隠岐ミュージックセミナー体験記
(平成13年8月3日〜6日)

第2日目(午後&夜間の部)

 考えてみれば、もう1ヶ月近く前のことですね、セミナーは。
どうりで日々記憶が薄れつつあり、
特にセミナーの内容・順番はひょっとして間違っているやもしれませんが、お許し下さい。
それにこれを読んでいる人のほとんどがセミナーに行っていない人だから、
あまり気にしないで先に進むことにします。

 お昼はみんなで一緒にお弁当をいただく。朝から結構歌ったせいか、おなかはペコペコ。
あっというまにお弁当は空。あと一つぐらいは食べられそうだ。
ちょっと外にでてみたものの、お店もなく、人通りもほとんどない。本当に静かである。
車がまったくといっていいほど通らないのも何だか不思議。
この公民館だけが、この島のなかで唯一活動しているかのような錯覚に陥ってしまう。

午後はK山先生(午前中のKa先生ではなく)の三善先生の「山田耕筰による五つの歌」の練習から始まった。
昨日一通り歌っているのと、午前中の苦悩の練習のあとだけに、
なんだかさわやかな気分で気持ちよく歌える。
またここで私をセミナーに誘ったN君が参加。
(仕事の都合でどうしても金曜日から参加できず、昨晩東京を夜行列車で発ってきたため。
夜行列車がよほど寂しかったのか、昨晩はあちこちの携帯に電話をかけまくっていたらしい。
私の携帯にもかかってきた。)
これで、ますます気分は盛り上がり、午前中のウップンを晴らすべく、
強弱記号はほとんど無視状態で歌いまくってしまった。
それでもK山先生は、「仕方ないな」って顔をしながらも何もいわず許してくれるからありがたい。

「待ちぼうけ」は結構テンポが早く、昨日はほとんど口パク状態、おまけに音程はめちゃくちゃだったが、
なぜか今日はちゃんと歌えた気分(本当は嘘ばっかり歌っていたのかもしれない)になるから不思議。
ソプラノのKy女史より、私とN君、それに“合唱団ある”のM君を指して、『日本の3大ベース』
なんてありがたい称号?をいただいたものだから、一層調子付いてしまった。

 続いてF先生による、パレストリーナの「SICUT CERVUS」とペルトの「MAGNIFICAT」の練習。
実は私、密かにこの練習を期待していた。
というのもF先生は今や若手NO.1と言われる指揮者。
一昨年わざわざ広島まで全国大会を聴きにいった際、彼の指揮する団体の演奏に、
私は度肝を抜かれたのを今でもはっきりと覚えている。
だからかれがこのよく知られた名曲をどのように指導するのか、大変興味があったのである。
でも如何せん時間がない。正味1時間足らずでいったいなにができるといえるのか?
彼の練習もそれがありありとわかるものだった。もっともっと練習がしたかった。
彼の魅力の一端にさへ触れることができず、正直悔しい思いを残しながら練習終了。
でも「MAGNIFICAT」では、『日本の3大ベース』の実力を遺憾なく発揮することができ、
あのF先生が練習中に感嘆の声(私にはそう聞こえた)を漏らされたり、
ソプラノからは「うるさくて他のパートが何も聞こえない」と苦情を言われたり、
と結構楽しめたのは事実である。
テナーが少ないことと、ベースがあまりにもうるさいために、
バリトンの人が、セカンドテナーに回されてしまったのは、なんとも気の毒だった。

