指揮: ズービン・メータ
演出: ペーター・コンヴィチュニー
美術・衣装: ヨハネス・ライアッカー
照明: ミヒャエル・バウアー
合唱指揮: ウド・メアポール
トリスタン: ヴォルフガング・ミュラー=ローレンツ
イゾルデ: ワルトラウト・マイヤー
マルケ王: クルト・モル
クルヴェナール: ベルント・ヴァイクル
ブランゲーネ: ヴィオレッタ・ウルマーナ
メロート: ステフェン・グールド
牧童: ケヴィン・コナーズ
舵手: ハンス・ヴィルブリンク
若い船乗り: ウルリッヒ・レス
バイエルン国立管弦楽団
バイエルン国立歌劇場合唱団
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LDでしか観たことがなかったオペラを生で観たい・・・長年の夢を実現する機会がやっと訪れました。私が重い腰をあげるきっかけになったのは、放送後も忘れられなくて自分のHPの中にサイトを作ってしまったドラマ「二千年の恋」の第2話で、このオペラ「トリスタンとイゾルデ」が伏線のように使われていたからなのです。そして奇しくも愚弟がオペラ「トリスタンとイゾルデ」に深く傾倒していて、2000年のベルリンフィルによる同演目に続いて2001年のこの公演も観に行くというので連れて行ってもらうことにしました。
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★★★
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心配だったのはホールがNHKホールであること。必ずしもオペラに適した劇場形式のホールではないため音響に関して不安はありました。(実際、オケはよく聞こえてくるのに歌手の声が・・・でしたね、残念。まあこれは指揮者の問題でもあるのですが・・・ww) 席は2階の通路の後ろで、位置的には真ん中ですが、オペラ歌手の顔はオペラグラスがないと見えません。なお、今回の演出は1998年にバイエルン国立歌劇場で上演されたもので、既にこの時の録画がテレビで放送されており、前日に愚弟宅で予習を兼ねて鑑賞することができました。全幕通すと4時間を超える長いオペラで、CDとLDを持ってはいるものの、一度も最初から最後まで通して観たことはありません。そんなオペラをちゃんと最後まで観ることができるのだろうか? という不安もあったのですが・・・
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★★★
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開演30分前に会場に到着して荷物を預け、今回の全公演のパンフレット(2500円!)を購入し席へ。だんだんとお客も埋まりだして、2階から見る限りではほとんど席は埋まっていたような気がします。(当日券はあったそうですが。。。) オケピに次々に楽団員が入ってきて、それぞれてんでんバラバラに練習しだしました。よくあんなにウルサイ中で練習できるよな(耳がおかしくならない?)。さて、オーボエのA音に合わせて調律が終わると、指揮者のズービン・メータが入場。拍手に迎えられお辞儀をし、振り向くとスグに棒は振り下ろされて前奏曲が流れ出しました。ああ、あの<憧憬の動機>です。久しく生のオケの音を聞いていなかったのでなんだかワクワクしてきました。曲が進むに連れて、<眼差しの動機>では弦楽器のビロードのような音色に包まれ、3連符による早いパッセージの<法悦の動機>ではついつい涙が出て・・・。
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★★★
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前奏曲が終わると幕があき、、、、と言っても左右に黒幕を2mずつ残し、ステージ全体を使うのではなくて、黒枠の中での劇中劇の様相・・・左右の電光掲示板に歌詞の日本語訳(←いわゆる字幕?)が現れます。ステージに現れたのは地中海に浮かぶクルーザーのような現代的な船のデッキ。ついでに2幕と3幕のセットも紹介しておくと、2幕は周りを森の木立に囲まれた城の庭。そこへトリスタンが自ら黄色い二人がけのソファを引きずって登場し、そのソファでイゾルデと愛を語りあう・・・って感じです。3幕は小さな窓とドアがあるだけの白壁の部屋に傷ついたトリスタンがソファに身を投げだし、スライドで自分の少年時代や母親(たぶん)の画像を壁に映しだしています・・・するとそこへ・・・という設定だったと思います。
