こんな演奏会聴きました
街角評論家はなるべく愛のある文章をかくつもりですが・・・

「ラブレーの大饗宴」 16世紀フランス・シャンソンのモンタージュ/平成12年10月11日
(名古屋・しらかわホール)
クレマン・ジャヌカン・アンサンブル
  ドミニク・ヴィス(カウンターテナー)
  ブルーノ・ボテルフ(テナー)
  ヴァンサン・ブーショ(バリトン)
  フランソワ・フォーシェ(バリトン)
  ルノー・ドレーグ(バス)
  エリック・ベロック(リュート)


演出: ジャン=ルイ・マルティノティ
音楽監督: ドミクニ・ヴィス
衣装: ダニエル・オジェ
装飾・小道具: タマラ・アドルフ
照明・舞台: ジャン・グリゾン

曲目:
C.セルミジ: リュートによる前奏曲「青春時代に生きているかぎり」による即興
C.ジャヌカン: ミサ曲「戦争」よりキリエ
O.ラッスス: もう昼ださあみんな
R.コンペール: 俺たちゃ聖バブアンの修道士
C.ジャヌカン: パリの物売り声
C.セルミジ: 僕は決して豚は食べない 
C.セルミジ: ホイ、ホイ、ホイ、飲むぞ
T.スサート: 食後の祈り
J.カストロ: 眠っているとき
C.ジャヌカン: 毎晩
C.ジャヌカン: 鳥の歌
C.ジャヌカン: 美しい乳房
G.コストレ: 比類のない唇
A.ベルトラン: 蜜蜂が作るものより甘美なこの微笑み
C.ノン・パパ: みにくい乳房
P.レストカール: その美女は誰
C.ジャヌカン: マリニャーノの戦い
C.ジャヌカン: 恋のたわむれを知りたい娘がおりました
F.コステ: 乳首のつんと尖ったあの娘
N.プティ: あの人があたしに約束したの
P.セルトン: 良きことが終わり
P.レストカール: 物読んで考える
C.ジャヌカン: 狩り
P.クレロー: どうしたら別れの時に
P.レストカール: 死は滅ぼされたが、この世は生きている
 この日の演奏会は、評論家が選ぶ最優秀フランス・オペラ演出のグランプリを4年連続受賞しているという演出家ジャン=ルイ・マルティノティによるクレマン・ジャヌカン・アンサンブル(ECJ)のレパートリーの粋を集めたステージで、日本公演が世界にさきがけたものである・・・・このふれ込みだけで、ワクワク、ドキドキものでした。私にとってもECJの生は初体験です。勿論、ドミニク・ヴィスも。CDは何枚か聴いてますが、ちょっと鼻腔共鳴の強すぎる猫のような声は苦手なんです。でも本場フランス人の、それもクレマン・ジャヌカンの名前をかかげるアンサンブルのジャヌカンのシャンソンを一度は生で聴かないわけにはいかないでしょう、ねぇ!!

 いつもの演奏会より15分早い開演時間。軽い夕食を済ませて18:30にホールに着いて客席へ向かったら、ステージには譜面台といくつかの籠と小さな祭壇のようなものが設えてあり、修道僧の衣装を身につけた奏者がまるで練習でもしているかのように、入場してくる聴衆をしり目にリュートをつま弾いていました。実はこれがもうすでに1曲目だったのです。仕事を終えて集まってきた私達を16世紀のフランスへ導くための・・・・。

