第九章 ついに終わりか??

時は某年2月26日23:00ころ「賄氏発見」の情報が入りました。

車は寮にあったので遠くには行っていないだろうと思ったのですが、なんと、網走にいたそうです。そして、路上で倒れているところを救急車に運ばれたそうです。

最初にこの話を聞いたときは冗談かと思うでしょう。どうやら本当のようです。

しかしなぜ網走にいたのかという素朴な疑問が残ります。

網走に行くには下記の2つのルートが考えられます。

@羽田→新千歳空港→札幌→網走

このルートだと、羽田にいる時点で「北海道へ行こう」と思い、札幌についたときに網走行きの特急オホーツクに乗って終点まで行ったことになります。つまり札幌にいる時点で網走に向かう意志がなくてはなりません。
この時期にわざわざクソ寒いところへ行こうと思うでしょうか?もしそのような意志があったならば、「死」を決意していたことになるのではないでしょうか?私はもう1つのルートであると考えます。

A羽田→女満別空港→網走

網走に行こうと考えたとき、このルートが最短と考えられます。 しかし、賄氏が最初から網走に向かおうとした場合このルートを思い付い たでしょうか?私は、賄氏は北海道へ行こうとは考えていなかったと思います。恐らく沖縄あたりに行こうとして、羽田に行き、なんかの理由で「那覇」行きには乗れなかったのでしょう。そして、他に沖縄の空港がないかと探しているところに「女満別(めまんべつ)」という地名を発見し、この日本語離れした音と、糸満市の「満」の字を含んでいるのを見て沖縄の空港だと思ったのではないでしょうか。つまり到着するまで自分が北海道に向かっているとは思っていなかったのではないかと思います。さぞついたときには一面の銀世界に唖然としたでしょう。そして空港出口に待機していた網走行きの連絡バスに乗ったと考えます。

いずれにせよ、もう1つの疑問があります。それは旅費の問題。
昨日の話から察するに、賄氏は5万7千円払うことになっていたのですから、昨日の時点では、ちゃんと下り金を支払うつもりだったのでしょう。
今回の旅費はそのお金によるものと考えるのが自然でしょう。

しかし、発見されたからいいものの、もし朝まで誰も見つけてくれなかったら・・・。この時期の網走は明け方になると少なく見積もっても氷点下10度位は覚悟しなくてはなりません。

これだけの騒ぎを出して果たして今までどおり「自宅療養」するのでしょ うか?それとも遂にフィナーレを迎えるのでしょうか?

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以上は当時私が行なっていた陰口メールから抜粋、加工したものです。当時は大変な騒ぎでありました。

結果的に彼は網走の病院で一週間ほど療養し、退職となりました。

一応彼の歓送会も行ないました。なぜ網走に言ったかとの問いには「北海道旅行」との面白い回答を戴きました。


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