おやじの気まぐれ日記

過去ログ(2001年3,4月)

平成13年7月5日 new
 最近「おやじのきまぐれ日記」が全然更新されていないため、とうとう管理人よりお叱りをうけてしまった。この日記を楽しみ?にお読みいただいている方々には、ひょとしてどこか具合でも悪いんじゃないかとご心配をおかけしたかもしれないが(そんなことあるわけないか。)、連日の暑さにもいっこう食欲がおちることなくいたって元気に毎日を送っております。

 さて、それにしても暑い。もう梅雨明け?と勘違いさせられるのだが、明日から週末にかけてはまた梅雨空がもどってくるらしい。うっとうしい代名詞でもある梅雨空だが、こうも連日暑さが続くと、逆に梅雨空が懐かしくなってしまう。

 昨日は東京混声合唱団しらかわホール定期公演を聴きにいった。今年で4回目となるこの公演だが、お客さんはざっとみたところ大体半分くらいの入りだっただろうか? 私の席は招待席のため1階中央付近だったが、両脇に人がいたためなんだか窮屈そうだったので、2階席中央の一番後ろで最後まで聴かせていただいた。東混の演奏会は私が東京で単身赴任生活を送っていた時から、ちょくちょく聴かせていただいている。M団の指揮者が東混の専任指揮者、O先生であるため、M団は1昨年に引き続き今年も東混サラマンカ定期演奏会にゲスト出演(前座出演??)させていただくことになっており、やっぱりM団の代表である私が聴きに行かないわけにはいかない。今年は地元の東海メールクワイヤがM団と同じようにゲスト出演していたが、東海メール単独ステージはなく、1ステージのみ東混男声陣との合同演奏であった。M団の場合は東混サラマンカ定期演奏会で、東混との合同ステージだけでなく、単独ステージもあり、少々でしゃばりすぎじゃないの? とお客さんから批判を浴びそう。そういわせないだけの演奏をしなくては、東混の皆さんにも申し訳ない。(がんばって練習しようっと)

 さて肝心の演奏について、一言でいえば「暑さのせいで少しお疲れ?」といった感じ。もうひとつ客席にとんでくるものがなかったような気が・・・・。 それにしてもアルトのソロの方、いつ聴いても素晴らしいです。声といい、表現力といい、なにより楽譜はもっていらっしゃるもののほとんど暗譜で、客席に顔をむけ、にこやかに歌ってくださるのが、とてもうれしくて、やっぱり歌を歌う基本姿勢は、ああでなくっちゃと自らに言い聞かせております。

平成13年6月12日
 音楽堂演奏会が終わって3日目。いつもそうだけれど、演奏会って、始まったと思ったらもう終わっていると感じるくらいあっという間に時間が過ぎてしまう。だからやっぱり頭でいろいろ気をつけるポイントを考えていても結局なにもできないまま終わってしまう。「もっと練習しておけばよかった」 演奏会が終わってでてくるこの後悔の言葉がでない演奏会なんてとても望めそうにない。

 全般的な反省を少しばかり(個人的に反省すべきところは多すぎてとても書けない)
選曲に関しては、近年の演奏会のなかでは、その内容といい、演奏会の長さといい、かなり優れたものであったように思う。これといった目玉商品(いわゆるメインステージ)がなかったが、音楽堂演奏会はそういうものをあえて設けないで、バラエティに富んだ内容にするつもりだったし、ステージに軽重をつけたくない気持ちも強かったので、これは仕方がない。アンサンブルに関しては、選曲にさんざん悩んだ末の結果だが、やはり研究すべき点は多々あった。ただ膨大なルネッサンス時代の合唱曲から、選ぶのは至難の業。作品の数が多いだけに、また駄作も多く、いかにしていい曲に出会えるかが勝負の分かれ目。CDや生演奏を聴いただけでは、よくわからない。よかれと思って選んだ曲がうたってみるとそれほどでもなかった例は何度も経験しており、改めて選曲の難しさを痛感させられた。

 パーセルは比較的よく名前の知られた作曲家であるにも関わらず、合唱の演奏会でとりあげられることが少ないように私には思われたのと、M団にとって初めて取り上げる作曲家ということもあって、3曲もやってしまったわけだが、はたしてお客さんにとってはどうだったのだろうか? 歌う側からすれば、特徴的な半音階進行や跳躍など変化があっておもしろいものだったが、やや3曲の感じが似通っていて、聴いている方は退屈さを覚えたかもしれない。

 後半の現代曲は、総じて変化に富んだ聴き応えのあるステージになったように思う。演奏については客観的に聴いていないだけに、なんとも申し上げられないが、個人的には男声合唱(といってもカウンターテナーは女声にお手伝いいただいた)は過去取り上げたなかではもっともいい出来映えだったように思う。特にM団の男声は本番に弱いと定評?があっただけに、今回ばかりはその期待を見事に裏切れたのではないか? 他の曲に関してもO先生の発案で、照明や衣装に少しばかり工夫を凝らしたり、楽譜にはないセリフを織り交ぜたりと、かなりお客さんを意識した演出を取り入れたが、果たしてどうだったのだろうか?

