合唱団「松江」2002体験記
(平成14年2月9日〜11日)

【発表会編】

本番は午後2時半から。
私はてっきり午後2時から始まると思っていたので、リハーサルが終了した午後1時過ぎに、
「わあ、あと1時間ないじゃないか。お昼ご飯を食べたらすぐ本番じゃん」と結構あせっていたのだが、
意外と他の人は冷静そのもの。さすが百戦錬磨の合唱人だなあ、なんて感心していた。
でもどうも様子が変なので、「本番って2時からだよね」ってそれとなく聞いてみると、
「いや、2時半からだよ。」 この一言でちょっと余裕ができた、と同時に帰りのことが心配になってきた。
今日中に家までたどり着くにはなんとしてでも、午後5時27分の特急にのらなければダメ。
そのためには遅くとも5時前にはホールを出ないと間に合わない。
ということは、演奏会が2時間以上に延びるとかなりやばくなる計算。
演奏時間そのものだけなら余裕のはずだが、なんと言っても途中に三善先生のお話やら、
K山先生のお話が入る予定だから、どうなるかわからない。
事実昨年は予定よりかなりオーバーしたらしい。
それに今年は演奏会のあとに写真撮影をするとかいっていたし・・・。
なんていろいろ心配しているうちに本番の時間となった。

楽譜類をステージ袖の思い思いの場所に置き、最初のステージで歌う曲のみ楽譜をもって、ステージへ。
最初は、合唱団「松江」の委嘱曲のステージ。
お客さんは約7割といったところか? それでも私が参加した1昨年より多かったような気もする。
最初の「雪の窓辺に」が終わったあとに、K山先生の挨拶がはいる。
合唱団「松江」の紹介やら団員は北海道や九州からもきている、
といったごくごく普通の話を少ししたあと、残り3曲を一気に歌って終わり。
目立った事故もなく、なんとなく次のステージに備えてウォーミングアップをしているといった感じ。
もちろん曲もそれほど派手ではないから、それはそれで十分曲の雰囲気は伝わったとは思うのだが、
どうも歌っている方は、次の「波」を意識しながらのステージとなってしまったように思う。

いったん舞台袖にひけ、「波」の楽譜を」もち休憩なしでステージへ。
なぜかステージにでていくみんなの足音が「やるぞ!」といった感じに思えたのは私だけ?

いよいよ怒濤の「波」が始まった。
この曲で難しいのは、童声合唱からはじまり、大人の合唱が加わって24小節間無伴奏が続くことである。
練習の時はこの部分でピッチがかなり不安定になり、
ピアノが入ってきたときには、「あれ?」ということがよくあった。
でもさすがに本番は、緊張感のお陰か、さほどピッチが狂うことなく通過。
予想通りといおうか、ややはやめのテンポで前半終了。

しばらく大人の合唱だけの部分の中間部へ。

私がこの曲でもっとも感動したのはこの中間部。
おかげで楽譜上の強弱記号はほとんど無視して、気持ちよくフォルテで歌わせていただきました。
こういうとき大人数だとさほど気にならなくていいですね。
練習の時から気に入らなかったフレーズ感も、私の好きなように歌えたし、満足、満足。
でも変拍子のところは、歌い出しを間違えはしなかったものの、途中で言葉がぐちゃぐちゃになって
自分でもなにを言っているのかわからなくなってしまった。(←楽譜をみているにもかかわらず) 
それにあちこちで事故が続発。当然指揮など見ている余裕のある人は多分ほとんどいなかったはずで、
だから指揮者がちゃんと振っていたかどうかは不明。
でもピアノとの辻褄はちゃんとあっていたのだから、少なくとも合唱は正しかった訳だ。

そして怒濤のエンデイングへ。

練習の時K山先生は、いつも「この部分はテンポが走りやすい(つまりはやくなりやすい)から
馬の手綱を引き締める感じで走らないように」と注意していたっけ。
ところが本番は手綱を引き締めるどころか、指揮者自ら手綱を緩めてしまったかのように、
ものすごいテンポで始まってしまった。
こうなったらなかなかテンポをゆっくりすることは難しく、合唱もそれに呼応するかのように、
ますます勢いがついて、走る、走る。
正直ピアニストがついてこれるか途中で心配したが、
残念ながら2台のピアノがガンガン弾いているにも拘わらず、
なぜかベースの位置ではそのピアノがよく聞こえず(←ベースがうるさすぎるから?)
結局心配しようにも音がよく聞こえないために「この際、歌ったもん勝ちだぜ!」とばかり、
勢いにまかせ歌いきってしまった。

もちろん指揮者など見る余裕などなく、
(たとえ見ることができたとしても、かえって間違えるかもしれないし)
でも最後のかっこいいポーズだけはばっちり拝見させていただいた。
(よかったね、練習の成果がでて、K山先生!)
ここで多分東京の演奏会なら「ブラボー!」とくるところだと思ったのだが、
何故か会場はシーンとしずまりかえったまま。
「まさか、曲がおわったかどうかわからないってことはないよね」なんて心配したり、
「結局舞い上がっていたのはステージ上の人だけで、お客さんにとっては大して良くなかったのかしら」
などと考え込んでいるうちに、指揮者が客席の方を向いたところで盛大な拍手。
こちらもなんだかほっと一安心。
共演してくれた児童合唱の子供たちに団員からも盛大な拍手が送られた。