 さあ、これから23曲のシャンソンを並べたショーの始まり始まりで〜〜す! ああ、忘れてました、その前に1曲、宗教曲がありましたね。修道僧の衣装を頭からかぶったECJの5人のメンバーが小走りにステージに現れ、譜面台の場所を移動しながらキリエを歌いだしました。柔らかな低音が広がって、ああこのホールでもこんな素敵な音になるんだ。この低音の上にならどんな高音でも許せちゃうかも・・・なんて思っちゃいました。
 ずきんを脱ぎ、曲が進むにつれて修道僧の衣装も脱いでしまいました。下から現れたのはミケランジェロがデザインしたというサン・ピエトロ寺院の近衛兵のようなカラフルな衣装。おまけに前にはいろんな果物でデコレートされた人間の顔がついています。やがてそれも取り払われると、きゃ〜っ!! ヴィス殿のお腹が見えちゃいました。それもおへそまで。ステージ上の籠からは次々に食べ物が取り出されて、中央のテーブルに並べられます。一番面白かったのは<魚>。まるで生きてるみたいに板の上でピクピクと動くんです。歌っている途中もピクピク動く<魚>に聴衆の目は釘付になります。さすがオペラの演出家だなあ・・なんて妙に感動したりして。
 じゃあ、肝心の歌声は・・・というと・・・もうベースのドレーグの声(お顔も・・・)に私はウットリ〜♪状態でした。ハーモニーも柔らかくヴィスの声も気になりません。ジャヌカンの「毎晩」なんてとっても美しかったです。だけど、どうしても気になるのが終止形の和音。どの曲も終止の和音が転調したように聞こえて気持ち悪いんです。途中はとっても美人な和音が聞こえてくるのに最後はシコメになっちゃうの。でもそんなこと許せちゃうほどみんな芸達者!! 「美しい乳房」「みにくい乳房」はルネサンス時代の女性の裸体の絵画をたくさん持ち出してきてあそこに手を・・・わかりますよね? エッチな曲ではブレスまでエッチだし、そういう言葉の子音は息も混ぜて思いっきり強調してて・・・私は口に手を当てたまま、ひきつり笑いが止まりませんでした。だって同じところを何回も繰り返すんですもの。勘弁してよ〜!! クックック〜〜ッ!!
 動物の声やラッパ、太鼓の音が出てくる有名なシャンソン「鳥の歌」「マリニャーノの戦い」「狩」も面白かったですね。「マリニャーノの戦い」では望遠鏡を使ってステージ上で遠近感を表していたし、私も歌ったことのある「鳥の歌」もよく演技をしながら歌えるなあって思いました。あの曲は縦を合わせるのが大変なんですよね。「狩」はみんな四つん這いになってすっかり犬になりきってましたね。これも大笑いです。一番大笑いしたのは、たぶん「良きことが終わり」だったかもしれません。(違ってたらごめんなさい。) 具合の悪くなった人に体温計をつっこんで、テーブルの上にある薬を調合して飲ませるんですが、私にはドミニク・ヴィスがだんだんと志村けんに見えてきてしまいました。他の人達もまるでドリフターズがシャンソンを歌ってるみたいで・・・。とにかく休憩なしの1時間半はあっという間でした。拍手も長かったし、何度もカーテンコール(カーテンなんてないけど)で呼び出してました。本当はアンコールが聴きたかったんです。でも隣席の人がポツリ・・・だってあれだけ暗譜したんだもの。他の曲なんて歌えないんじゃない? 確かに暗譜だけじゃなくて演技もついてたから大変だったでしょうね。オペラのようにちゃんとした筋があったわけでもないし。でもできればジャヌカンの「Au joly jeu de pousse avant」を歌って欲しかったな。えっ?訳ですか?恥ずかしくて書けません。。。

 思ったのはやっぱり16世紀のフランス・シャンソンは詩の内容からいっても半端じゃないってことかな。中にはロンサールの詩のような薫り高い詩もあるけれど、それよりももっと人間の欲望(食欲、性欲・・)ともいえる感情を素直に、軽妙に、ウィットに富んで表現すること。そのためには、もっと子音を強調して、息も混ぜて、そしてブレスまでも利用して表現しちゃってイイ! それとECJに和声の緻密さを求めてはダメ。彼らのエンターティナー性を理解して楽しまなきゃね♪♪
でもこういう演奏って好き嫌いがあるでしょうね。それは認めます。

「北の国ー魂の祝祭」・・・ホールオープン3周年記念特別演奏会/平成12年9月30日
(東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル)
指揮者: トヌ・カリユステ
タリン室内管弦楽団(29名)
エストニア・フィルハーモニー室内合唱団(ソプラノ8名 アルト6名 テナー7名 ベース8名)


【演奏曲目】

Arvo Part  Trisagion for string orchestra (1992/95)
アルヴォ・ペルト  弦楽オーケストラのための<トリサジオン>

