「感動した」だと?ふざけるな!
平成13年5月の貴乃花の優勝を「感動した」とほざく輩に告ぐ。一体何に感動したのか、そしてそれが間違いであることを言い放ってやろう!
@まず貴乃花が強い相撲で十三日目まで全勝。優勝まであと一勝であった。
Aところが目前にあった優勝が十四日目の敗戦と大怪我で一気に絶望的となった。
B九分九厘優勝は武蔵丸と思いきや、怪我を押して出た貴乃花が決定戦の末、優勝した。
「感動した」とほざく輩は、恐らく上記いきさつでの貴乃花優勝に感動したと言っているのだろう。
貴様ら単に貴乃花ファンであるだけだろう。しかもその中でも最も悪性の、相撲ファンとは程遠いサイコ貴乃花ファンである。貴様らは「若貴フィーバー」の時に頭の悪いマスコミどもと一緒にごく一部の力士のみを応援し、相撲ファンに脱皮できず今に至っているに過ぎん。俺が言い切ってやる!もし、貴乃花と武蔵丸の立場がまったく逆だった場合つまり上記@〜Bの文章の貴乃花と武蔵丸を入替えて読んでみろ!それでも感動できるか!できまい!恐らく貴様らは「何故、武蔵丸出場する!貴乃花が全力出せずにかわいそうだ」と言っただろう。
大体相撲内容としては最悪である。
@足を引きずりながら仕切りを続ける貴乃花。注目は「あれで相撲取れるのか?」
A時間いっぱいで両者十分に仕切っているにもかかわらず、全く立とうとしない貴乃花。本来なら反則負けである。
B一瞬に勝負がついた本割の相撲。
C貴乃花のためだけに異常に長く取られた決定戦開始までの時間。そして誰も貴乃花の出場を止めない。
D決定戦もまた足を引きずりながら仕切りを続ける貴乃花。注目は「怪我が悪化しないのか?」
E気を遣った武蔵丸が全力を出さずじまいで敗戦。これは無気力相撲ではないのか?
Fとどのつまり、小泉首相の表彰はパフォーマンスに過ぎなかった。大相撲は首相の人気取りの道具だったのか。
確かにどう相撲を見ようがその人の勝手かもしれないが、あたかも一般論のように「感動した」と言うという事はやめて戴きたい。公共のマスメディアで、貴乃花を応援していることに他ならない。