ここで少し休憩時間。

あとは1ステージ残すのみ。いったん楽屋へもどり、しばし休憩。
そろそろ時間かな、と思って次のステージの楽譜を抱え、舞台袖にいったところ誰もいない。
変だなあと思っていたところに、N倉さんとばったり。
「なんか次のステージは客席からでるそうだよ。三善先生のお話を客席できくんだって」とのこと。
やれやれリハーサルの時、そんな話聞いていないぞ。
と思っていたがどうも皆客席にすでにスタンバイしているところをみると、
聞いていなかったのは私だけだったらしい。

客席が暗くなり、三善先生登場。
お話が始まった。
松江の話、それとやはりテロ事件の話、約10分ぐらいだっただろうか。
私の両隣はもちろん団員だったが(一人はN倉さん)、なんと二人ともぐっすりお休み中。
お話が終わって拍手がおこったところで目をさますあたりはさすが。
それにしてもよくあんな短いあいだに寝れるものだ。

予定通り客席よりステージへ。

3ステージ目は「山田耕筰による五つの歌」
昨年夏に隠岐ミュージックセミナーで一度歌っていたので、テンポの速い「待ちぼうけ」以外は全く心配なし。
「待ちぼうけ」も隠岐の時のほとんど口パク状態よりは、かなり上達したから、
ゆったりした気分で楽しんで歌うことができた。
お客さんもやはり知っている歌は親しみがもてるのだろうか、
「波」とは違ってリラックスムードが客席に漂っていたように感じた。

アンコールは、ステージをおり、児童合唱の子供たちも混じって、客席を取り囲むようにして歌った。
すぐ目の前にお客さんがいるのは結構緊張するものだ。
ましてアンコール曲は正直いってあまり得意な歌ではなかった
(同じパターンの繰り返しが多いのと、休みがほとんどなく歌いっぱなしなので疲れる)
ので、よけいに緊張した。
それに、お客さんもちょっと迷惑だったんじゃないかしら。
だってすぐそばでワーワーと大声で歌われるのだから。
(ちなみにこの曲はほとんど小さくするところがない。これは小さくするのを忘れているという意味じゃなくて)
でもでも、結構楽しんでいただけたのでは?なんて勝手に想像しています。
案の定何カ所か間違えてしまったけれど、お客さんはなにが正しくて何が間違っているか、
なんてわからないわけだから、たいして気にもならず、とにかく無事演奏会が終わってやれやれ。
団員が完全に退場するまで拍手していただけたのは、ほんとうにありがたかった。

さて終演後いそいそと楽屋へ戻った私だったが、またしても誰も戻ってこない。
それに楽屋の鍵もあいていない。しばらく待っていたが、結局誰も戻ってこないので、
仕方なくホールに戻ってみたところ、何故かまだ皆さん残っておられる。
「なにをぐずぐずしているのかしら」と考えて、はたと気がついた。
「そうだ、これから写真撮影があるんだっけ」 
段取りを十分認識せず、行動しているからこんなことになるのです。

写真撮影のあと、「終わりの会」。
指揮者・ピアニスト・団長などの挨拶のあと、
ピアニストのA井先生の?回目の誕生日プレゼントの贈呈式。
ということは毎年、合唱団「松江」はこの時期にやるわけだから
A井先生はほぼ毎年誕生日プレゼントをここでもらっているということか?
なんて変に感心したりしているうちに、実行委員長のK門さんの挨拶。
そこで来年をもって合唱団「松江」はひとまず終了するとの発表があった。
噂では知っていたのでそれほど驚きはしなかったが、なんとなく寂しい気持ちに。
でも歌って騒いで帰っていく私たちと違って、運営する方はさぞかし大変なんだろうな、と同情してしまう。
なんといってもワガママな合唱○カが全国から集まってくるわけだし、
それに極めつけのワガママ指揮者もくっついてくるのですから。

「終わりの会」が終わったのが午後4時半過ぎ。
電車の時間まで1時間弱しかない。
今度こそ本当に終了らしく、みなぞろぞろと楽屋へ。
私は着替える必要がなかったので、挨拶もそこそこに楽屋を出て、一応挨拶のためK山先生の楽屋へ。
先生とがっちりと握手、そして熱い抱擁(←気持ち悪い!)。再会を約してロビーヘ向かった。
タクシーでないと駅に行くのは無理なので、
ホール事務所のおじさんにタクシー会社の電話番号をきいたところ、
親切にもわざわざ電話番号の書いてあるところまで連れていってくださり、
おまけに呼び方まで教えてくださった。
さらにその上、タクシー待ちの場所でしばし雑談のお相手までしていただいた。
なんともその優しさは、この3日間を締めくくるにふさわしい素敵な思い出となった。