死せる孔明、生ける仲達を走らす
序章
 

魏・青龍2年、蜀・建興12年(234年)、蜀丞相・諸葛亮孔明率いる蜀北伐軍は、斜谷より出撃し武功郡五丈原に布陣。
迎え撃つ魏帝・曹叡は、大将軍・司馬懿仲達に防衛を命じた。
司馬懿は、何度か蜀軍と交戦した後、持久戦に持ちこむ策を取った。
4月に蜀が出陣してから早くも四月が過ぎ、8月。
五丈原には、秋の気配が漂っていた。

そんなある夜、総大将司馬懿の息子・司馬師の陣屋に、父・司馬懿が飛びこんできた。

「師、師よ!! 孔明が死んだ、間違いない!! 明日、全軍に追撃の準備をさせる。お前もそのつもりでな」
「父上、それは真でございますか!?」
「ああ、彼奴の将星が落ちた。これから少しもたたぬ内に奴らは撤退を始めるだろう」

司馬懿仲達の長男、司馬師はかつてこれまで、自分の父親のこんなにも喜んだ顔を見たことがなかった。
この時代で父上と肩を並べるほどの才を持つ唯一の存在が死んだというのだから、これほどまで喜ぶのも無理はない話だとは思えるのだが。
 

次の日、父上はすべての将を集め、そこで孔明が死んだと告げた。

「はたして、本当に孔明は死んだのでしょうか?? それがしは天文の事はわからぬゆえ、にわかに将星が落ちたなどと言われても、信じられませぬ」

こう言ったのは、雍州刺史の郭淮どのだ。
確かに、天文を知らぬ凡俗どもには理解しがたい話だが、父上が言うのだから間違いはない。

「その言、もっともだ。それゆえ皆にわかる形で孔明の死を証明できることがある」
「と、申しますと??」
「近いうちに蜀軍は撤退する。指揮を取る人物がいなくなるのだから当然じゃ。残った楊儀や姜維の如きでは、我が軍に太刀打ちなどできんからな」
「もし、撤退しなければ??」
「わしの読みが外れておったという事じゃ。その時は郭淮どの、わしは責任を取って総大将の職を辞そう」
「仲達どのがそこまで言うのならば、恐らく孔明は死んだのでしょうな。早速、追撃の布陣をいたします」
「他に、異議のあるものはいるか??」

父上は郭淮どのを説得し、そして他の将に尋ねた。
もちろん、異議など出るはずもない。
そのまま軍議は解散。各々、追撃の準備にかかった。

そして十日後、密偵からの情報により、蜀軍撤退の報が入った。
やはり、父上の星見は当っていたのだ。

「全軍、このわしに続け!! 孔明のおらぬ蜀軍など竹を割るがごときものだ!!」

珍しく父上が先頭に立って軍を指揮をとっている。
いつも慎重な父上だが、勝てるとわかっているときには容赦のない人だ。
その父上が先頭に立つのだから、この戦の勝ちは決まったようなものだ。

撤退する蜀軍を全滅させ、そのまま蜀を平らげるさまが、司馬師の頭の中にはすでに出来上がっていた。
 
 

序章・終



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