隠岐ミュージックセミナー体験記
(平成13年8月3日〜6日)

第1日目
8月3日から6日まで、初めて隠岐ミュージックセミナーに参加した。
今年で3回目となるこのセミナーだが、今までその存在は知っていたものの、
積極的に参加しようという気持ちがなく、今年も参加の予定はなかったのだが、
東京のとある合唱団の友人N君から、「僕は行く予定にしているのだけれど、参加しない?」
というお誘いをうけたものだから、それほど深く考えもせず、「それじゃ、申し込みお願いします」
と軽く応じてしまったという訳。
ところがいったいセミナーで何を歌うのかもよくわからないまま7月中旬になって資料がどさっと送られてきて
「ひえー、こんなにたくさん歌うの??」「委嘱作品もあるそうだけれど、まだ出来ていない(よくある話)、
どうすりゃいいの??」と、とりあえずあわててみたものの、
委嘱作品以外の楽譜(幸いにも1曲以外すべて家にあったので助かった、それにわざわざ買った1曲は
結局セミナーでは時間の都合で歌えず、クソー!)を揃えたらなんだかほっとしちゃって、
結局予習はほとんどやらないまま、ぶっつけ本番でセミナーに臨むこととなる。
(あとできけばほとんどみんなそうだったらしい。
 東京地区では、事前練習があったそうだが、参加者があまりに少なくて結局中止になったとか?)

8月3日(金)相変わらず朝からじりじりと焼けるような暑さ。
大きなカバンをごろごろ引きずりながら、特急で名古屋へ。
平日のため、特急は満席、事前に指定券を買っておいてよかった。
それほど急いでいなかったので、2,3本のぞみやひかりをやり過ごし、こだまで新大阪へ向かう。
さすがにこだまはがらがら。そのせいか冷房がききすぎて寒いくらい。
おかげであまり眠ることもできず、新大阪到着。
駅から大阪空港までは、シャトルバスで約30分。

運良くすぐバスがあり、キップを買って大急ぎで飛び乗る。車内は夏休みのせいか、家族連れでほぼ満席。
私の隣には小学生ぐらいの男の子が座っていたが、途中で酔った(酒ではない…あたりまえだ!)らしく、
しきりに「吐きそう」と叫んでいる。
まわりの親がおろおろしているうちに、準備が間に合わず、そのまま服の上に「ゲー」とやってしまった。
強烈な臭いでこちらまで気分が悪くなりそうだったので、しばらく鼻から息をせず、口をパクパクさせていた。
父親は、母親がもたもたしていたためこんなことになってしまった、
とばかりに大声でなじっているし、子供は相変わらず気分が悪そうだし、
はやく空港に着いてくれとそればかり考えているうちに大阪空港に到着。
降り際に母親らしい人に「どうもご迷惑をおかけしました」と丁重に謝られてしまったが、
強烈な臭い以外は、私の服に汚物がかかった訳でもなく、
それよりご主人にひどくなじられていた奥さんにちょっぴり同情してしまった。

隠岐までの航空券は、インターネットで事前に予約購入していたので
無人チェックイン機で無事航空券をゲット。
荷物を預け身軽になったところで、出発ロビーに向かい、売店をしばし散策。
飲み物とカロリーメイトを購入。
隠岐行きの飛行機はいわゆるコミューター路線のため、
YS-11といういまでは伝説に近いかなり古い機体で運行している。
私は航空機メーカーで仕事をしている関係もあり、少々飛行機については人より知識が豊富だと思うのだが、
この機体は日本で恐らく最初で最後の民間旅客機である。
もちろん今では製造はされていない。

日本の航空機製造は、戦後しばらくの間禁止されていた(もちろんその研究も)ため、
欧米諸国に大きく遅れをとることとなる。
そしていまでもその差は開きこそすれ縮まることはない。
世界の旅客機メーカーは、いわゆるボーイングとエアバスという2巨大メーカーにより代表される。
その中で航空機製造が解禁されてはじめて製造された国産旅客機がYS-11なのである。
当時としては、安全性の高い優秀な飛行機であったが、
如何せん飛行機の販売に日本はなれておらず、またそういうノウハウもなかった。
結局100機足らずを製造した時点で、莫大な赤字を抱えて製造は中止、
以後純国産の旅客機は開発も製造もされることはない。
そういう意味でYS-11は貴重な飛行機なのである。

