こんな演奏会聴きました
(平成13年)
街角評論家はなるべく愛のある文章をかくつもりですが・・・

過去ログ(〜平成12年)

スウェーデン放送合唱団・演奏会平成13年12月1日
(石川県立音楽堂コンサートホール)
合 唱: スウェーデン放送合唱団(The Swedish Radio Choir)
  1925年に創設され、52年には日本の合唱界にもその名が知れ渡っている合唱の神様(?)エリック・エリクソンが主席指揮者に就任し、ヨーロッパのみならず世界でもトップレベルの合唱団として有名。さらに1994年にはエストニアのトヌ・カリユステが主席指揮者に就任し、さらにレパートリーも広げたとか。。ベルリン・フィルとの共演のみならず、他のオーケストラとの共演でも高く評価されています。日本へは98年と99年に来日し、今回が3度目の再来日。単独演奏会以外にもNHK交響楽団の創立75周年記念演奏会にも出演。

指 揮: フレドリク・マルムベリ(Fredrik Malmberg)
  スウェーデンのマルメ音楽院でピアノ、オルガン、指揮を専攻し、パリ音楽院でバロック音楽解釈と現代音楽の即興演奏法を学ぶ。1993年にスウェーデンに戻ってヴォクス・ノーバ室内合唱団を創設。2001年からはストックホルム・バッハ合唱団の芸術監督兼指揮者も務める。
      
ピアノ: ミカエル・エングストレーム(Michael Engestrom)
  1962年スウェーデン生まれ。1989年にスウェーデン王立音楽大学の芸術学修士課程修了。1990年から98年までスウェーデン放送の音楽プロデューサーを務めていらしたようですが、今はピアニストの活動に専念。スウェーデン放送合唱団、エリック・エリクソン室内合唱団へも数多く客演。
曲目:
バッハ(J.S.BACH):Singet dem Herrn ein neues Lied BWV.225(主に向かいて新しき歌をうたえ)
モンテヴェルディ(MONTEVERDI):Lagrime d'amante al sepolcro dell'amata(愛する女の墓に流す恋人の涙)
ブラームス(BRAHMS):Zigeunerlieder Op.103(ジプシーの歌 Op.103)
ヒルポルイ(HILLBORG):muocαaeyiyωcoum(ムウヲオアヱエユイユエアオウム)
                  -16声部の混声合唱のための-
サロネン(SALONEN):Kyss min mun (いま私にキスして!)
トレッセン(THORESSEN):Mon dieu, mon adore (わが神、私の敬うお方)
ノアゴー(NORGÅRD):Wie ein Kind (子供のように)
 スウェーデン放送合唱団の演奏会を聴くのは今回で3回目です。実は前回と同じ豊田市コンサートホールでも同プログラムの演奏会があったのですが、いかんせん、その日はM団の演奏会前合宿だったので、やむおえず金沢駅のすぐ傍に新しくできた、石川県立音楽堂コンサートホールまではるばる聴きに行って参りました。

 このコンサートホールはシューボックス形式で席数は1750席と東京オペラシティーのタケミツメモリアルに似た感じですが、たぶん音響はもっと良いかも・・・何故なら、ソプラノが最後のアンコールでハイCを楽々出せるくらいの余裕があった・・・ということはホールの響きに助けられて軽く出せたってことだと思うのですが。。。。実際歌ってみないことにはわかりませんけどね。私達の席も1階の10列目だったので、もう少し後ろでどのように聞こえていたのかはわかりませんし。でも、歌ってみたいホールではあります。(・・・2002年11月にはここで歌ってるかも・・笑)

 近江町市場の回転寿司で小腹を満たしてから徒歩で会場へ。開演は19時なのになんと開場が1時間前。。。でも私達も1時間前に到着して100円で今回の演奏会パンフレットを購入。1色刷りでわずか5頁。S野先生の解説はあるものの、それぞれの曲に対訳はついてないし・・・これが100円なら某氏の作るパンフレットは1000円はするな・・・と、みんなの見解が珍しく一致(笑)。さて、開演まで時間があるので早速このパンフレットを隅々まで読んでみました・・・すると今回話題の曲、ヒルボルイ「ムウヲオアヱエユイユエアオウム」の解説に<知る筋には知られている異色曲である>とあるではないですか・・・うわぁ〜 ごっつうアバウトだけど妙に説得力のある文章やわぁ・・・と大笑い。。。ちなみに、その<知る筋>のひとりであるウ氏は3種類出ているCDのうち2種類しか持っていないと悔しがってました(爆)。 パンフレットを見てもうひとつ大笑いしたことが・・・・数ヶ月前にチケットを購入した時に貰ったチラシにはトレッセンの「Mon dieu, mon adore」の日本語訳は「おや、まあびっくり」となっていたんです。その時は[ふ〜ん、民謡か何か?北欧の言葉ではそういう意味なのね]と疑問を抱かなかったのですが、解説を読むと歌詞はなんとフランス語! おまけにパンフレットには日本語訳が「わが神、私の敬うお方」に変わっているではないですか!!! フランス語の 「Mon dieu」 はまさしく「わが主よ」 抱腹絶倒とはこのこと・・・みんな涙目になってしまいマジで「おや、まあびっくり!」状態でした。