そそ、余談ですが第2幕で愛を語り合う二人の手と足元にはロウソクが・・・まさにドラマ「二千年の恋」でもロウソクが象徴的に登場するので、この偶然の一致(?)に小躍りしそうになりました。(笑)
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★★★
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今回初めて生オペラを聴いて勉強になったのはまず基本的なことだけど、やっぱり『声』は大事なんだなって思ったことです。どんなに表現力があってもステージから聴衆へ向かって訴えかける声、聴衆を惹きつける声がないと音楽の魅力も説得力も希薄になってしまうということ。つまり、現在もっとも望むべき最高のイゾルデとして定評のあるワルトラウト・マイヤーを楽しみにしてきたのですが、メゾソプラノとはいえ、もう少し声に艶が欲しかった。持ち声なのか疲れているのか・・・たまたま、同じメゾソプラノでブランゲーネを歌っていたウルマーナの声が若々しく伸びがあっただけに、ついつい比較をしてしまいます。このウルマーナでイゾルデを聴いてみたいと思ったのも確かでした。
ただし、マイヤーの名誉のため述べておくと、彼女には充分な表現力があり、1幕ではトリスタンの素性を知りながら傷を癒し逃がしてあげたのに、こともあろうに他人の花嫁として迎えにきたことに対する怒りを身体全体で現していたし、「愛の媚薬」を飲んだあとのトリスタンとの重唱には陶酔感もあり、聴いてるほうが思わず引き込まれるものがありました。ただ、彼女にとって不運だったのは指揮者がメータであったこと・・・というのは、彼の音楽は楽器を歌わせるところは充分に歌わせているものの、だんだんとディナーミックの差がなくなってきて、pの繊細さを現せなかったり、楽器も出が揃わなかったり、時として歌手の声をうち消してしまうほどオケを鳴らしたりと、荒さが目立つ指揮であったこと。きっとそれもあって、2幕のトリスタンとイゾルデの愛の二重唱に今ひとつ集中力がなく・・・ああ、ここはもっと陶酔したエクスタシーを感じるところなのにな〜・・・と思ったのも事実でした。トリスタンのヴォルフガング・ミュラー=ローレンツもたぶん、年齢のせいだと思うのですが、声にやはり艶や伸びがなくて・・・オペラとはいえ、トリスタンには立っているでだけ花のあるテナーの方にお願いしたかったな。ただ、2幕の最後の慟哭は見事だったと思います。
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そして今回のオペラで一番感動したのはマルケ王を歌ったバスのクルト・モルでした。私のモルに対するイメージはただ、大きくて低い声でボーボー歌っているだけの人だったのです。それが今日の彼はマルケ王のイゾルデとトリスタンへの慈愛を、そして自らの悲哀を、品格を醸しだしながら難しい半音階の旋律で歌い上げていたのです・・・思わず身を乗り出しそうになって、心の中で「おおっ!」と感嘆の声をあげてしまいました・・・少し、集中力の欠けていた場を引き締めたのは確か。勿論、他の聴衆もよくわかって、2幕と3幕が終わったあとのカーテンコールで彼が1人出てくると、もう割れんばかりの拍手!拍手! 「ブラボー!!」の嵐でした。本当にどうすればあのように声自体の響きに人格というか人物の感情を織り込むことができるのか・・・私達がよく声に息を多くまぜたり、子音の長さで感情を表すのではなくて、まさに声で表現する・・・これは様々な経験をしてきた人の年輪なのか? こういうのを霊感の域に達した芸術というのでしょうね。芸の世界は奥が深いとシミジミ思いました。
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今回の演出について、特に最後のイゾルデのアリア<愛の死>のシーンについて一言述べさせてください。
