ファーノ国際ポリフォニックフェスティバル参加記
ヴェネツィア→ファーノ
1991年6月


 「海の都」・・・ヴェネツィア! ヴェネツィア! ヴェネツィア!
デューラーが、ゲーテが、そして沢山の文人が憧れた街・・・この私もどんなに憧れたことか・・・ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」で流れるマーラーの交響曲第5番4楽章アダージェットの美しい調べと静に揺れる水面・・・塩野七生女史の「緋色のヴェネツィア」(聖マルコ殺人事件)に登場するサン・マルコ広場、デュカーレ宮殿・・・モンテヴェルディ合唱団によるモンティヴェルディ作曲「聖母マリアの夕べの祈り」のライブinサン・マルコ寺院・・・サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会にあるティツィアーノの宗教画「「聖母マリアの被昇天」とモンティヴェルディの墓・・・目をつぶればありありと目に浮かび、耳に聞くことができます。。。。海の女王ヴェネツィア!

 ヴェネツィアは潟の上にできた街で、潟と潟は小さな橋で結ばれ、その間を大小の運河が流れています。そんなヴェネツィアの町中に入れる車は乳母車手押し車だけ。私達は2隻の水上タクシー(ボート)に分乗してホテルへ向かいました。狭い水路には道路と同様に一方通行の所や信号もあり、四つ角では警笛を鳴らします。次々に目の前に現れる憧れのヴェネツィアの景色に「うわぁ〜! うわぁ〜!」と歓声を上げながら、私は運転手(船頭?)さんの真横に立たせてもらって、時には橋に頭をぶつけないように屈みながら写真を撮らせてもらいました。感激!!

水上タクシーから 水上タクシーから 泊まったホテル 冬は1階まで水に浸かる

リアルト橋
昔は跳ね橋だったそうです
リアルト橋から
カナル・グランデ(大運河)を望む

 その夜は7時半(と言ってもまだ明るい)から、6隻のゴンドラに分乗して、ゴンドラセレナーデを楽しみました。よく旅行番組で出てくる、ゴンドラに乗りながら おじさんの歌ってくれるカンツォーネを聞くってやつです。ローマやフィレンツェは良いお天気で暑いくらいだったのに、ヴェネツィアは北部イタリアのせいか、空は今にも泣き出しそうだし、気温も低くてこんなお天気でゴンドラに乗れるのか心配でしたが、最初に傘をちょっとさしただけでOKでした。おかげでこんな夜にゴンドラに乗る人なんていないのか、運河はすいてましたね。そそ、真ん中のゴンドラに乗っていた歌手のオジサンはなんとミッテラン元仏大統領にクリソツ! この人がまた美声の持ち主で、オー・ソレ・ミオ、フニクリ・フニクラなどをマイクなしで歌ってくれます。マイクがなくても、運河の両側の建物が反響板の役割をはたして響きわたっていました。橋の上からも、ホテルの窓からもヤンヤ、ヤンヤの拍手!! 実はうちわでモンテヴェルディのマドリガルを1曲歌おうよっ♪ という声もあったのですが、私は生来、内気なので(?)「え〜っ こん所で? 恥ずかしいぴょん(←当時はこんな言い方はなかったね・・)」と言ってやめました。惜しかった?

はい、これがゴンドラです。 夜7時半・・・
これからゴンドラセレナーデ
おお ミッテラン元大統領にクリソツ!

 翌日は日本語勉強中の現地のガイドさんの案内で、まず今回、特別に見学コースにいれてもらったサンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会へ向かいました。この教会はサン・マルコ寺院がある潟とは大運河を隔てた向こうの潟にあり、有名なリアルト橋を渡って、狭い路地を何度も曲がり、これって道なの?というような建物の下をくぐったりして辿り着きました。1人でもう一度来いと言われてもダメかも。。。この教会には最初に書いたように、そのころM団が肩入れしていた大作曲家モンテヴェルディのお墓があるので、是非、お参りしたかったのです。モンテヴェルディは1613年から76歳で亡くなる1643年までサン・マルコ寺院の楽長を務めました。彼のヴェネツィア以前、クレモナや、マントヴァの宮廷楽長の時代に作曲したマドリガルなどの作品はルネサンスからバロックへと音楽を導いた作品として高く評価されています。今回、M団がファーノ音楽祭に招待されるきっかけになったのも彼のマドリガルの演奏がきっけだったので、ヴェネツィアでは是非彼のゆかりの場所に訪れたかったのはわかっていただけたでしょうか?