定刻11時35分に離陸、神戸上空から中国山地を越え、鳥取上空から日本海へ抜け、
隠岐西郷空港までの約1時間のフライトである。
途中それほど揺れることもなく、順調なフライト。高度がそれほど高くないだけに、眼下の景色がよく見える。
隣は親子づれであったが、最初はおとなしくしていた子供が、隠岐に近づくにつれぐずりだし、
とうとう大声で泣き出す始末。
おかあさんはおろおろするばかり、わたしも何度か子供をあやしてみたものの、効きめなし。
スチュワーデスさんも一緒になって、なんとか静かにさせようと試みたが、結局着陸まで泣きっぱなし。
多分高度がさがってきて耳がいたかったのだろう。
空港ロビーではけろりとして、迎えにきていたおばあさんらしき人に甘えていた。

空港から港までの連絡バスにのり、島の中心街へ。
セミナー開催場所は実はこの島ではなく、ここからまた船にのって別の島にわたらなければならない。
その船は午後2時過ぎにしかこないので、それまでの間 
昼食でもゆっくり食べて過ごそうと思って食堂を探した。

ちょうどバス停の前がちょっとこぎれいなホテルだったので、ここならお昼にありつけそう
と思って中へはいってみると、案の定3階がレストランとかいてあるではないか。
早速エレベーターにのって3階にあがってみると・・・????
そこにはたしかにレストランらしくテーブルはあるが、ひとっこ一人おらず、営業していないことは一目瞭然。
仕方なく下へ降りる。フロントに聞こうかと思ったが、もう答えはわかっているので、そのまま外へ。
ふと通りに目をやると「お食事処」と書いた大きなのぼりがでている店を発見!
重い荷物を引きずってその店までたどりついたものの、またまた人の気配なし
「すみません」て声をかけてみたものの、返事がない。
いったいこののぼりはなんなの?? やってるのかやってないのか、はっきりしろ!
と、こころのなかで叫んでみたものの、それで腹がふくれるわけではなし、途方にくれてしまった。

決して避暑地ではないので、岐阜に負けないくらい暑い、暑い。
おまけに荷物があるから、もう汗びっしょり。
はやくどこか冷房のきいたところにいきたいよう、もうこうなったらどこでもいいから食堂はないのか?
いったいこの島はどうなっているの? とぼやきながら歩いていると、
目の前に「2階 食堂営業中」・・・との看板が! 
もうなにがなんでもここで食べてやる、と意気込んで2階にあがると、あるではないか食堂が、
それにたくさんお客もいる。ウエイトレスのお姉さんに席に案内されて、
ろくにメニューも見ず、適当になんとか定食を頼んでタオルで汗をふいてどうにか落ち着いた。
すると頼んで5分もたたないうちに、「お待ちどうさまでした」と、定食をもってきてくれた。
「いやに早いな、でもたぶんこの定食はよくでるから、あらかじめつくってあるから早いのかもしれない」
と思いつつ、こちらはだいだい自分がなにを頼んだかもはっきりとは覚えていないし、
おまけに猛烈にお腹がすいていたこともあって、早速いただきますと箸をつけた途端、
「すみませーん、間違えてました」とくるではないか。
「えー、これじゃないの! そんな殺生な!」
と思う間もなく、お膳はかたずけられ、私の目の前には、再び一杯のコップの水だけが残ってしまった。
つくづく昼食に縁がない日だな、なんてつまらないことを考えていると、
今度は正真正銘わたしの頼んだ定食のようだ。
「あれ、さっききたのより少々豪勢だぜ。よかった、さっきこれでいいですなんて言わなくて」
海の幸は新鮮でとてもおいしかった。
おなかが猛烈にすいていたからよけいにそう感じたのかもしれない。