演奏会評の前に脱線しすぎか?(いつもだぜ!)
では最初の曲について・・・バッハ「Singet・・・」はM団ではもうお馴染の曲。一体スウェーデン放送合唱団はどんな演奏をしてくれるのだろう・・・とワクワクしながら拍手で団員を迎えました。男声15名女声18名の総勢33名。女声の衣装が前回とは変わっていて、白い台襟のついた黒のノースリーブのロングドレス。あれに袖をつけてミディー丈にすればどこかの衣装と同じだわん・・・と何やら嬉しくなっちゃいました。この曲はご存知のようにダブルコーラスなのですが二つのグループの間は開いていず、真ん中に男声が並んでいます。(だれっけ? 「ダブルコーラスは離れなきゃいけない」・・・なんて形からイチャモンをつける人は・・笑) そして今回初お目見えの指揮者・マルムベリの登場…おお、写真のイメージ通りの人。さて、歌い出しは・・・♪Singet, Singet♪ あれ? な〜にその疑心暗鬼なの出だしは・・・それに、ちょっと待って! 何だか聞こえ方が違う!・・・楽譜が1頁くらい進んだころになって、やっと向かって右にTコーラス、向かって左にUコーラス・・・それに2列になっている後ろが高声で前が低声という並び方であるのに気づきました。おまけに楽譜ではIコーラスがアリアでUコーラスがコラールを歌うことになっているのに、アリアはUコーラスから4名のソリストが、コラールは残り全員で唱っているではないですか! なるほど、そういう唱い方もあるのね。。。ピッチはたぶんモダンピッチだったと思いますが、ソプラノは抑え気味で軽く響かせているのでキンキンしません。・・・で、やっぱり全員が楽譜を見て唱っているんですよ。。。案の定、前半でコーラスTのソプラノのパートソロになる ♪Die Kinder Zion・・・♪のあたりから次第にパート間でズレはじめ、聴いている私が顔を覆ってしまうほどのズレが何度かありました。やっぱり「Singet・・・」暗譜しないと絶対ズレると確信(苦笑)。いや、暗譜しても多少はズレるものね。それに前半でカオスになる部分があるのですが、ここでもっと浮き立って聞こえてくるはずの旋律が聞こえてこないんですよね。練習時間が短いのか、指揮者の意図が充分に反映されてないような気もしました。コラールとアリアも音量の対比はわかるけど、音楽の対比がもっとあってもイイと思うし、その後の♪Lobet der Herrn・・・♪はもっと活き活きとして唱って欲しかったな。最後の♪Halleluja・・・♪もどうしてそんな無表情で唱えるのか不思議・・・。

次はモンテヴェルディ「Lagrime d'amante ・・・」
これは予想通り、人数を減らして1列で・・・左からソプラノT・5人、カウンター・テナー3人、ベース6人(?)、テナー6人(?)、ソプラノU・5人の25人でした。男声は全部で15名いたのは確かですが、パートごとに何人だったかは??です。結構休んだり重なったりしていたような。。。二つのソプラノを両端においてステレオ効果を狙ったのは良かったと思う。ピッチはもしかしたら下げていたかも。ハーモニーもサスガッ! バンバン決まって美しいよ〜〜! それに最後6曲目の<Dunque amate reliquie>は、あれだけベースがいたらさぞかし・・・という予想通り、低声に厚みがあってウットリ〜でした・・・・・が、ここで敢えて言わせてもらうと・・・・女声があまりにもクール過ぎるっ!!! ハーモニーは美しいけれど北欧的な美しさでイタリア的な色が出てなかったと思うのです。それは言葉の処理の問題だと私は思うな。もっと子音を深めにほって母音は長がめに。それからマドリガルは常にインテンポで行くのではなく、歌詞に合わせてもうちょっと音楽を伸び縮みさせた方がイイと思うのです。そのほうが感情が伝わってくるものね。それをね、男声はやろうとしてたんですよ。だけど女声は我関せず風にインテンポの中で…だからたまにズレそうになるんだけど、私は断然、男声を指示!! 普通はやりたくなるんだけどな。。。それにしてもこ曲、また唱いたいよ〜〜〜ん♪♪