J.S. Bach  Magnificat BWV243
J.S. バッハ   マニフィカト BWV243

Arvo Part  Te Deum
アルヴォ・ペルト   テ・デウム

(アンコール: Arvo Part   Magnificat)

補足: アルヴォ・ペルトは1935年エストニア生まれ。首都タリン音楽院で学んだ。80年に当時まだソ連邦だった母国から亡命、ベルリンに住む。東方正教会や中世の宗教音楽を研究することにより、独自の「ティンティナブリ(鈴鳴らし)様式」の作風を確立。私は1987年に録音された「アルボス(樹)」というアルバム、特に<スタバート・マーテル(悲しみの聖母)>という曲を聴いて衝撃を受けました。    
 今日は「聴きに行きたい演奏会」にも書いたように、数年前、宝塚国際室内合唱コンクールでその深く重厚な響きで総合一位をかっさらって行ったエストニア・フィルハーモニー合唱団の演奏会が、あのカリスマ指揮者トヌ・カリユステの指揮で聴けるということで、わざわざ東京は初台にあるオペラシティーまで聴きに行ってきました。

 ちょっと早めに着いて、ドラマのロケに使われている有名な階段を上がって、これまた建物内にある某店で有名な「カプチーノ」を飲もうと思ったら・・貸切・・・さては演奏会の打上げ会場か? 仕方なく違う店で軽く食事を済ませ、18:30にはホールへ入場。入口でパンフレットをもらうとナント演奏曲目が1曲追加になっているではありませんか。・・・・やっぱりバッハの「マニフィカト」とペルトの「テ・デウム」だけでは短いから追加したのかな? 何?何? ペルトの弦楽曲ですか、ふ〜ん・・・・程度にしか思ってませんでした。

 さあ、開演時間の19:00です。でもまだまだ聴衆は入ってきます。あれ?ここって名@屋って思うくらい時間にルーズな方々。私達の席は1階16列の13、14番。1階の真ん中あたりでしょうか。某合唱団の演奏会では招待席になるような席らしい。シメシメ。 定刻5分遅れで1ステージが始まりました。まず弦楽器奏者が入場、20名弱でしょうか。調弦をするんですが気のせいかちょっと低めに聞こえました。いよいよ指揮者の入場、おおっ、あの大柄で長髪のトヌ・カリユステです!会場は大きな拍手に包まれました。 まずペルト<トリサジオン>・・・これはフィンランドの予言者エリヤの教区の500周年に同教区に献呈された10分あまりの弦楽合奏曲。トリサジオンは英語読みで実はギリシャ語では<トリスハギオン>「3つの『聖なるハギオス』」のことで、東方正教会の通常文聖歌のひとつ。賛歌(朝の祈り)で栄光の賛歌とともに、となえられるのだそうです。まずバイオリンが静にぶつかった音を出し、徐々に他の楽器や音が重なっていく手法なのですが、どの音も透明で混じりけがなく、まるで夜露を浴びた葉っぱの上で透明な滴が一カ所に集まってくるようなイメージ、翠の森の中を霧が漂っているような感覚にとらわれます。そして1つのフレーズが終わったかと思うと次のフレーズが波のように押し寄せてくるようなティンティナブリ様式に無防備だった私の魂は激しく揺さぶられました。静に涙がこみあげてきては溢れ、止めることができません。人間の声では表現できない、ふくよかなディナーミックと音色。最後は同じ音の繰り返しなのに、まるでソリの鈴の音がどんどん遠ざかっていくような感覚にとらわれます。これがペルトの音楽、これこそが「北の魂」なのだっ!! 私の魂は浄化されていきました。この曲を聴けただけで充分でした。東京まで来たかいがありました。ゆっくりとその手を降ろし指揮者カリユステが静に振り向きます。きっと満ち足りた沢山の顔が彼を見上げていたことでしょう。カリユステも満足そうでした。