14時25分西郷発のフェリーでセミナー会場の海士(あま)へ向かう。
想像以上に大きな船で少し安心。
1時間ほどの船旅、2等船室で横になってうとうとしていたら到着。
港にはわざわざセミナー実行委員のKさんが迎えにきてくださった。
この船で来るのは私一人らしく、ありがたいやら、申し訳ないやら・・・。
ほんとうにありがとうございました。
彼の車でまずホテルへ、そこで荷物をおろし、そのままセミナー会場の中央公民館に向かう。
すでにセミナーは午後2時過ぎから始まっており、受付で名札やら書類をもらって
なにやら緊張感のただよう会場にそうっとはいっていった。
セミナーは、委嘱作品の作曲家自身による解説の真っ最中。
そういえば先ほど楽譜をもらったっけ。
早速楽譜を開いて作曲家の解説を拝聴していたが、
なにやら作曲家のとなりにやけに大柄な人が座っている。
今回の委嘱作品は隠岐にちなんだ作品らしく、その名も「混声合唱のためのエチュード「O/KI」」というもの。
歌詞のなかにはやたらと海の生物の名前がでてくるなんとも奇妙な曲である。
その海の生物の解説をいちいち作曲者のとなりにいる大柄な人が解説しているのである。
私はてっきり地元の方が親切に教えてくださっているのだ、とばかり思っていたのだが、
あとで彼が作詞者であることが判明。
東京在住にしては、よくいろんな海の生物を知っているなあと感心してしまった。
作曲家自身のわかったようなわからないような解説が終わり(歌の練習は夜あるらしい)、
しばし休憩となった。

休憩後は、K先生による三善晃編曲の「山田耕筰による五つの歌」の練習。「この道」「赤とんぼ」
「待ちぼうけ」「からたちの花」「ペチカ」というよく知られた曲を三善先生が編曲されたもの。
「待ちぼうけ」はテンポが早くとても初見ではついていけなかったが、それ以外の曲は初見でもなんとか。
K先生は最初やけに細かく練習していたが、そのうち時間がないことに気がついたようで
一通りざっと流して終了。
それでもさすがにK先生の日本語の曲の指導にはいつも感心させられるというか、得るところが多い。
聞けばあたりまえのことなのだが、歌っているときには意外と忘れていることを、的確に指摘してくれる。
それで全体の歌がごろっと変わるから、不思議なものだ。

練習終了後、バスにのりホテルへ。
ロビーで部屋割りが発表され、私はコーロカロスのY君、合唱団あるのM君と同室に。
なんだかいやな予感(あとでこれが的中した)がしたが、とりあえず荷物を部屋に入れ、夕食会場へと向かう。
テーブルには海の幸が一杯。
いただきますもそこそこに早速食べ始めたのだが・・・・何か物足りない・・・
なんだか今ひとつ満たされないのだ。
どうもそう感じたのは私だけではなかったらしく、同室のY君・M君も恐らく同じ思いだったのだろう。
「頼みましょうか?」その一言がきっかけとなって、係りのお姉さんにビールを注文したのであった。
考えてみれば夜も練習があるのだ。
それにまわりを見回してもビールなんぞを頼んでいるテーブルはない。
すぐ近くのテーブルでは講師の先生方が黙々と食事されているではないか
なーんて気にしていたらなにもできないことをよく知っている私たちは、悠々と乾杯しているのであった。
海の幸を堪能し、ちょっぴりアルコールもはいってすっかり上機嫌になった私たちは、
夜のセミナー開始まであまり時間がにことなど一向気にすることもなく、
「さあ、ひと風呂あびてくるか?」なんて暢気なことを言い出す始末。
本当にまじめにセミナーに取り組んでいる人達には、我々年長組はどう映ったのだろう。

夜のセミナーは、委嘱作品の音楽練習。
作曲家自らのご指導による練習だったが、この曲がまたかなりの難曲。
「これって絶対音感がなかったら歌えないんじゃないの?」というくらい音程のない語りや叫びのあとに、
突然音程のある音があったりして、それに少し音程のまじった無声音だの、4分の1音高いだの低いだの、
と音に対する注文がやたらと多く、それだけ多様な音を求められているのだろうけれど、
あまりに時間が短くて、そこまではとてもとてもという感じである。
とりあえず部分部分の練習を重ね、明日通し練習をすることとなった。
はたして通るのかしら? とても私は自信がない。
「各自もう一度音程を確かめておいて下さい」
なんて言われたけれど、このスケジュールのなかでいつやればいいのだろうか?

さてその後は「ウエルカムパーティー」が、外のバーベーキュー小屋みたいなところで開かれた。
公式にはここではじめて酒にありつけることになっているが、
私たちはすでに夕食時に一杯やっているので、なんだか「またか?」といった感じである。
お風呂が11時までということで、私は早々に切り上げてお風呂に向かった。
湯船につかって今日1日の汗を流すと、すっかり気持ちよくなって、部屋に帰ったらバタンキュウー状態。
長い長いセミナー初日はこうして幕を閉じた。
でもゆっくり眠ることができたのはこの日だけ。
翌日から地獄の飲み会がなんと我々の部屋で開催されるなんて、夢夢思わなかった。

・・・つづく・・・