 次はまた全員でブラームス「Zigeunerlieder Op.103」(ジプシーの歌 Op.103)
ピアノ伴奏がつきます。全部で11曲あるのですが、最初の2曲くらいは直前の曲の影響なのか声が軽くて明るかったけど、徐々にドイツロマン派っぽい声になってきました。まあそれにしても声を出すわ、鳴らすわ・・・・・あら、こんなに出るのね?って感じ(笑)。 この曲集に関してはあまり知らないのですが、9曲目の<広い世間で誰も私に見向きもせず>というのが私的には一番良かったと思う。トゥッティで力強く唱う部分とレガートで色っぽく唱う部分? 1曲の中に違う要素が盛り込まれいて、さすがにこの曲では、あれほどクールだった女声の一部も指揮者と一緒に腰がクネ〜ッてなっていたものね(爆)。男声はこの曲集ではわりと動いていたのですが、中でも後列一番右にいた小柄で可愛い男声の表情と動きに釘付け…「やっぱりあれくらいは表情つけて動いてくれると見ていて楽しいし、曲の感じがよくわかるよねぇ〜☆」

 さてさて休憩後は期待のヒルポルイ「muocαaeyiyωcoum」(ムウヲオアヱエユイユエアオウム)
並びはやっぱり低声が前で高声が後ろ。前列一番右端のベースのおじさんが両足を開いてスックと立ち、意味ありげにニヤッとしながら頷いたのは何だったんだろう?・・・と思う間もなく、単音の音取り後、指揮者が振り下ろした瞬間・・・なんじゃこの音は?! って言うくらいいっぱい音があるし、ベースがスッゴイ低い音でぶつかった音を出していて、でもはっきりと聞こえてくるのです。。。ところがこの時、客席の上の階で時計のアラームのような音がピーッピーッと鳴り出ししました。それがまた曲のテンポに合ってる・・実はこのアラームに合わせたんじゃないの?という意見もあったけど・・・なアホな。。。しかし、そんなアラーム音など歌い手は気にもせず、ずーーーっと同じ音を保っていた…と思うと、あちこちから♪ムウヲオアヱエユイ・・・♪が少しずつズレて聞こえてきます。指揮者はひたすら同じテンポで4拍子を刻んで・・・友人によるとそれを5回くり返すごとに左手を挙げていたらしい・・・歌い手は楽譜をどんどんめくって・・・16声だから頁がどんどん進んでいってしまうのでしょうね。今度はあちらこちらで♪パラパラパラパラパラ♪(←正確にはなんて言ってるのかはわかりません。)と、これも少しずつズレて、いわゆる鈴木輝昭氏の「ひぐらし唱法」で唱い繋いでいく感じです。一方ベースは低い音で…あれはいったい何度だろう? 4度(?)の和声をひたすら鳴らし続けている。。。そういうパターンが何回かくり返されているだけなのですが、もう響きが美しいので倍音がバンバンに鳴っているし、笙の音のような響きも聞こえました。。。この音空間を何と例えればいいのか?・・・・衝撃的だけどとても瞑想的で・・・もし原子に音があるならこんな音かもしれない・・・と思ったり、未来の音宇宙の音なのかも・・・と思ったり。。。最後は口笛の音も・・・指揮者がその手をとめ、一瞬の静寂ののち・・・拍手の嵐でした。ブラ〜ボ〜!! この曲、CDのデジタル音で聴くより、こうして生で、アナログで聴くほうがずっとイイ曲です。。。(ちなみにO先生はこの曲を日本初演したそうです。ずっと同じテンポでひたすら4拍子を刻み続けるのは辛いらしい・・・よね。) 楽譜が欲しいよ〜〜!!(笑)

ヒルボルイのあとにどんな曲をやっても平凡に聞こえてしまいます。サロネン「Kyss min mun」(いま私にキスして!)もまるで誰かの曲みたいに女声と男声でぶつかってるみたいだし、どこが「キスして!」って曲なんだ?って思う。トレッセン「Mon dieu, mon adore 」(わが神、私の敬うお方)はさすがにフランスの音(具体的に誰の音かはよくわからない・・・プーランク? ジョリベ? メシアン?)がするなとは思いましたけどね。この曲だったか、最後にベースにスッゴイ低い音(何だったんだろう・・・ローGくらい?)があって、これがまたよく聞こえてくるんですわ。。。。あのベースのおじさん、M団に欲しい!!

最後のノアゴー「Wie ein Kind」 (子供のように) は、♪ガガーン、ガリン、ギーーン♪と唱い出した瞬間、「あっ、この曲知ってる!」・・・はい、確かにCDをもっておりました。♪リイーーーーッタラ、グリッタラ〜♪の部分がやけに印象に残っている曲です。この曲は3つの部分から成っており、それぞれ「子守歌」「春の歌」「葬送行進曲」なのだそうです。声音をそれぞれ変えていたと思う。そそ、この曲は子供が亡くなったことを唱った曲なのでしょうか? 最後にまた最初の♪ガガーン、ガリン、ギーーン♪がくり返されるのですが、ベースのソロがみんなよりズレて唱います。それまるで嗚咽のように聞こえ、葬式の時の泣き女・・・この場合は泣き男なのか?それとも子供の父親なのか? …印象に残る曲でした。

もちろん聴衆の熱い拍手に応えてアンコールも2曲唱ってくれました。全体として変化にとんだ曲の見事な演奏で、金沢まで行った甲斐のあった演奏会でした。ホールも素敵!!