 次はバッハ「マニフィカト」です。<マニフィカト>とは崇めるとか讃えるという意味で、大天使ガブリエルから受胎告知されたマリアが親類のエリザベツを訪ねた時に「私の魂は主を崇めます・・」と語ったものです。カトリック教会では毎日の晩課やクリスマス、イースターなどの時の晩課でも歌われます。この曲の演奏に関してはもう趣味かそうでないかの違いしかありません。私にはモダン楽器によるモダン・ピッチの演奏はやはり自分の趣味に合いません。金管は演奏は素晴らしいのですが後ろの合唱の声を殺してしまうぐらい煌びやかな感じです。この合唱団てこんな声だったかな?と思ってしまいました。高音、特にソプラノの声がちっとも飛んでこないのです。アルトの音色も少し後ろ過ぎるような・・・。明らかにオケのバランスが合唱に勝っていたように聞こえました。バッハのこの曲は特に独唱や重唱が多いのですが、すべて合唱団員が歌っていました。オケの前のソリスト達の位置が一番よく響く位置のようです。ヘミオラがそのように聞こえないとか、テンポを揺らしすぎるとかあったものの、曲としての躍動感はあったと思います。何度も言いますがこれは趣味の問題で、私には合わなかった。そうそうSicut locutus estの最後では合唱が少し前につんのめるようなテンポになってインテンポのオケと合いませんでしたが、私として合唱団の少しアジタートするようなテンポの方が好きでした。

 休憩後はペルト「テ・デウム」です。「テ・デウム」はおそらく5世紀に成立したラテン語の賛歌で、「感謝の歌」とも称され、古くから戦勝の祝賀や政治的な祝典で演奏されてきました。一般に祝賀という内容からも派手なイメージのある曲です。
 ペルトのそれは1984年〜85年に西部ドイツ放送の委嘱で作曲されました。編成は3群の合唱(エストニア・フィルハーモニーは客席から舞台に向かって左側に女声10名,真ん中に混声8名,右側に男声11名)と弦楽合奏、プリペアード・ピアノ(弦の間にものを挟み、チェンバロのような音にする)、ウィンド・ハープ(今回はシンセだったのかな?)からなります。カリユステが右手を静に下まで振り下ろしました。 あれ? 始まったよね? んん? この低いエアコンの唸りのような音は何? 思わず身を乗り出してコントラバスを見ましたが弾いている様子がないのです。舞台の右手と左手の奥にスピーカーが一台ずつ置かれています。もしかしてあそこから聞こえるの? なるほどこれがウィンド・ハープの音なの? 客席の右後ろにシンセらしきものが置いてあったそうです。それなのかな? やがて弦も入り合唱も入ってきました。ああ、やっぱりこの声よ♪ バッハの時とはうってかわって柔らかてく奥行きと艶やかさのある声がア・カペラで聞こえてきました。声というものを、合唱というものを熟知していると思われるペルトの曲だからなのか、この合唱団の音が確かに聞こえてきました。それはペルトに特有のグレゴリアン・チャントのごとき単旋律聖歌のようです。前半は基本的にそれぞれの合唱群はア・カペラで弦楽器ともそれぞれ単独で応唱するような形で進行します。男声の声はよく揃っていてとても柔らかく響き、時に厳しい内容の歌詞では力強く歌い上げます。女声もアルトの声、そしてソプラノの中音域の声はビロードのような深さと柔らかさがあります。ペルト特有のぶつかった音の高音もとても美しかった。惜しかっのはた混声のソプラノで、バランス的に弱く、時々ピッチもぶら下がり気味でした。しかし、何故か聴いていて安心感があるのです。それはきっと何回も歌ってきた自分達の曲、CD録音もしてグラミー賞にもノミネートされた演奏という自信のようなものに裏打ちされたものがあったからなのでしょうね。曲はテキストに沿うようにある時は寂しい短調で、時には教会の窓から差し込む光のように長調に転調しながら、クライマックスではまず男声が力強い声で歌い上げ、プリペアード・ピアノのガンゴン、ガンゴンという鐘の音とウィンド・ハープの低い唸るような音、それに合唱も全部加わって輝かしく短調と長調の転調を繰り返し、会場中が鳴り響いていました。そして徐々に静寂へと・・・・・だんだんと無の世界へと・・・・戻っていったのです。ああ、ペルトの曲はこうして生でアナログで聴かなくては、CDのようなデジタルだけではその良さがわからないなあとつくづく思いました。ちなみに、演奏後は「テ・デウム」のCDは売り切れていたようです。私は今、以前買っていたそのCDを聴きながら書いています。