 音楽堂演奏会は、多分2年ほどお休みをすることになると思う。理由はM団創立20周年を記念して特別演奏会を開催するためだが、音楽堂演奏会の内容をもう一度じっくり考え直してみようと思ったことも理由のひとつである。将来どこまで今までと違った新しい音楽堂演奏会ができるかはわからないが、なんとかお客さまに、合唱の楽しさをもっともっと伝えられる演奏会にしたいと考えている。もちろんそれまでM団が存在していればの話ではあるが・・・・・・。

平成13年6月4日
 音楽堂演奏会まで今日をいれてあと6日。2日、3日の合宿は、さすがに演奏会前最後の練習ということで、充実したいい練習ができたように思う。O先生は前日名古屋泊まりの予定で、今噂の名古屋マ○オット○ソシア・ホテルを予約しておいたのだが、東京での練習が長引き、結局名古屋に来ることができず、当日自宅を早朝にでて来られたとか? 朝早くから申し訳ありませんでした。

 今回の演奏会は、イギリスの合唱音楽ばかりを集めたプログラムだが、小アンサンブルあり、男声(一部女声の応援あり)・女声合唱あり・セリフあり・リュート演奏あり、と大変バラエティに富んだおもしろいプログラム構成になっている。まあ、演奏の質をプログラムの多様さでごまかしてしまおうという面もなきにしもあらずだが、演奏する側としては、結構楽しむことのできる内容だと思う。この日記をお読みになった方、是非是非今週の土曜日、夕方6時からのM団音楽堂演奏会にお越し下さい。詳しくはM団H/P(ここ)で!!

 さてちょっと気がはやいが、来年の6月23日の日曜日に岐阜サラマンカホールで、M団創立20周年記念特別演奏会を開催することが、正式に決定した。プログラムなどはこれから決めていくことになるが、M団では過去経験したことのないジャンルの曲を中心にプログラミングしたいと思っている。乞うご期待! もっとも今はそんなさきのことより、目前の演奏会に向けて自宅学習に精を出さねば。とにかく少しでも楽譜を離して歌えるようにしよう。(今頃何を言っているの、と文句がでそう) 家内も今週ばかりは、パソコンにさわる時間を減らして練習に精を出すそうな。そうそうこんな日記なんかかいている暇があったら、少しでも暗譜しようっと!

平成13年5月28日
 もう昼間は汗ばむくらいの陽気である。会社のクーラーは何故か6月にならないといれてくれないので、部屋の中はかなり暑い。かえって外の方が涼しいくらいだ。このまま夏になってくれれば、と思うこともあるが、その前にうっとうしい梅雨がひかえている。でも今年は、5月に雨が非常に少なかったらしく、はやくも「渇水対策」なんて言葉がきかれるようになった。うっとうしいとはいえ、梅雨がなければ、夏場の水が不足するわけだし、第一大好きなお米がとれなくなってしまう。洪水になるほどの大雨は困るが、適度なお湿りは生命にとって、なくてはならないものだ。

 先週は感動的なニュースが、私を幸せな気分にしてくれた。そう「ハンセン病訴訟判決確定・政府控訴断念」のことである。まったく無知なわたしは、実はこの裁判のニュースをきくまで、ハンセン病がいわゆるライ病と同じであることさえ知らなかった。これは家内も同じ。ということは我々夫婦を標準と考えてはいけないかもしれないが、日本人の半分以上はこの事実さえ知らなかったのではないだろうか? それほど無関心だった。全国にはいまだに数十カ所の療養所があり、すでにとうの昔に不治の病でなくなり、治療薬も開発されているにも関わらず、元患者はいまだに隔離されたまま。そういう事実をなにひとつ知ることもなく、また知ろうともせず、いったい私はなにに感動しているのだろうか? 単に「気の毒な人たちが、救われてよかった」などというセンチメンタリズムで片づけてしまっていいのだろうか? 元患者の人たちの人生は、裁判に勝って、賠償をうけることができたとしても、決してもう戻ってこないのである。もちろん国や政府や官僚の責任は厳しく問われなければならないが、それと同時にわれわれ一個人のハンセン病に対する無関心さが多くの悲劇を生みだした一因のように思えてならない。これから私たちがなにをすべきか、なにができるのか、それを十分考えることが、せめてもの償いになるかもしれない。