リヒャルト・ワグナー「トリスタンとイゾルデ」/平成13年9月30日
(バイエルン国立歌劇場  
NHKホール)
指揮: ズービン・メータ
演出: ペーター・コンヴィチュニー
美術・衣装: ヨハネス・ライアッカー
照明: ミヒャエル・バウアー
合唱指揮: ウド・メアポール

トリスタン: ヴォルフガング・ミュラー=ローレンツ
イゾルデ: ワルトラウト・マイヤー
マルケ王: クルト・モル
クルヴェナール: ベルント・ヴァイクル
ブランゲーネ: ヴィオレッタ・ウルマーナ
メロート: ステフェン・グールド
牧童: ケヴィン・コナーズ
舵手: ハンス・ヴィルブリンク
若い船乗り: ウルリッヒ・レス

バイエルン国立管弦楽団
バイエルン国立歌劇場合唱団
【あらすじ】
背景・・・・・コーンウォールのマルケ王の臣下で甥であるトリスタンは宿敵アイルランドの騎士モロルトを戦いで討ち果たすのですが、自らもモロルトの剣に倒れます。その傷を癒してくれたのがアイルランドの王女イゾルデ。イゾルデは介抱している途中で許嫁であったモロルトを殺したのがトリスタンであることに気づき、仇を打とうとするのですが、その時すでにトリスタンを愛おしく思うようになっており、快復したトリスタンを逃がしてやります。しばらくの後、コーンウォールとアイルランドの間で和平が結ばれ、トリスタンはマルケ王の花嫁としてイゾルデを迎えにきます。

第一幕・・・・・コーンウォールからアイルランドへ向かう船の上
イゾルデは侍女ブランゲーネにトリスタンと出会ったいきさつをうち明け、介抱している時にお互いに心引かれあったと思っていたトリスタンが叔父の花嫁として自分を迎えにきたことへの嘆きと怒りを語ります。そして死をもって償いをさせようとするイゾルデの思いにおののいたブランゲーネは、イゾルデに命ぜられた「死の薬」とは違う「愛の媚薬」を飲み物にまぜます。イゾルデの命で現れたトリスタンにイゾルデは憤りをぶちまけながら、二人はお互いの愛を確かめ合い、死を覚悟して飲み物を飲むのですが・・・その中には「愛の媚薬」が・・・

第二幕・・・・・コーンウォール城の夜の庭
マルケ王の目を盗んで逢瀬を重ねるトリスタンとイゾルデ。この日も狩りに出かけたマルケ王一行がいない間に愛を確かめ合う二人。この世で添い遂げられないなら、あの世で愛のために生きようと陶酔しながら語り合っているところへ、トリスタンの友人でマルケ王の臣下でもあるメロートの企みにより、マルケ王が踏み込みます。信頼するトリスタンの裏切りを知り、嘆くマルケ王。トリスタンはメロートを挑発し、自らメロートの剣に飛び込んで倒れます。

第三幕・・・・・トリスタンの故郷ブルターニュのカレオール城
傷ついたトリスタンを従僕のクルヴェナールが小舟に乗せてカレオール城に連れてきます。そこで傷を癒すトリスタンですが、一向に快復しないため、クルヴェナールはイゾルデを迎えに使者を送ります。トリスタンは幼い頃を思い出しながら朦朧と・・・イゾルデを乗せた船が見えたことを知らされたものの、イゾルデが来る前にトリスタンは息絶えます。ブランゲーネの説得により二人を許そうと思ったマルケ王も船でやってきたのですが、時すでに遅し。。。イゾルデもトリスタンの亡骸にすがり悲嘆のうちに息絶えます。
 小学生時代に砂原美智子さんで「蝶々夫人」を観たことはあったのですが、本格的な生オペラ鑑賞は今回が初めてでした。LDでは「こうもり」「カルメン」「魔笛」「マノン・レスコー」「ばらの騎士」を観たことがあり、その中でもお気に入りはC.クライバー指揮のJ.シュトラウス作曲、喜歌劇「こうもり」。生で観るなら「こうもり」を観たいと思っていた私がどうして「トリスタンとイゾルデ」なのか。。。。それは私がはまった某ドラマの伏線にこの「トリスタンとイゾルデ」が使われていたこと、そして愚弟がオペラ通で何よりも「トリスタンとイゾルデ」に造詣が深く(笑)、今回のバイエルン国立歌劇場の公演も観るつもりだということだったので、ならば一緒に・・・ということになったのです。ただし、チケットはS席で@万7千円! ひょえ〜〜〜!! これに往復の交通費もかかるわけで・・・一大決心のオペラ鑑賞でした。

