合唱団「松江」2002体験記
(平成14年2月9日〜11日)

【お稽古編】
 
 今回のお歌の練習時間は、約17時間。声だしや休憩もあるので、実質15時間程度。
でも約2日間での練習時間だから、ほとんど歌いっぱなし状態といっても過言ではない。
それに一度歌ったことのある曲はまだしも、「波」は相当な難曲で、
音程・リズムに慣れるのにかなり苦労した。
でもそれだけに歌いがいのある曲で、もう一度歌ってみたい(リベンジという意味も含めて)
と思った人は多かったのではなかろうか。
なにを隠そうわたしもその一人である。

今回はK山先生より
「顔の見える演奏をしたい、練習しているときもあちこち場所をかえて練習してほしい」との提案があり、
初日は最前列で、2日目の午前中は最後列で、午後は真ん中あたりで練習することとなった。
表向きは「顔の見える演奏をしたい」ということだが、要はいつもおなじ面子に
前でガアガアと大声で歌われるのは困るという意味もあったのでは? 
でも結局大きい声の人はどこで歌っていてもわかるわけで…
特にアルトのC嬢にいたっては、それこそ四方八方から彼女の声が聞こえてくる。
ソロの箇所などどこにもあるはずないのに 
アルトが主旋律を歌う時はいつも彼女のソロに聞こえてしまうほどの声量に
ベースの面々は、何度となくアルトの方を振り返ってしまったほどであった。

 今回ベースのメンバーは私の知る限りかなり充実していたように思う。
東京のN倉さん、広島のM尾さん、プロ歌手?のN本さん…などなど。
それにやっぱり金と時間をやりくりして北は北海道、南は鹿児島から集まってきている
それこそ正真正銘の合唱○カばかりであるから、どの人もよく声が出ること出ること。
必然的にピアノとフォルテの差がなくなり、気がつくとフォルテばかりとなってしまう。
「ベースはうるさい」と指揮者や他のパートからなんどとなく注意され、その場は気をつけるのだが、
時間が経つにつれて元の木阿弥状態に戻るという繰り返し。
でも確かに音程やリズムはいつもファジー(←つまり簡単にいうと、いい加減ということ)で
楽譜の強弱をほとんど無視(というよりそこまで気が回らない)のベースではあったが、
どのパートよりも生き生きと歌っていたように感じたのは私だけ?

 「波」ではかわいらしい中学生の合唱が加わったのだが、
この子供たちが、K山先生の指示にいつも大きな声で「はい」と返事をしていたのには驚いた。
多分顧問の先生から指導をうけていたのだろうが、素直なその返事は大人の合唱団員にもすこぶる好評で、
ベースのN倉さんはそれを真似して「はい」とあの超低音で返事をし出す始末。
でもやっぱりあれは中学生のさわやかな声だからこそよかったわけで、
どうもおじさんの低い声ではさまにならず、ただ他の合唱団員の笑いを誘うだけとなってしまった。

 練習初日は、なんとなく手探り状態といったところだったが、
2日目になるとかなり曲にも慣れてきて、熱気を帯びた練習になった。と同時に疲労もたまってくる。
2日目の午後には三善先生がお見えになり、案の定K山先生はかなりナーヴァスになっている感じ。
そんな雰囲気のなかでも、私たちおじさま連中はいたってマイペース。昼食の弁当をキャンセルして、
町へわざわざ松江名物「鯛めし」を食べにいったおじさま3人組(N倉・金沢のI田・それに私)は
おかげで、2時からの練習に遅刻。
でもきっと2時からの練習はK山先生ではない、との我々の読みは見事的中し、
練習はY山君が前で振っていた。
しめしめとばかりそれほど遠慮することなくステージへ…と同時にK山先生登場。
なんというグッドタイミング!!
私たちはあたかも真面目な受講生とばかりに、涼しい顔で練習をすることに。
でもまだまだ私たちは器が小さかった。
なんと学生さんのグループはそれから数十分遅れて堂々とホールに入ってくる有様。
こともあろうに(笑)彼らは我々と同じ店で、なんと我々よりも1ランク上の鯛めしを
悠々と味わっていたのである。
でもさすがにビールは飲んでいなかったなあ。

