部屋は別にして欲しい」とか
「部屋割りはもっと年齢構成を考えたものにしてほしい(つまり同年代の人を集めるのではなく、もっと若い人もまじえたものにして欲しいという意味)」とか
「隠岐もいいけれど、毎年各地の島を転々とするのはどうでしょう」 とか、
極めてセミナーの内容とは関係ないか、あるいは実現が不可能は意見ばかりを言ってしまった。
結構受講生や講師の方には受けていたのだが、
今から考えると、なんかもうちょっと気の利いたコメントをすべきだったかなあ、と少し反省している。
いずれにしても一通り意見発表が終わってお開き。
結局来年以降のことは、皆さんのご意見を参考にこれから検討します、
とまるで国会答弁のようなまとめでセミナー終了となった。

 お昼はレストランで隠岐名物「さざえカレー」。
もうセミナーも終了し、あとは船にのって帰るだけとあって、
あちこちのテーブルでビールを注文する声が聞こえる。私たちはすでにセミナー中から飲んでいたし、
まだ缶ビールが残っていたので、こっそりビニール袋にいれて持ち込み、水のはいったコップを空にすると、
それにビールをついで飲んでいた。レストランの入り口には「酒類のお持ち込みはご遠慮下さい」
と張り紙がしてあっただけに、ウエイトレスさんが通るたびに、ひやひやさせられた。

昼食後船の時間まで、おみやげを買ったり、ぶらぶらしたりして時間をつぶしていたのだが、
私はひとつ大変心配なことがあった。
実は私この時まで、いったい何時の船にのるのかまったく知らず、
あらかじめ予想していた船にどうも乗れそうにないことがわかり、少々あわてた。
というのも名古屋までかえることができるかどうかひじょうに危うくなってきたからである。
当初予想の船だと余裕だったのだが、どうも実際にのる船はひとつ遅いのらしい。
しかし、その船でも本土についてから、うまくバスの連絡があり、渋滞にもひっかからずに
駅に着きさえすれば、なんとか名古屋へたどり着ける最終の特急に間に合うはず。
でもこれはそうとう順調にいっての話で、少しでもトラブルがあると、もう今日中には家に帰れない事態となる。
なんだか急に心配になってきたが、ここでいくらじたばたしても早く帰れるわけではなく、
ここはひとつ腹をくくることにした。もし帰れなければ、どこか途中(大阪など)で泊まるしかない。
そしたら明日も会社をお休みしなくては。
行きはいろいろ時間と費用を調査の上、自分で決めたからいいが、帰りはまったく事務局にお任せで、
船の時間さえ聞かずにきてしまったと言う訳。
なんともたよりないというか、無計画というか、我ながらあきれてしまった。

 しかし、いろんな心配は、船で受けた1本の携帯電話によってすべて杞憂に終わり、
結局その日は家にたどり着けない運命になってしまったのだ。
 
 船便は、滞在していた島から別の島へ小さなフェリーでわたり、そこから高速船で本土へ向かうというもの。
私はちいさなフェリーの上で、家内からの携帯電話を受けた。
家内の父が脚立から落ち、病院へ入院したため、急遽実家へ帰ることになったとのこと。
家内の実家は島根県大田市、つまり私のほうが今、家内よりずっと近くにいるということ。
私は「結局今日は家に帰れない運命なのだ」と悟り、
松江で落ち合う約束をして、なんだか胸のつかえがすっととれたような気がした。
もっとも他人からみれば不幸な事態なのだが、私自身は家に帰れないかもしれない
という心配があったため、これで堂々と明日会社に電話して休めるかと思うと、なぜかほっとしてしまった。
高速船で本土まで約1時間。ほとんど揺れることもなく、極めて快適な船旅。
途中少し眠ってしまったが、途中目がさめてからは、N君やK女史、講師の先生とお話をして過ごしていた。

本土到着後、セミナー恒例となっているらしい寿司ツアーへ。
なんでも境港に大変おいしい寿司屋があるらしく時間のある人は寄っていくとのこと。
私は当初の予定ではとてもそんなことをする時間なぞなかったのだが、今となっては
夜までに松江にいけばいいわけだから、時間は十分にある。
それに夕食をどこかでとらなくてはいけないわけだから、寿司屋でそれを済ませていけない理由がない。
ということで寿司ツアーに参加させていただくことになった。
この寿司ツアーでは、あのお風呂取り違え事件と加害者であるN君が被害者の女性に
おごってあげることになっていたらしく、彼女な盛大に酒や寿司を注文していた。

この寿司屋というのが、頑固そうな親父一人とそれを手伝う奥様と思われる女性、
息子と思われる若いお兄さんで切り盛りしているため、それほど広くない店が私たちで一杯
(それもみんな大きな荷物を抱えて)になったときには、てんてこ舞い状態。
頑固そうな親父さんはかなり迷惑そうな顔つき。それでももくもくと寿司を握ってくれ、
結構時間がかかるだろうな、と想像していたのだが、意外に早く寿司にありつけた。
味は、海のそばだからネタが新鮮なのはある意味で当たり前。
だからびっくりするほどおいしいというわけでもなく、でもやっぱりおいしいかな?
 
飛行機の時間や汽車の時間があり、なんとなくあわただしかったが、東京へ帰るN君らと別れを惜しみつつ、
私と夜行バスで帰るという若い男女(カップルではない)でJR境港駅へ向かい、境港線で米子へ向かった。

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 これでわたしの初めての隠岐ミュージックセミナー体験記は終了。
この手の記録を初めてこうして書いてみたが、つくづくO団のC嬢のすごさを再認識させていただいた。
あれだけ事細かに書けるということはよほど克明に記録をつけているか、よほど記憶力がいいか、
そのどちらかに違いない。多分記録もとっているが、記憶力もすごいのだろう。
書いてみて人間の記憶力(特に私の記憶力といったほうがいいかもしれない)の曖昧さを実感してしまった。
なんだかもうこりごりって感じだが、次回何かの機会があったら、是非記録をとるようにしようと思う。
(でも多分それさへ忘れてしまうのだろうな、きっと)


 ながらくのご愛読ありがとうございます。また数々のご声援をいただきましたこと、厚くお礼申し上げます。
これを読んで合唱に興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、是非演奏会にでもお越し下さい。
きっと真面目な私をご覧いただけることと思います。
(なぁ〜んちゃって!!)
… 完 …