 心配だったのはホールがNHKホールであること。必ずしもオペラに適した劇場形式のホールではないため、音響に関して不安はありました。(実際、オケはよく聞こえてくるのに歌手の声が・・・でしたね。。残念) 席は2階の通路の後ろで、位置的には真ん中ですが、オペラ歌手の顔はオペラグラスがないと見えません。今回の演出は1998年にバイエルンで上演されたもので、既にこの時の録画がテレビで放送されており、前日に愚弟宅で予習を兼ねて鑑賞することができました。全幕通すと4時間を超える長いオペラで、ベルリン・フィルによるCDと、ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団によるLDを持っているものの、一度も最初から最後まで通して観たことはありません。そんなオペラをちゃんと最後まで観ることができるのだろうか。。。というのも不安だったのですが・・・

開演30分前に会場に到着して荷物を預け、今回の全公演のパンフレット(2500円!)を購入し、席へ。だんだんとお客も埋まりだして、2階から見る限りではほとんど席は埋まっていたような気がします。(当日券はあったそうですが。。。)  オケピに次々に楽団員が入ってきて、それぞれてんでバラバラに練習しだしました。よくあんなにウルサイ中で練習できるよな(耳がおかしくならない?)。。。さて、オーボエがAを鳴らしてそれぞれ調律が終わると、指揮者のズービン・メータが入場。拍手に迎えられお辞儀をし、振り向くとスグに棒は振り下ろされて前奏曲が流れ出しました。。。ああ、あの<愛の憧れの動機>です。久しく生のオケの音を聞いていなかったのでなんだかワクワクしてきました。。。曲が進むに連れて、弦楽器のビロードのような音色に包まれ、32分音符とその3連符を重ねた早いパッセージの<法悦の動機>ではついつい涙が出て・・・。

前奏曲が終わると幕があき、、、、と言っても左右に黒幕を2mずつ残し、ステージ全体を使うのではなくて、黒枠の中での劇中劇の様相、、、左右の電光掲示板に歌詞の日本語訳(←いわゆる字幕?)が現れます。ステージに現れたのは地中海に浮かぶクルーザーのような現代的な船のデッキ。ついでに2幕と3幕のセットも紹介しておくと、2幕は周りを森の木立に囲まれた城の庭。そこへトリスタンが自ら黄色い二人がけのソファを引きずって登場し、そのソファでイゾルデと愛を語りあう・・・って、感じです。。。3幕は小さな窓とドアがあるだけの白壁の部屋に傷ついたトリスタンがソファに身を投げだし、スライドで自分の少年時代や母親(たぶん)の画像を壁に映しだしています・・・するとそこへ。。。という設定だと思います。

 今回初めて生オペラを聴いて勉強になったのはまず基本的なことだけど、やっぱり『声』は大事なんだなって思いました。どんなに表現力があってもステージから聴衆へ向かって訴えかける声聴衆を惹きつける声がないと音楽の魅力も説得力も希薄になってしまうということ。。。つまり、現在もっとも望むべき最高のイゾルデとして定評のあるワルトラウト・マイヤーを楽しみにしてきたのですが、メゾソプラノとはいえ、もう少し声に艶が欲しかった。。。持ち声なのか疲れているのか。。。たまたま、同じメゾソプラノでブランゲーネを歌っていたウルマーナの声が若々しく伸びがあっただけに、ついつい比較をしてしまいます。このウルマーナでイゾルデを聴いてみたいと思ったのも確かでした。

ただし、マイヤーの名誉のため述べておくと、彼女には充分な表現力があり、1幕ではトリスタンの素性を知りながら傷を癒し逃がしてあげたのに、こともあろうに他人の花嫁として迎えにきたことに対する怒りを身体全体で現していたし、「愛の媚薬」を飲んだあとのトリスタンとの重唱には陶酔感もあり、聴いてるほうが思わず引き込まれるものがありました。ただ、彼女にとって不運だったのは指揮者がメータであったこと。。。というのは、彼の音楽は楽器を歌わせるところは充分に歌わせているものの、だんだんとディナーミックの差がなくなってきて、Pの繊細さを現せなかったり、楽器も出が揃わなかったり、時として歌手の声をうち消してしまうほどオケを鳴らしたりと、荒さが時に目立つ指揮であったこと。きっとそれもあって、2幕のトリスタンとイゾルデの愛の二重唱に今ひとつ集中力がなく・・・ああ、ここはもっと陶酔したエクスタシーを感じるところなのにな〜・・・と思ったのも事実でした。