実はこの昼食時のビールが午後からの練習に災いした。なんたって眠い、眠い。
私の前で練習していたN倉さんは、そのうち背中が右へ左へゆらゆら揺れ始め、
頭がだんだん下がっていく。なんとか眠気を振り払おうとしているのだが、
そのうちとなりのN本さんに何度となく起こされては、あわてて楽譜をペラペラとめくるしまつ。
N本さんによれば、なんだか声が小さくなったなあと思った次の瞬間にはもうぐっすり眠っている。
そのたびに起こしていたとのこと。
でもよくまわりであんなに大きな声で歌っているのに眠れるものだ。
あとでK山先生にきいたところ、すっかりそのあたりはわかっていたらしく、
「あいつは第九の時も、1楽章からぐっすり寝ていたからなあ、3楽章あたりで寝るならわかるんだけど」 
でもN倉曰く、「ひと寝入りするとよく声がでるんだよなぁ」 
たしかにベースは寝起きが一番低い声がよくでるのは事実なのですが・・・・

 午後の練習は、三善先生のコメントを挟みながら、約4時間練習。
「波」は、かなりエネルギーを使う曲だけに(2人のピアニストも大変!)
午後の練習が終わるころにはすっかり疲れてしまった。
5時をすぎたあたりからさかんに時計を気にしだし(つまり集中力がなくなってきた証拠)、
あちこちで事故が続発。
「山田耕筰による五つの歌」は「この道」や「からたちの花」といった
よく知られた(←もちろんメロディーが…です)曲ばかりなので、
N本さんなどは、何度か大きな声でメロディーを歌っていた。
(もちろんベースにはほとんどメロディーなどない)
また、休みのところで出てしまったり、訳もなく音をのばしてしまったりと、
もうこれ以上練習しても下手になりこそすれ、決して上手にはならないのになあ、
と思っていても、三善先生の手前、K山先生もしぶとく6時まできっちり練習をするあたりは、
結構気を使っているのかしら…なんて同情してしまった。

 3日目の午前中は、なぜかパートに分かれてダメだし。
でもテナーとベースが同じ部屋で違う箇所を歌い出すものだから、なにがなんやらよくわからず、パート毎に別々の部屋でやらないことには、ダメだしの意味がないようにも思うのだが…
かといって練習指揮者のY田さんが熱心に指導されるものだから、無視するわけにもいかず、
となりから聞こえてくる下手な英語の「OVER THE RAINBOW」を聞きながら、
山田耕筰の歌を練習していたのであった。

 3日目の本番前、ホールでのリハは11時頃から開始。
並び順でかなり時間をとられ(これは私の参加した合唱団「松江」ではいつもそうだった)、
というのも合唱団員の数?体格?の割に、雛壇が狭いというか、少ないというか、小さいというか…
要は一人あたりのスペースが狭くて窮屈なのである。
私なんぞこういうときは便利なもので、どこにいても指揮はよく見えるからいいのだが、
背の低い人は大変である。
もっとも指揮をみて歌ったら間違えると豪語する人もいて(事実そういうケースが多々あるが)、
正直指揮が見えるかどうかというのはこの際たいした問題ではないようにも思う。
まあそれぞれ歌いやすいところで歌えばいいわけで、
少々列が乱れていたってそれほど気にすることではないと思う。

並び順でもめているあいだ、指揮者と2人のピアニストは難曲「波」の合わせ練習を熱心にやっていた。
というのも昨日から変拍子の箇所が今ひとつしっくりあわず、何度か指揮者が茫然自失となることがあった
(らしい。私はよく知らないがアルトのC嬢は指揮者の真正面で歌っていたのでよく観察できたとのこと)。
もちろん指揮者がどうなろうと我々優秀な合唱団員は、そんなことにひとつも動揺することなく、
なにごともなかったかのように歌い続けるであろうから、
途中で止まってしまう危険なんて万が一にもないのである。
そういえば曲の最後の部分で指揮者はどうしてもカッコイイポーズを決めたいらしく、
その箇所をなんども練習していた。
が、先に指揮が終わったかと思うと、次の練習ではピアノが先に終わったり
(いずれにしても指揮者が間違えているわけだが)
なかなか思うようにはいかない感じであった
それにしてもおつきあいさせられているピアニストのお二人がなんともかわいそうで、かわいそうで。
そうこうしているうちに、時間も過ぎ、なんとなく1回通しただけで(これでも結構大変)リハーサル終了。
出入りの確認をして(でも本番で変更になっていたのはなぜなの?)解散。
怒濤の本番へと突入していくのであった。