 少し休憩のあと、作曲家N実先生による、「自作を語る」のセミナー。
午前中と同じく「自作を売る」セミナーにならないか、不安があったが、
なんと感心なことにN実先生はこのセミナーのために「OKI・2001」という声のためのエチュード
みたいな曲を用意されていて、それを練習することになった。
今回のセミナーのテーマである「声による表現の様々な形」
(だったような気がするが間違っているかもしれない。そもそもテーマなんて意識したことがなかったので)
を実際に体験するために、いろんな声や旋法による短いサンプルを並べたものである。
たとえば「声以前の声」「倍音唱法」「民謡的唱法」「いろんな旋法によるカノン」などなど。
結構おもしろいとは思ったし、さすがN実先生、なかなか考えたものだな…とは思ったが、
如何せん歌っているほうは、実際にどのような音空間が形成されているのか、よくわからない。
まわりで聞いている人は「ほお、おもしろい音がするね」なんて感心しているし、
N実先生も満足そうな表情をされているが、
こちらはどのようにおもしろい音がしているのかちっともわからないから、
こちらに同意をもとめられても返事に困ってしまう。

合唱って難しいもので、歌っている側は、一体全体聴いている側にどのように聞こえているのか、
ちっともよくわからない。
だからこそ指揮者が聴衆と歌う側の橋渡し役として、
バランスや音色の調整をしなければいけないのかもしれないが、
それだって聴衆と同じ立場で聴いているわけではないので、必ずしも同じように聞こえているとは限らない。
いつも、自分たちの合唱(もちろん自分も歌っている)を
何とかして生で(録音ではなく)きくことができたらと思ってしまう。

今回のセミナーで思ったことだが、もちろん合唱はまず歌ってなんぼ、の世界ではあるが、
時には少し客観的な立場に自分をおいて、聴く側にまわる機会を設けてみてはどうだろう。
たとえば2つか3つかのグループに分け、お互い練習の成果を発表し、それをお互いで批評しあう、
といったように。
練習も、エライ(?)先生に指導してもらうのではなく、
自分たちで考えながら、試行錯誤をくりかえしながら仕上げていく。
そうすれば歌っている側がもっと歌に対して積極的に関与できるのではないだろうか。

午後の練習はこれでお終い。
ホテルへ帰って夕食のあと、夜は昨日と同様委嘱作品の練習である。
迎えのバスにのりホテルへ。予想通り、今日から参加のN君が私たちと同室。
あとで聞いた話だが、私の申込書(N君に代筆してもらったもの)には、同室希望者に
N君の名前があったそうな。
夕食時には私たち同室4人は、昨日の遠慮がちな態度とはうってかわって、どうどうとビールを傾け
(何故か昨日より本数が増えていたが、N君が増えたとあっては当然といえば当然)
先生方が静かに黙々と箸を動かしておられるのを尻目に、
わいわいがやがやとにぎやかな私たちのテーブルであった。

 午後7時より夜の練習開始。作曲者自身による委嘱作品の練習である。
昨日は部分部分の細切れ練習だったので今日は通し練習が主体。
今日から参加のN君が、何度となくこちらを見ては、変な顔をするのが、
彼のこの曲にたいする印象を如実に物語っているようで、おもしろかった。
昨日はとても途中止まらずに最後まで通して歌えるなんて想像もしなかったが、まあなんとかなるものだ。
曲の全体像やどんな音空間なのかは、さっぱりわからなかったが、
指揮者は結構楽しそうに練習していたから、それなりに自分の思い通りになっていたのだろう。
途中に各自が好きなように海の生物の名前を言う箇所があり、
熱心な若者は、ポケット図鑑かなにかを手に持ってそれを見ながら歌って(というよりしゃべって)いたが、
われわれズボラな年寄り組は、{要は魚の名前を言えばいいわけでしょ!}とばかりに、
「かつお」「まぐろ」「さんま」…(よしよし、その調子!)
「うに」「あなご」「いか」…(なかなかいいじゃないか!)
「いくら」…(なんか“すしネタ”みたいだけど、まあいいか!)
と思っていたら、
「しめさば」「とろ」と言いだしはじめた。
(おいおい、それって海の生物じゃないだろう、それはまさに“すしネタ”だ!) 
さすがに作曲家の意図とははずれていたのだろう、
「すみませんが、“すしネタ”はやめていただけますか?」
とやんわり注意されてしまった。
少しは考えてしゃべれよ…と内心思っていたが、そういう私も
「ふな」とか「めだか」とかしゃべっていたから大きなことは言えない。
なんとか明日の本番で止まらずに歌える自信がついてきたところで、今日の練習はお開きとなった。