平成13年5月21日
 気がつけば、M団音楽堂演奏会まであと3週間足らず。時間が経つのは早いものだ。昨日はI先生の練習日、練習開始の時には、これが3週間後に演奏会を控えている練習? と疑いたくなるような人の少なさ。でも次第に集まりはじめ、最終的にはほぼ100%の出席率。主にアンサンブルの練習を行ったが、やればやるほど不安が大きくなるばかり。この段階になってもまだ音程に不安を残すパートもあり、これはいよいよ特別練習でもやらねば! と思った次第。もう一つのグループの方はいかがなものなのだろう。とにかく残された時間はそうないのだから、なんとか出来る限りの練習をして、いい演奏にしたいものだ。チケット販売状況調査も始まり、いよいよ頭も体も演奏会本番モードに突入といったところか?

 さて昨日は練習後、以前から私が考えていたM団創立20周年記念事業の計画を説明。突然のお話で団員の中には少々戸惑いもみられたようだが、昨日は出席者も多く、絶好の機会と考え、所信表明演説となった次第である。さてその中身だが、それほどたいしたものではなく、来年音楽堂演奏会をお休みして、6月か7月に「創立20周年記念特別演奏会」を行うこと、また再来年の「第20回定期演奏会」では、計画通りBACHの「ロ短調ミサ」全曲を演奏すること、などである。特別演奏会はその内容についてまったく白紙だが、わたしとしては、決して過去を懐かしむようなプログラムにはせず、むしろ今までM団がやってこなかった分野の曲を集中的に取り上げてプログラミングしてみたいと思っている。これからO先生・I先生とも相談しながら決めていきたい。今後日程など決まり次第、M団のHPでお知らせしていく予定です。

平成13年5月13日
 だいぶ日記をおさぼりしてしまった。HP管理人(つまり家内のこと)からいつ書くの? と連日督促されていたが、なかなか書く気力がわかず、やっと今日になってその気になってパソコンに向かっている。

 連休終了後、予想通りなかなかペースが戻らないまま、一週間がすぎてしまったが、仕事のほうは、相も変わらず難題続きで本当にいやになってしまう。どうしてこうも次から次へと問題が起こってくるのだろう? 来週もまた後始末に追われそう。さて、9日には久しぶりでシンガーズ8の練習、約3ヶ月ぶりだろうか? 今回から新築なったS氏邸のリビングで練習することになった。(練習場代はもちろんただですが、さすがにそれでは申し訳ないので、会費免除ということになりました)練習はどんな曲だったかを思い出すのにほとんどの時間を費やした感じ。次回から少し細かくやっていかなくてはいけない。といっても月に2回の練習だからいつもなかなか細かいところまで手が回らないのが実状。まあとりたてて今差し迫った目標があるわけでもなく、のんびりやりましょう。(そのうち茶話会になってしまうのでは? という不安もありますが)当面来年の某室内合唱コンクールを目指して練習することになった。

 今日は朝から音楽堂の宣伝のためのビラ入れのため、岐阜市文化センターへ。岐阜県の高校生対象の合唱講習会が、O先生を講師に呼んで開催されるためである。相変わらず先生は黒のサングラスに、黒ずくめの服といういでたち。若い人に囲まれてとても幸せだったとか? そのあとM団の練習だったから、よけいにそう感じたのかも。お陰で4時過ぎから8時過ぎまで夕食抜きで練習。出席者も多く(ほぼ100%)かなり充実した練習ができたように思う。あとは男声合唱とアンサンブル。人数が少なくなった分、声や音程のばらつきが非常に気になる。あと4回余りの練習の中でどこまで修正できるだろうか?

平成13年5月7日
 昨日島根より帰ってきた。片道約500キロはさすがに遠い。しかし今回は車がかわったせいか、それほど疲れなかった。やっぱりエ○ティマはいい車だ!

 掲示板にもあるように、今回の帰省は、家内の祖母が急遽入院という事態が発生し、なんだかばたばたと慌ただしいものとなった。その間に萩への小旅行、私には最初いったいだれのためなのかよくわからなかった50回忌の法要も重なり、予想通り楽譜やら本やらパソコンやらもっていったものの、結局ほとんど手をつけることなく持ち帰る始末。しかし祖母の入院を通じて、「老い」や「介護」についていろいろ考えさせられることが多かった。そういう意味では、単なる帰省とはまた違った意味で、充実していたと言えるかもしれない。

 本来なら今日から仕事なのだが、私は事前に休暇をとっていたので、今日はお休み。本格始動は明日からとなる。英語の勉強も1週間近くご無沙汰となってしまったし、ペースをまたもとに戻して、頑張らなくては! 萩のお話や、「老い」や「介護」に関して考えさせられたことなどは、おいおい書いていくつもり!