トリスタンのヴォルフガング・ミュラー=ローレンツもたぶん、年齢のせいだと思うのですが、声にやはり艶や伸びがなくて、、、オペラとはいえ、トリスタンには立っているでだけ花のあるテナーの方にお願いしたかったな。。。ただ、2幕の最後の慟哭は見事だったと思います。

 そして今回のオペラで一番感動したのはマルケ王を歌ったバスのクルト・モルでした。私のモルに対するイメージはただ、大きくて低い声でボーボー歌っているだけの人だったのです。それが、今日の彼はマルケ王のイゾルデとトリスタンへの慈愛、そして自らの悲哀を品格を醸しだしながら難しい半音階の旋律で歌い上げていたのです・・・思わず身を乗り出しそうになって、心の中で「おおっ!」と感嘆の声をあげてしまいました・・・少し、集中力の欠けていた場を引き締めたのは確か。勿論、他の聴衆もよくわかって、2幕と3幕が終わったあとのカーテンコールで彼が1人出てくると、もう割れんばかりの拍手!拍手! 「ブラボー!!」の嵐でした。。本当にどうすればあのように声自体の響きに人格というか人物の感情を織り込むことができるのか・・・私達がよく声に息を多くまぜたり、子音の長さで感情を表すのではなくて、まさに声で表現する・・・これは様々な経験をしてきた人の年輪なのか? こういうのを霊感の域に達した芸術というのでしょうね。。。芸の世界は奥が深いとシミジミ思いました。

 今回の演出について、特に最後のイゾルデのアリア<愛の死>のシーンについて一言述べさせてください。
私としてはこのオペラは初体験だったので音楽に忠実に、ワーグナーが意図していたことに忠実に演出して欲しかったのですが、考えてみたらこれまで100年以上にわたって演奏されてきたわけで、いろんな演出があったことは想像に難くありません。そう思うと、演出家も何か斬新なアイデアを出したかったのかも・・・1幕から設定が現代的だし、2幕ではソファまで持ってきちゃうし、3幕のトリスタンは幼少時代への退行。。。今回のこの有名なアリア<愛の死>は最初に舞台の説明をしたように黒幕で枠を作った客席に近い位置にある黒いステージ上をあたかも黄泉の世界に見たてて、トリスタンを座らせ、イゾルデは立った状態で歌います。そして最後、二人は手を繋いでスタスタと舞台袖へ歩いて行き、枠の向こうの現世には二つの棺桶が・・・観ていた私はもう???状態。。。何もそんなリアリスティックな演出をしなくてもトリスタンの亡骸に寄り添うようにイゾルデが歌いながら崩れ落ちる・・・これだけで2人が一緒に昇天していく様を聴衆はオケの音によって観ることができると思うのです。。。ワーグナーはそういう音楽を書いていると思うし・・・が、そういう演出は過去に幾つもあったからなのか、演出家は白石美雪さんが朝日新聞の演奏評でおっしゃっているところの“矮小化された現世を描いて「至高の愛」を劇画的に描き、悲劇を希望に満ちた劇にしたかった”のかもしれません。。。だから最後もなんだか劇画的であっけらかんとしてた? でもね、やっぱり初めてこの「トリスタンとイゾルデ」を観るものとしては王道で演出したものを観て、涙を流したかったのが正直な気持ちです。は〜〜っ。。。マイヤーのイゾルデにももう少し厭世的な歌い方をしてもらいたかったしねぇ。

 初めて生でワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」を聴いて思うことは、やはりこの作品は音楽史上、重要な作品のひとつで、1858年に完成(初演は1865年)したこの作品がのちに19世紀末から20世紀初頭にかけてマーラーやシェーンベルク達に影響を与え、無調の12音技法へ移行していく現代音楽の道標のひとつであったのだということです。すなわち、この作品は音楽的には調性がはっきりせず、長調から短調へと転調を繰り返す無限旋律と和声、たえず彷徨う半音階的進行が、登場人物の深層心理や、仕草を音楽化して聴衆にまさに眼に見えるように響かせている作品なのです。そして、そんな揺れ動く音楽の中に愛と官能の響きを見いだし、主人公二人とともに浸っていたい。。。いつかはそんな世界にめぐり逢うかもしれない・・・そんな淡い期待と願望がこの「トリスタンとイゾルデ」というオペラにはまってしまう所以なのかもしれない・・・ふとそう思ったのでした。演奏時間だけで4時間を超えるオペラでしたが、ちっとも長さを感じさせられませんでした。きっとこれからも私はこのオペラを観にいくことでしょうね。。トホホ