 ああ、これからゆっくり風呂にでもはいって、ビールでも飲んで、明日の本番に備えよう
なんて思っていたところ、実行委員のY君から
「今日は公式の宴会はありませんが、非公式の宴会が227号室で開催されるようですので、
飲みたい方はそちらに行ってください」とご丁寧なご案内があった。
{へえー、227号室ね、それって誰の部屋? なんかどこかで聞いた番号だよな…
ちょっと待てよ…もしかして私たちの部屋じゃないの? それって!!!}
{ってことは今日は満足に寝る時間がないってこと? 明日、本番あるんでしょっ! そんな殺生な!}
私たちの部屋は、面子が面子だけに、そんなことになるのではないかと少々心配はしていたのだけれど、
やはり現実となってしまった。

とりあえず部屋に帰り、早速風呂へ直行。
ほとんど人もおらず、のんびり湯につかっていると、やけに背の高いおなかに傷のある人がはいってきた。
湯気でよく見えなかったがよく見るとK山先生ではないか。
すると何故か、一緒にはいってた人が足早に風呂からでていくではないか。。。
タイミングを失した私は、先生と2人風呂に取り残されてしまった。
いまさら出ていくのはなんだか悪いような気がして、しばらく湯船のなかで先生とおしゃべり。
でもこっちは結構長いこと湯船につかっていたので、のぼせてしまいそうな感じ。
が、ほかに誰もいないしどうしよう? なんて悩んでいるうち、事態はますます悪化していく。
やむを得ず「では、お先に」とそそくさと湯船からあがり、脱衣場へ向かった。
とにかく体を冷やさなくては、と扇風機の前でしばし休息。
ほんとうにどうなることかと思ったが、案外みんな冷たいんだな。
脱衣場では先にあがった連中がニヤニヤして私を見ていた。

 部屋に戻ると、なんとまあ案の定大勢の人がつめかけているではないか?
机も他の部屋から持ち込んであるし、無惨にも我々の寝る布団は隅に追いやられている。
それに猛烈に暑い。クーラーの設定温度を18度にして、急風にしても、いっこうに涼しくならない。
もちろんビールや日本酒、ワインなどずらりと机に並んでいる。
その上、まるで酒屋さんが配達でもしてきたかのように、びんビールのケースがどんどん運ばれてくる。
またご丁寧にもそれを冷やす氷をアイスボックスに大量にいれ、部屋の洗面所で冷やしている。
おかげで部屋の洗面所とトイレは使用禁止。
(トイレは、そこにいくまでの通路がびんビールのケースやら、日本酒の瓶やらで、とてもたどりつけないため)
公式の宴会ではないから、挨拶もなければ乾杯もないので、みんな好き勝手に始めている。
やれやれ、これじゃ当分寝るのはあきらめるしかないな、と観念して、ビールを飲み始めた。

いつ果てるともしれない宴会は延々深夜に及び、
後かたづけを終わってやっと布団がしけたのが午前3時前。
さあ寝るぞ!と思っていたら、同室のお二人が
(“ある”のM君は、なんと宴会の途中から熟睡していた。よくあんなうるさいところで寝られるものだと感心)
やおら余ったビールの栓をあけて飲み始めるではないか?
なんでもR友会の明日を語るとかで、N君とY君が議論し始めた。
部屋の明かりは煌々とついたままだし、とても寝られる状況にはなかったが、
そのうち私はさすがに眠ってしまったらしい。
気がついた時には、もう朝日がさしこんでおり、同室の連中も死んだように眠りこけていた。
でもこの平和な時間は、やがてN君の起こした前代未聞の珍事件により破られることになる。

…つづく…