 この教会は観光ルートからは外れているので人が少なくひっそりとしています。しかし、ヴェネツィアでは重要な教会のひとつで、この街で一番古い聖歌壇があります。つげの木(?)の寄せ木でできたこの壇に修道僧たちが座り、グレゴリオ聖歌を朗唱するのだそうです。また、教会の祭壇にはやはりヴェネツィアを代表するルネサンス時代の画家ティツィアーノによる「聖母マリアの被昇天」が飾られていて、天を仰ぐ彼女の表情に見入ってしまいました。ちなみに聖母マリアの被昇天の日は8月15日です。祭壇に向かって左手の柵の中、大理石の床にその人、モンテヴェルディの墓石はありました・・・そうなんだ、この下に彼が・・・・「素晴らしい曲をたくさん作ってくれてありがとう・・・今までヒドイ演奏してきてごめんなさい・・・ファーノではどうか良い演奏ができますように」・・・・・こんなこと呟いてもしょうがないと思いながら、跪いて祈ってしまいました。。。また、この教会の別室には遠近法が素晴らしいベッリーニの絵画があり、まるで彫刻がそこにあるような錯覚にとらわれる技法に息を飲んでしまいました。
 それにしても、やっと目的を果たせて「ホッ!」でしたね。。。。質素で重厚、厳かなこの教会に来て本当に良かった。。。

ゴンドラは何隻見えますか? 狭い路地を
クネクネ歩いて
「聖母マリアの被昇天」
ティツィアーノ作

サンタ・マリア・グロリオーサ・
デイ・フラーリ教会の正面
同横の鐘楼 祭壇から聖歌壇を見る

聖歌壇の部分 モンテヴェルディの墓石
IX・V・MDLXVII −XXIX・XI・MDCXLIII
9日5月1567年生 − 29日11月1643年没
ベッリーニの絵画
(彫刻ではありません)

閑話休題:
ラテン数字 I・・・1, V・・・5, X・・・10, L・・・50, C・・・100, D・・・500, M・・・1000

 次にこの街で一番有名なサン・マルコ寺院に向かいました。この寺院はもともとは9世紀頃に建てられたのですが、今の建物は11〜17世紀頃に建てられたビザンチン様式のもので、使われている大理石はすべて海外から運んだものだそうです。・・・・ああ、ここがモンテヴェルディ合唱団が「聖母マリアの夕べの祈り」を演奏した所なのね・・・と、LDの映像を思い浮かべながら眺めていました。天井は煌びやかな(←画像はくすんでますが・・・)モザイクによる旧約聖書の画で覆われ、十字軍が異教の地から持ち帰った戦利品もあります。・・・がしかし、ヴェネツィアは少しずつ地盤沈下しており、この寺院の大理石の床も左右の柱に向かって弓なりに傾いてきていました。冬には寺院の中まで水につかってしまうので、水抜き穴まで作ってあります。そそ、サン・マルコ寺院の正面は当時修復中だったため、何故か広場からの有名な映像を撮ってません。しまった〜。。。余談ですが、ルネサンスからバロックに時代、ヴェネツィア楽派と呼ばれる作曲家の作品は煌びやかな多声楽曲が特徴的なのですが、それは写真のようにサン・マルコ寺院の構造の特徴を利用したためなのだそうです。

 お昼ご飯は・・・あまり記憶にないのですが、画像にあるようにたぶん魚系が出たのでしょうね。それにしてもアドリア海の魚さんたちまできらびやかなんですね。昼食後は例のバスで来た道をボローニャまで戻り、そこからファーノへと向かいました。さてさて、ファーノとはいったいどんな街なのでしょう。。。

げっ、これもパスタ? うっ Mジがいっぱい! ドュカーレ宮殿内から
サン・マルコ寺院を望む

ドュカーレ宮殿入口
左は元首、
右は街の守護獅子
本来はこちらが
ヴェネツィアの玄関
サン・マルコ寺院前 サン・マルコ寺院の内部
モザイクがくすんでいます

アドリア海の魚たち1 アドリア海の魚たち2