ファーノ国際ポリフォニックフェスティバル参加記
フィレンツェ→ヴェネツィア
1991年6月
ローマからバスで高速道路を走ってフィレンツェへ・・・
ある峠(?)を越えると向こうに憧れのフィレンツェの街が・・・・・雑誌でしか見たことのなかった大きなクーポラのあるドゥオーモが見えてきました。「は〜るばる〜来たぜ〜、フィレンツェ!」 ところがです、みなさん聞いてください。。。ここでまたまた重大ニュースが・・・・・当初、フィレンツェでの宿泊は街中の四ツ星ホテルの予定でした。ところが、その時期フィレンツェでは国際エイズ学会が開催されていて、私達が宿泊する予定のホテルからお客が出ていってくれないとのこと・・・こういう時は前の宿泊客が優先なんですって!?・・・・なバナナ!(うっ おやじギャグ・・) ・・で、急遽郊外の三ツ星ホテル(シャワーだけでバスタブがない!)に変更・・・・えっ? 私達が素直に受け入れたかって? ・・・なわけないですよ。「今晩の夕食のワインは添乗員さんのオゴリね!」「・・はい、わかりました」「ヤッター!!!」
翌日のフィレンツェ観光は半日だけ。
朝一番に高台にあるミケランジェロ広場からフィレンツェの街を一望。赤褐色の屋根の街が眼下にひろがり、まさに雑誌に登場する風景そのものです。中でもサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)のクーポラは隣のジョットの鐘楼と並んで群を抜いて大きく、フィレンツェのシンボルと言われるのも納得。その後、街中を歩いてアルノ川にかかるポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋←古い橋という意味ネ!)を渡り、有名なウフィツィ美術館へ向かいました。ポンテ・ヴェッキオの両側には貴金属店が並び(その昔は肉屋が並んでいたらしです・・・)、今、橋の上にいるんですよって言ってもらわないと、とても橋の上だとは思えません。
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ミケランジェロ広場から見たドゥオーモ
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ポンテ・ヴェッキオの上
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ウフィツィとは英語でオフィスのこと。つまりここはもとはトスカーナ大公国コジモ1世の命により建築家でもあり、画家でもあったヴァザーリの設計により建てられたお役所だったのです。この美術館にはポンテ・ヴェッキオの上を通ってアルノ川の対岸にあるピッティ宮殿に達する渡り廊下があり、変事があるとこの渡り廊下を使って逃げてきたとか・・・。うっ、建物の説明が長くなりすぎましたね。館内に入るのに20分くらい並びましたが、美術館の中はそれほど混んではいません。どうやら入場人数を制限をしているようです。お陰で日本の@@展のように人に押されながら見るということはありませんでした。アリガタヤ、アリガタヤ。。。本来なら全部見るのに3日間はかかるというところを現地の日本人ガイドさんの説明を聞きながら、ほんの1時間で走るように見て回りました。
館内はそれはもう「スゴイッ!」の一言。日本流に言えば、国宝級の絵画があちらにもこちらにもゴロゴロ・・・。それも手を伸ばせば届くところにあるのです。ルネサンス絵画の先駆ジョットやリッピの聖母子を描いたもの、ダ・ヴィンチの美しい「受胎告知」、それにボッティチェルリの「春」と「ヴィーナスの誕生」なんて同じ部屋の正面と左側面に飾られ、こんな贅沢、いいのかしら・・・なんて思ったりしました。ボッティチェルリのこの二つの絵画は当時(ルネサンス時代)のイタリア、特にここフィレンツェで流行っていた新プラトン主義を具現化した作品として有名ですが、想像していた以上に大きくて(縦1.5m×横3mくらいか?)驚きました。他にもラファエロの「ひわ鳥の聖母子」や「自画像」もあったりして、ほとんどがどこかの画集や特集で見たものばかり・・・・もう感動という感覚が麻痺してしまいました。
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ウフィツィ美術館入口
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Mジが撮れと言った
郵便ポスト
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ジョットの
「荘厳の聖母」
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ラファエロの
「ひわ鳥の聖母」
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ボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」
ガラスの反射や人影が写ってます
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ボッティチェルリの「春」
やはりガラスの反射と反対側の絵の輪郭が・・
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後ろ髪を引かれる思いで(ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」を見忘れた〜!)、美術館をあとにし、市民の広場であるシニョーリア広場(ここで修道士サヴォナローラが火焙りの刑に処せられました。)を横切って、フィレンツェの顔とも言えるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)へ向かいました。すでにシニョーリア広場からも、赤褐色のクーポラ(円天蓋)の一部が見えていたのですが、路地をぬけると、それは突然大きくなって私達の目の前に立ちはだかりました。白、ピンク、緑の大理石でできたこの大聖堂。そのクーポラは、ルネサンスの代表的建築家ブルネッレスキの設計によるもので、隣の高さ82mのジョットの鐘楼と共に見る者を圧倒します。中に入ると外観の華麗さに比べ、バラ窓も内装もヴァチカンのサン・ピエトロ寺院よりもずっと質素で、普段の何気ない市民生活の場としての教会のような気がしました。
この大聖堂の前にはミケランジェロが「天国の門」と名付けた扉のある8角形の聖ジョヴァンニ洗礼堂があります。この扉には彫刻家ギベルティによりブロンズ彫刻が施されており、観光客で溢れていました。この扉の彫刻を誰にやらせるのかはコンクールで決めたとのこと。この時、ギベルティに破れたのはブルネッレスキなんですよね。だからもしブルネッレスキがコンクールで勝っていたらあの大きなクーポラのあるドゥオーモはフィレンツェにはなかったかもしれませんね。そそ、ついでに・・・聖ジョヴァンニ洗礼堂ではこの街出身の有名な詩人ダンテも洗礼を受けたそうです。
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向こうにドゥオーモの
クーポラが見える
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梁を使わず二重構造で支え合う大円蓋
屋根の上の白い部分まで登れる
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ドゥオーモを後ろから写す
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聖ジョヴァンニ洗礼堂
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ドゥオーモを背景にして。
路地を抜けて出てきたところ
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ドゥオーモの正面
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聖ジョヴァンニ洗礼堂の東門
通称「天国の門」
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季節も天気も最高! ルネサンス時代の歴史の街フィレンツェは観光客であふれていましたが、例の「エイズ学会」のカバン(青と白と緑の横縞)を持った人達も沢山みかけました。昼食後は前日と同じバスで次の目的地ヴェネツィアへ。途中アペニン山脈を越え、学問の街ボローニャを横目で眺めて・・・おお、海が見えてきました。アドリア海です! そしてその向こうには・・・潟の上の街ヴェネツィアが見えてきましたよ〜!!
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遙か向こうの海に浮かんで見えるヴェネツィア
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