 アンコールには同じくペルト「マニフィカト」を歌ってくれました。やはり合唱団をア・カペラで聴きたいという願いを叶えてくれました。この曲は数年前に日本の合唱団でも流行りましたよね? 楽譜面は簡単なのですが、音の響きが持つ精神を表すにはやはり難しい曲です。彼らでさえソプラノの声が揃わないのですもの。疲れていて集中力もなかったのかな?こうなったら是非トルミスの民族的な音と声も聴きたかったのですが、今日は宗教曲で纏めたようです。

 でも、今日は弦楽曲に代表されるように本当に素晴らしい曲、素晴らし演奏に出会えて、至福の時を過ごしました。私の敬愛する作家の1人、須賀敦子さんがあるエッセイの中でおっしゃっていました。「音楽の持ってくる感動は純粋すぎる」・・・無防備だった私の魂は鷲掴みにされ、そして揺さぶられたのです。「北の魂」と「東の魂」の融合・・・・魂に東西南北なんて本当はないような気もしますね。

後日談:
実は演奏会当日、学生だけ入場可の公開リハーサルがあったそうです。それを聴いていた方によると、ペルトは一度も練習しなくて、ひたすらバッハの立ち位置とかを気にして、カリユステは客席をウロウロしていたそうです。オケに音量を抑えろ抑えろと盛んに指示していたとか。やっぱりね・・・ですよね。

18世紀オーケストラ「バッハ ミサ ロ短調」/平成12年1月31日(月)
(愛知県芸術劇場コンサートホール)
指揮: フランス・ブリュッヘン
オーケストラ: 18世紀オーケストラ(37名)
ソプラノ: ハイク・メッペリンク(体調の不良の為 欠)
ソプラノ: マリア・クリスティーナ・キール
アルト: クラウディア・シューベルト
テノール: マルセル・ビークマン
バリトン: デットレフ・ロス
合唱: グルベンキアン合唱団(S10名、A6名、T6名、B6名)
いや〜、久しぶりに演奏を聴いて泣いてしまいました。どうも昨日から涙腺が・・・。
これを読んだ東京方面の方で2月1日の夜、ご予定のない方は、最後の演奏会が19:00から東京芸術劇場大ホールで開催されますので、是非お聴きになって下さい。お奨めです。

ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、18世紀オーケストラは名前の通り、その時代に製作された楽器もしくはそのコピー、つまり古楽器を使って演奏します。1年のある時期、世界16ヶ国から古楽器の著名なアーティストが集まって編成されます。BCJのコンサートミストレス・若松夏美さんのお姿も今日のステージにありました。一方グルベンキアン合唱団はポルトガルのグルベンキアン財団により結成され、16,17世紀のポリフォニーをレパートリーとし、1969年からはミッシュル・コルボが首席指揮者をつとめているそうです。

ということで演奏は勿論、バロックピッチ。
実を言うと、私は数年前に同じホールでガーディナーとイングリッシュ・バロック・ソロイスツ&モンテヴェルディ合唱団というゴールデン・カップリングで同じ「ミサ曲ロ短調」を聴いていたのでそれほど期待はしていませんでした。ただ「ミサ曲ロ短調」が大、大、大好きなので聴いてみようかなっと思った程度です。それがどうしたことか、最初のKyrieからブリュッヘンの棒は慈愛に満ちた音楽を奏ではじめ、私の目はウルウルしだしました。ガーディナーの歯切れの良いキビキビとした棒、計算されたディナーミックで聴衆をグイグイ引き込む音楽も好きですが、ブリュッヘンの音楽にも心を洗われるようでした。