蛇足: そそ、実はこのオペラで一番難しい役は前奏曲のすぐあと、1幕の最初に歌う“若い水夫”なのかもしれません(笑)。だっていきなりア・カペラで この彷徨える半音階進行を歌わなきゃいけないんですもの・・・・・このオペラ全体を暗示するような妙な転調。。。今回は・・・案の定、低かったですわん★ 思わず「そうじゃなくって、こうよ・・・」って口から声が出そうになった。。。w
後日談: 10月31日の朝日新聞・夕刊にワルトラウト・マイヤーのインタビュー記事がありました。彼女の今回の演出に対する評価はなかなか辛辣で、50%は無視して歌っているのだそうです。・・・ですよね、、、あの演出ではやっぱりね・・・ワーグナーは「トリスタンとイゾルデ」に関しては歌詞と音によって全てを現そうとしてたような気がするのです。演出でどうこうしようとするのは考えもの。。。ましてこの作品を「希望に満ちたもの」にしようと言うのは根本的にワーグナーの意図から離れているとしか思えないのですが・・・。私が観た公演とは別の日の同演目に対する感想をI教授が自分のサイトにお書きになっています。。ここへ行って「コンサート訪問記」の9月23日分をご覧ください。

Chanticleer/平成13年2月11日(日)
(愛知県芸術劇場コンサートホール)
シャンティクリア
  Matthew Alber, Christopher Fritzsche, Ian Howell (SOPRANO)
  Jesse Antin, Jay White, Philip Wilder (ALTO)
  Kevin Baum, Matthew Lichtenauer, Michael Oltman (TENOR)
  Eroc Alatorre, Thomas Bold, David Alan Marshall (BARITONNE & BASS)


音楽監督: Joseph Jennings

曲目:
Tルネサンスの宗教曲
W.Byrd: Sing joyfully to God(主に向かって喜びの歌を歌え) 
T.Tomkins: When David heard(ダビデが聞いた時)
T.L.Victoria: Regina caeli laetare(天の皇后、喜び給え)
Uイタリアのマドリガーレ
S.d’India: Ardemmo insieme(私達は互いに燃え上がり)
C.Gesualdo: Se la mia morte brami(もし私の死を望むなら)
C.Monteverdi: Quel augellin che canta(歌っているあの小鳥は)
V日本と中国のうた
J.Hill: Voices of Autumn(秋の声)
C.Yi: Song of Weaving Maid and Cowhead(機織り娘と牛飼いの唄)
Z.Long: Gathering Plantain(オオバコ摘み) Words of the Sun(太陽の言葉)
Wアメリカ先住民の音楽
B.Michael Davids: Night Chant(夜の唄)
Xキューバのポピュラー・ソング
Son de la loma(丘から来たの)
Corazon coraza(うつろな心)
Juramento(誓い)
Son Mercedes(ソン・メルセデス)
El Manisero(ピーナッツ売り)
Yスティーブン・フォスターの歌
Beautiful Dreamer(夢みるひと)
Jeanie With the Light Brown Hair(金髪のジェニー)
Camptown Racaes(草競馬)
Zアメリカン・スタンダード
Willow Weep for Me(柳よ泣いておくれ)
On a Clear Day(晴れた日に)
[スピリチュアル(黒人霊歌)
Spiritual Medley(黒人霊歌メドレー)
Sometime  I Feel Like a Motherless Child(時には母のない子のように)
Poor Pilgrim of Sorrow(悲しみにくれた あわれな巡礼)
Walk in Jerusalem(エルサレムで歩め)
 普通、名古屋で声楽アンサンブルのコンサート・・・と言えば「電気文化会館」か「しらかわホール」。それを「愛知県芸術劇場コンサートホール」で・・・さぞかし聴衆も多いのだろうと思ったら・・・あらあら、1800名収容のホールに三分の一強しか入っていません。それでも2年前の演奏会では満員に近かったらしいのです。今回は宣伝が足らなかったのでしょうか? M団は6月の演奏会で2年前にシャンティクリアが演奏したJ.Tavener「Village Wedding」を演奏します。この曲が収録されているCD「Colors of Love(魔法のア・カペラ2)」が、2001年1月、ベスト・スモール・アンサンブル・パフォーマンス部門でグラミー賞を受賞したとのこと。ちなみにそのCD、今ここにあるんですけど、確かにお薦めです、はい。私はまだ生で彼らの演奏を聴いたことがありません。 さあ、どんな演奏を聴かせてくれるのでしょうか?