私としてはこのオペラは初体験だったので音楽に、そしてワーグナーが意図していたことに忠実に演出して欲しかったのですが、考えてみたらこれまで100年以上にわたって演奏されてきたわけで、いろんな演出があったことは想像に難くありません。そう思うと、演出家も何か斬新なアイデアを出したかったのかも・・・1幕から設定が現代的だし、2幕ではソファまで持ってきちゃうし、3幕のトリスタンは幼少時代への退行。今回のこの有名なアリア<愛の死>は最初に舞台の説明をしたように黒幕で枠を作り、客席に近い枠より手前をあたかも黄泉の世界に見たてて、トリスタンを座らせ、イゾルデは立った状態で歌います。そして最後、二人は手を繋いでスタスタと舞台袖へ歩いて行き、枠の向こうの現世には二つの棺桶が・・・観ていた私はもう???状態。なにもそんなリアリスティックな演出をしなくてもトリスタンの亡骸に寄り添うようにイゾルデが歌いながら崩れ落ちる・・・これだけで2人が一緒に昇天していく様を聴衆はオケの音によって観ることができると思うのです。実際にワーグナーはそういう音楽を書いていると思うし・・・が、百歩譲って・・・そういう演出は過去に幾つもあったからなのか、演出家は白石美雪さんが朝日新聞の演奏評でおっしゃっているところの“矮小化された現世を描いて「至高の愛」を劇画的に描き、悲劇を希望に満ちた劇にしたかった”のかもしれません。だから最後もなんだか劇画的であっけらかんとしてた? でもね、やっぱり初めてこの「トリスタンとイゾルデ」を観るものとしては王道で演出したものを観て、涙を流したかったのが正直な気持ちです。は〜〜っ。マイヤーのイゾルデにももう少し厭世的な歌い方をしてもらいたかったしねぇ。
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初めて生でワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」を聴いて思うことは、やはりこの作品は音楽史上、重要な作品のひとつで、1858年に完成(初演は1865年)したこの作品がのちに19世紀末から20世紀初頭にかけてマーラーやシェーンベルク達に影響を与え、無調の12音技法へ移行していく現代音楽の道標のひとつであったのだということです。すなわち、この作品は音楽的には調性がはっきりせず、長調から短調へと転調を繰り返す無限旋律と和声、たえず彷徨う半音階的進行が、登場人物の深層心理や、仕草を音楽化して聴衆にまさに眼に見えるように響かせている作品なのではないか。そして、そんな揺れ動く音楽の中に愛と官能の響きを見いだし、主人公二人とともに浸っていたい。いつかはそんな世界にめぐり逢うかもしれない・・・そんな淡い期待と願望がこの「トリスタンとイゾルデ」というオペラにはまってしまう所以なのかもしれない・・・ふとそう思ったのでした。演奏時間だけで4時間を超えるオペラでしたが、ちっとも長さを感じさせられませんでした。きっとこれからも私はこのオペラを観にいくことでしょうね。トホホ
蛇足: そそ、実はこのオペラで一番難しい役は前奏曲のすぐあと、1幕の最初に歌う“若い水夫”なのかもしれません(笑)。だっていきなりア・カペラで この彷徨える半音階進行を歌わなきゃいけないんですもの・・・・・このオペラ全体を暗示するような妙な転調。今回は・・・案の定、低かったですわん★ 思わず「そうじゃなくって、こうよ・・・」って口から声が出そうになっちゃっいました・・・w。
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後日談: 2001年10月31日の朝日新聞・夕刊にワルトラウト・マイヤーのインタビュー記事がありました。彼女の今回の演出に対する評価はなかなか辛辣で、50%は無視して歌っているのだそうです。・・・やっぱりあの演出では・・・なんですね。ワーグナーはこの「トリスタンとイゾルデ」に関しては歌詞と音によって全てを現そうとしていたような気がします。演出でどうこうしようとするのは・・・ましてこの作品を「希望に満ちたもの」にしようと言うのは根本的にワーグナーの意図から外れているとしか思えないのですが・・・。
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