合唱もこれまでイギリスの合唱団を聞き慣れていたので、明るく艶やかなラテン系の声は新鮮に聞こえました。ラテン系といってもビブラートはほとんどなく、古楽器の音色にとけ込むバロック唱法が徹底されているのでクリアに聞こえます。モンテヴェルディ合唱団に比べれば音程の完璧さでは劣りますが、ちょっと遅れ気味になるパートといい、唱いながらよく揺れるところといい、どこやらの合唱団に似ていて親近感を覚えました。特にGloriaとSanctus,Benedictusはラテン系の本領発揮(?)でノリノリでしたね。ベースもパートソロのところがあるんですが6人で良く揃っていました。ただ、響きがバリトン系の美声なので、もう少しベースらしく低い音域でも鳴ってほしい気はしましたが。アルトも女声でしたがカウンターテナーのような響きを作ってがんばってました。テナーはやはり張りのある明るい声なのですがどうも高音で気持ちよくなるのか遅れ気味になるんですよ。テナーさん! ソプラノはよく揃っていて高音の抜けも美しかったですね。ただ、Et incarunatusとそれに続くCrucifixusはやはり難しいですね。楽器に助けられていたところもあるかな?

オケに関しては正直言って楽器のことを良く知らないのでうまく書けないのですが、オーボエ・ダモーレの音色はやっぱり美しいなと思ったし、管をぐるぐる巻いただけのホルン(すいません、こんな言い方しかできないので)は難しいだろうなとも思いました。ブリュッヘンの指揮は思ったより早めのテンポをきざんでいて、弦楽器もビブラートのない純粋な音で躍動感に溢れた音楽を伝えてくれました。フルートのソロはちょっとテンポが遅れ気味かなとも思いましたが。そうそう今回はチェンバロがありませんでしたね。チェンバロをいれるとジャラジャラとうるさいのかな?

合唱もオケも素晴らしかったのですがソリスト、特に女声、ソプラノのキールとアルトのシューベルトがさらに素晴らしかったですね。キールは声も音程も完璧で、まるでスペイン・リヤドロの陶器の人形のように硬質ながら優美で艶やかな声。聴衆はその美声に魅了されてました。背の高いシューベルトはアリアQui sedesではまだ声の調子がいまひとつでしたが、胸声で高音まで持っていく力強さと抜群の表現力を披露。この時点ではまだ私としてはこの曲はカウンターテナーのほうがいいなと思ってました。しかし、休憩後のCredoに続くソプラノとアルトのデュオEt in unum Dominumではキールとの息の合ったデュオを聴かせてくれました。声量と表現力でソプラノを喰うかなと予想してましたが、アンサンブルも表現力も2人ともバッチリでした。

さて、私はどこで泣いたでしょう?
答え・・・最後から一つ前にアルトのアリアAgnus Deiがあるのですが、この曲の後半の部分でソリストもオケも驚くほどppppに落として内に向かってまるで祈るように歌ったのです。会場も水をうったように静かで静謐とはまさにこのこと。涙が溢れてきました。そしてそのまま天に向かって昇っていくような上昇音形の終曲Dona nobis pacem(われらに平安を与えたまえ)の合唱(ソリストも一緒に唱ってました)へつなげるんです。ううっ、そうかそうもっていくのね。キリスト教徒でない私でも救われる思い、平安な気持ちになったのです。

死の2年前に完成したというバッハの遺言ともいうべき「ミサ曲ロ短調」。死を予感しながらも死を恐れず、逆に静かに堂々と死を迎えようとしているバッハをみたような気がしました。ああ、私も死ぬまでに唱いたいなあ「ミサ曲ロ短調」。

今日は本当に幸せでした。

ザ・ヒリアード・アンサンブル/平成12年1月23日(日)
(しらかわホール・名古屋)
― コレスポンデンス ―

ギョーム・デュファイ :わが麗しの恋人の砦を * 元日の今日こそ * わが麗しの気高き奥方様
エレナ・フィルソワ :不眠
作曲者不詳(16世紀スペイン) :夜は暗く
ルートヴィヒ・ヌスビヒラー :コレスポンダンス
ジョン・ダウランド/アンリ・プースール :ラクリメ
オルランドゥス・ラッスス :冷たい夜
ヴァルター・フォン・デァ・フォーゲルヴァイデ :もみの木の下
オルランドゥス・ラッスス :こんにちは、私の心
   *********
作曲者不詳(1400年頃キプロス) :輝ける宝石/今日は輝かしい日
ロドニー・シャーマン :要求者の死
ウィリアム・バード :嘆き、嘆くだろう
ウェルギリウス/ジョスカン・デ・プレ :快い遺跡
作曲者不詳(紀元前2000年頃) :シュメールの創造の賛歌
ウェルギリウス/ジョスカン・デ・プレ : 悪評
ジム・ヒスコット :嘆いてはいけない