 ともあれ、客席が暗くなりステージに12名の歌手が登場。ソプラノ、アルトとなっていても総て男声です。最初はルネサンス時代の宗教曲。Byrd「Sing joyfully・・・」・・・音楽が自然と流れだし、躍動感にみちて楽しそうに歌う彼ら。それを聴いただけでホッとしてしまいました。「これよ!これ!」私って結局こういうアンサンブルが一番好きなんだ・・・と思う。2曲目はTomkinsの曲の中で私の一押しの曲。いつかは歌ってみたい曲なんだけどな。。。ふふ、途中ね、「Oh my son」という歌詞があるんだけど、何度聞いても「お前さん」に聞こえるのよね。。。スンマソン。。。3曲目のVictoriaの曲は4声+4声のダブルコーラス。片方を4人でもう一方を8人(←2列なの!)で歌ってました。この曲は初めて聴いたかな?さすがVictoria!イイ曲です。でも指揮者なしで2列で歌うのって大変ね。結構後ろは前を前は後ろを気にしながら歌ってました。

 ルネサンスの宗教曲はお手のもの・・という感じですが、イタリアのマドリガーレは?・・・というと、もう少し子音を際だたせて深めに発音しないとイタリア語に聞こえません。特にGesualdoの曲は音はイイ音がしてるんだけど、言葉が上っ滑りなのでドラマティカルに欠けるような気がします。(←んん? 何だか自分達のことを言ってるような気がしてきた。。。。) Monteverdi「Quel augellin・・・」は・・・うっ、演奏したこともあって一番知っている曲だけに・・・彼らは人数は5人に絞って演奏(つまり1パート1人ね)。やっぱこの曲、譜面以上に難しいわ・・・聴いていたM団関係者全員のコメント。最初の上3声ですでに???の和音になっちゃうの。彼らの声のせいでもあると思うけど、カウンターというか裏声でソプラノの音域を歌っているから、演奏会を歌いきろうと思うと最初から張った声を出せないのかな? 抜けた声というか・・・3声で鳴らした時にハモらないのよね。もちろん技術的に水準以上だけど、彼らには合ってないと思うな、イタリアン・マドリガーレ。

 次の「日本と中国のうた」と「アメリカ先住民の音楽」というステージが、今回、一番面白いステージでした。中でもHill「Voices of Autumn」が私としては一番のお気に入りかな。テキストは百人一首にある「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋はかなしき」(猿丸大夫)。12名が横1列に・・・基本的に4声の曲だと思いますが、バリトン・ソロ(?)がテキストを五音音階(?)で朗唱のように歌い、その回りでのような響きを外声がずっと鳴らしています。時々、音の移り変わりにポルタメントをかけるのですが、それがまるで篳篥(ひちりき)の音のように聞こえるのです。静かな山奥に落ち葉のカサカサという音や鹿の鳴き声(ケーン?)のような音もして・・・静謐な音空間・・・そんな感じの曲でした。たまたま前日にSchafer「17の俳句」の演奏(どこの演奏かわかっちゃうね・・)を聞いて、やはりその日本的な自然や風物に対する音のとらえ方と表現に感動したので、偶然の一致というか・・・外からのほうが日本的エッセンスが見えやすい・・・ということに驚いたのも事実です。逆に次に演奏された曲の中国の作曲家にも言えることなのかもしれないけど、日本の作曲家は日本というエッセンスを入れながらも日本から離れようとする・・・みんながみんなそうだとは思わないし、それがいけない事だとも思わないけれどね。
  Michael Davids「Night Chant」もネイティブ・アメリカンの世界を感じました。動物の鳴き声や「ヘイヤー、ヘイヤー」というかけ声、変拍子、鼻笛(?)・・・・途中、演奏がずれそうになりましたが、充分にその世界を表現していたと思います。

 休憩後の曲は・・・もう、ウィスキーのソーダ割り(何て言うんでしたっけ?)でも飲みながら聞きたいような、軽いイメージで楽しい曲が多かったですね。いずれも編曲ものですが、フォスターのメドレーとかアメリカン・スタンダードなどは年輩の聴衆の方々には懐かしかったのでは? ただ「草競馬」だけは転調の激しい編曲で、音が決まらない間に転調するものだから、ちょっと気持ち悪かったかな? キューバの曲の中では「Juramento(誓い)」が切ない感じの曲で歌ってみたくなっちまいました・・ソロでね。てへ。。。他の曲はもっと8ビート(?)を効かせた歌いを方しても良かったような気がします。特に「El Manisero(ピーナッツ売り)」なんかはね。確かに実際にはあんな風に気怠い感じで売ってるのかもしれませんけどね。そういつもハジケテらんないものね。「黒人霊歌」に至っては暗譜で、日本の演歌の世界でしたね。歌い上げる・・って感じ? 音楽監督の存在をヒシヒシと感じましたね。それに、この時ばかりはソプラノも抑えていた声をはりあげてました。あら、出るのね。。。でも全体的にバランスとしてはソプラノの響きが弱い感じでしたね。アンコール2曲、日本民謡と黒人霊歌・・・曲名は忘れました。とても温かい聴衆でした。

 しかし、しかし、、、、お客さん、もう少し入っても良かったんじゃない? こんな状態だから名古屋飛ばしとかやられちゃうのよね。そうそう、「Chanticleer」チョーサー「カンタベリー物語」に出てくる「澄んだ声で歌う雄鶏シャンテクレール」から取ったのだそうです。