太字は現代の作曲家

メンバー:ロバート・ハリー・ジョーンズ、ロジャーズ・カーヴィー=クランプ、ジョン・ポッター、ゴードン・ジョーンズ
まず、演奏会を聴いた感想を書く前に、今回残念だったのはカウンターテナーのデイヴィッド・ジェームズ氏がインフルエンザの為に来日できなかったことです。そこで急遽、タリス・スコラーズのカウンターテナーとして何度も来日しているロバート・ハリー・ジョーンズ氏がメンバーに加わっていました。

ジョン・ポッター氏の解説によると演奏会のタイトル<コレスポンデンス>は今回演奏したルートヴィヒ・ヌスビヒラーのフランス語の「コレスポンダンス」から採ったとのこと。意味は(連絡)。つまりプログラミングが色々な要素でそれぞれに連絡しあっている、平たく言えば昼の某テレビ番組でやってるクイズ<○○繋がり>ってやつですね。しかしながら演奏会終了後、全体をもう一度見渡してみても私には理解しにくいテーマというか、そこまで考えなくてもいいような・・・。それに現代曲のテキストが懲りすぎてて・・・。年齢を重ねてだんだんとメンバーが哲学者になっていくような気がします。でもわかるんですよね、私達もやはり演奏会のプログラミングには毎回困るんですもの。ない知恵を絞ってなんとかコンセプトをたてるんですが、それはあくまでも隠しネタだったりして。まだまだ凡人ですな、我々は。

あっと、演奏会の感想書かなくっちゃ!
前半、正直言ってがっかりしました。やはりデイヴィッド・ジェームズ氏がいない為に音楽の輪郭がぼやけてしまった感じがしました。確かにロバート・ハリー・ジョーンズ氏もルネサンス以前の曲については音律も心得ているし、タリス・スコラーズではアルトのパートとしてハーモニーを綺麗に響かせるのはお得意なのですが、一番上声部を歌う場合はバランスとしてもっと聞こえてきて欲しかった。どうも声が後ろから上に抜けて前に飛んでこないのです。特に現代曲ではあとの3人がいずれも芸達者であるし、なんといってもヒリアード・アンサンブルの音楽を心得ている。それに比べて自信がないというのが伝わってきちゃうんです。そうですよね、この4人でアンサンブルするための時間がまだ少ないんですから無理な注文だとはわかっているのですが、どうしてもデイヴィッドの声を求めてしまうんです。前半が終わったら帰っちゃおうかな、なんて思いもチラリと。

ところがですよ、休憩後は一転張りのある声が鳴りわたったのです。あれ?歌い方変えたのかなと思いました。シャーマンの「要求者の死」はロジャーズ以下の3名だったので声のバランスも絶妙だったし音楽的表現も統一感がありました。それに続く4声のバードの「嘆き、嘆くだろう」もそれぞれの声、もちろんカウンターテナーの声も前に抜けて聞こえ、各声部の綾が目に見えるようだし終止もとっても美しかった。これぞ本当の意味のベルカント!流石バード!! そして次の紀元前2000年頃の「シュメールの創造の賛歌」がこの日の白眉でした。3000年前のメソポタミアの楔形文字を音楽学者ガルピンという人が彼なりに解釈したものだそうです。曲はまず1パートずつの単旋律の模倣が繰り返されたあと4声になります。躍動感もあって途中で「ギンギラギンに・・・」なんて聞こえちゃったりして(私だけか^^;)。特にすごかったのはベースがとっても低い音を歌っているのですが、それが倍音唱法というか上にちがう音が聞こえてくるんですよ。私の両隣の方々もスゲーと言ってましたね。メンバーも一人一人が楽しそうな顔で歌っていましたしね。拍手も一段と大きかったです。しかし原曲はどんな楽譜なんだろう???

アンコールですか? 今回は4曲歌ってくれました。ジャズ(?)、中世、トルミス、ムーディ。名古屋の客はしつこいね、やっぱり・・・と思ってたりして。

スウェーデン放送合唱団演奏会/平成11年9月12日(日)
(豊田市コンサートホール)
J.S.バッハ モテット「主を讃えよ、全ての異教徒よ」BWV.230
メンデルスゾーン 『3つの詩篇曲Op.78』より「第22篇 わが神、なにゆえわれを捨てたまいしや」
ブラームス 6つの四重唱曲Op.112
R.シュトラウス 夕べOp.34
プーランク 小室内カンタータ「雪の夕暮れ」
ステンハンマル 春の夜Op.30
ヴェルレ 樹々
ユーハンソン 「ファンシーズ」より
ペターソン=ベルガー 歌劇「ラン」より“ダンシング・ゲーム”
アルヴェーン 夕べ
エードルンド 3つの民謡 「アントは私と踊る」「リンダ、私のリ ンダ」「15人のフィンランド人」
小牧東ICから高速に乗って25分で豊田ICに着いてしまいました。12時には豊田市街に到着。演奏会は2時から・・・。暇を持て余して1時過ぎには会場の豊田市コンサートホールへ。ビルの10Fにあるホールの入口前には座るところがありません。どうしようかと思っていたら、会館の方がバー・カウンターのある1階下(9F)を開けて下さいました。チケットを渡して中に入ると、なんとリハーサルの様子がスピーカーから流れているではありませんか! お陰で涼しい所で冷たい物を飲みながらスウェーデン放送合唱団のリハーサルを聴くことができました。ラッキー! 早起きは三文の得ってやつですかねえ。ちなみにリハーサルの曲はプーランクとバッハでした。

バッハ、メンデルスゾーン、ブラームス、R.シュトラウス、プーランク。これだけが前半ですよ! 後半はステンハンマル、ヴェルレ、ユーハンソン(?)、民謡。長い演奏会でしたね。サービス精神旺盛なプログラミングでした。
バッハは前半はパートごとの調もテンポも (?_?) でしたが、アレルヤからは音楽がよく見えましたし、好きって感じ。メンデルスゾーンは私としては今日の曲目の中では一番良かったですぅ。最初は爺ちゃんバッハのような感じのソロと合唱の交唱で、声もハーモニーも厚かったし、ハートも熱かった! メンデルスゾーンて日本ではあまり演奏されないみたいですけどイイですねぇ。ブラームスは隣でおやじ、寝てました。シュトラウスはあのチョー難しい「Der Abend」。やっぱり難しいよ〜! 時々ベースの響きが低いかなーって思いましたが、でも一体どこでブレスしてるのあなた達!って感じで響きが漂い続けてました。勿論、ソプラノの高音も息が流れていて素晴らしかった。そんでもってプーランクも歌っちゃう!? 強靱な喉だ! プーランクの小カンタータ「Un soir de neige」は有名な「人間の顔」に似た響きがします。いつか歌ってみたい曲なのですが唐突に終わる感じがどうも・・・。

後半はバルコニーの8人とステージの合唱団というスタイルのヴェルレの「Trees」が印象的でしたが、バルコニーとステージに別れた効果が今ひとつわからなかったですぅ。

指揮者のステファン・パルクマンは小柄な身体ながらオケを振っているかのごとくオーバーアクションで、私のお目目はずっと釘付けでした。左手と足先に特徴があるんです、ウフッ・・。でも音を切るときの「左手ナタ振り降ろし」はコワカッタですねえ。昨年、同合唱団を振ったエストニアのトヌ・カユステとは全く違うタイプですね。ピアノ伴奏の曲も多かったし、サービス精神旺盛(最初にも書いたか・・)。

5日間続いた演奏会も明日から15日までお休み。その為か、アンコールを4曲も歌ってくれました。中部のお客はしつこいからねー。昔ヒリアードアンサンブルの岐阜メルサ演奏会でアンコールを9曲も歌わせてしまったことがあります。彼らものっていたからだとは思いますが。(^_^;)
それにしても海外の合唱団が歌う日本の曲は武満の「さくら」しかないのでしょうか